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人と自然と建築と

nonobe's diary

Vol.53「endless thema - 48」(10年05月)

-------春先/季節のかわり


寒い間部屋のなかに入れてあった寒さに弱い鉢も、暖かくなり庭に移動した。
小さな庭、あっという間にところ狭しとにぎやかになった。
ナルコユリの仲間が庭のあちこちで咲き始めている。
知らぬ間に少しづつ勢力を拡大しつつあるようで、芽が出始めて初めて分かる。
まだ青白いが摘んで花器に。暖かい部屋の中、すこしづつだが白く色づいていく。
タツナミソウやシラユキゲシも咲いている。同じように生育範囲を広げているようだ。


タツナミソウ

シラユキゲシ、すみれ、タツミソウ

足元には友人の岡本さんから「すみれなのよ。」って言われて頂いた。
名前が分からず、我が家ではオカモトスミレと呼んでいる。
紫がかった白色の小さ花が咲く。鉢からこぼれて月日とともに地覆類のようになっていく。
春から秋にかけて咲くツルハナナス※も咲き始めた。


ツルハナナス
※ツルハナナスはヤマホロシと言う名で出回っていますが、本来別の種類です。
ヤマホロシは日本原産の種類で花が終わると赤い果実ができますが、
ツルハナナスは南米原産で果実が出来ないので区別するといいでしょう。


タイツリソウ

ヒメウツキ

エビネ
 

鉢棚の上に置いてあるタイツリソウやヒメウツキ、それにエビネも咲き始めた。
みんな元気いっぱい。



バイモ

バイモの花が終わる頃、先月の11日に京都府知事選があった。
41.09%という低投票率もさることながら盛り上がりにかける選挙であった。
各党の推薦を受けないといいつつも、実質非共産対共産と言う戦いであった。
結果は現職知事の三選で幕をとじた。
知名度と過去八年間の取り組みが評価されたと言う事らしい。
今回当選に至らなかった門氏は今後の地道な活動と明確な政策を訴えていく事で
次回出馬されれば面白い選挙が展開されるのでは。
少なくともみんなが投票に行こうと思うような面白い選挙にしてほしいものである。

選挙の帰り道はいつものガラス工芸店のガラシャを覗いて帰る。
ステンドグラスがメインで教室もやっている。
お店はガラスのソーサーやグラスや照明のシェードや小物類など
作家さんの品もあるギャラリーになっている。

我が家の玄関に取り次ぎ風の二畳の畳の間があり、
ここにガラシャで購入した手吹きガラスのシェードの照明を吊るしてある。
今は口径の小さなクリアーのボール球の電球がついている。
クリアーの玉は玉の存在感が消えてることもありシェードのデザインが生きて来る。
白熱灯などのこれらの電球も将来は生産が中止となってくるのだろうか。
ほんのりと暖かい空気を作ってくれる電球のよさが無くなるのはつらい気もする。


ガラスのシェードは手吹きのためか形が歪で、
厚みや重心の関係で吊り位置が微妙にずれている。
ガラスの表情は半透明の中により透明に近い小さな泡のようにつけられた模様と
モノトーンで流れるような渦を巻いたような模様のあるモダンなデザインである。
和洋折衷的なレトロ感がいいし、
京間とは言え二畳程の空間に付ける小ぶりの器具はなかなかない。

それに随分と前だがガラシャで見つけた万華鏡のペンダント。
大きさは10mmφ程の径で長さが65mm程度。先端にレンズが付いていて、
覗いて、廻して、方向を変えてと。
万華鏡の中に廻りの景色が移り込み刻々と変化していく。
この万華鏡、女房の友達も持っていた。そしてそのまた友達も・・・・なんとも。


選挙の帰りのウインドウショッピング。
投票所の元町小学校の校門にはまだサクラも咲いていた。
少し曇った天気だったが、春の長閑さが漂った一日であった。

 

 

 

Vol.52「endless thema - 47」(10年04月)

-------暮らし/リサイクラー
白い小さな花びらの沈丁花の香りが漂っている。
うちは白い花びらだが赤い花びらのものもある。
暖かい日がつづいていたせいか少し早めに咲き始め、三月の中には満開に近い程開花した。
窓を開けるとその澄んだ香りが風に乗ってやって来る。春も近い。

今までに暮らしがテーマの話を結構書いてきた。
それだけでもう14編にもなっている。
特に計画性をもって系統的に書いて来たという訳でもないので、
何度も同じ事を書いてしまう事も有りうる。
そろそろ整理し始める時期だろうか。


我が家では生ゴミを処理するリサイクラーを使っている。
リサイクラーでできた処理物は、らでぃしゅぼーや会員用のエコキッチン倶楽部の
乾燥資源としてらでぃしゅぼーやの宅配スタッフが回収してくれる。
回収後はらでぃしゅぼーやの生産農家などに戻され堆肥となる。
そして、農産物となり届けられる。

らでぃしゅぼーやのエコキッチン倶楽部の取り組みは
「食材等の宅配だけでなく、生ゴミを集めるサブシステムのデザインが
コミュニティリサイクルの仕組みとして重要な試みである、と評価され
2007年度の新領域デザイン部門でグッドデザイン賞を受賞した。」
・・・エコキッチン倶楽部のチラシより。


リサイクラーは普段においは出ないが、
稼働中は生ゴミ臭ではないが排気と熱などから少しいやな臭いがでる。
多少気になるのでうちでは勝手口兼用のユーティリティーに置いている。
処理物は乾燥されてることもありパリパリの状態で多少においはきついが
素手でさわった感触は気になるものではない。
リサイクラーのメーカーのパンフレットによると、処理後は約1/7になる。

分別になったことも幸いしてか、リサイクラーを使うようになって
我が家の一般ゴミの出す量が格段に減った。
一般ゴミつまり生ゴミなどを含む可燃ゴミだが出す量は少ないに越したことはない。
それに外にゴミバケツを置く事もなくなり当然悪臭もない。

よほどの硬いものであるとか、一般家庭ではありえないが大量の柑橘系の皮は
油性分を多く含むために発火の可能性もあり一度に処理するのは難しいが、
特別なもの意外ほとんど処理が可能である。
うちは乾燥式リサイクラーだが、他の方式や、コンポストなど自然に戻していく考え方もある。
使用している家庭も増えて来ているらしいがなかなか普及していないのも現実らしい。
政策の問題か、情報不足か、国民性か、他の理由かは不明だが、
使い始めると手間もかからないし結構便利である。
それに、京都市でも購入時には助成金がでる。

一般ゴミの収集日には収集場所や道路で悪臭が漂っていたり、
収集車から道路に流れ落ちたりがよくある。
水気を十分に切ってから詰めるようにすればもう少しましになると思うのだが。
これは清掃局や収集車の問題ではなく、ゴミの出し方に問題が有る。
モラルやマナーには気を配って欲しいものだ。

通りにもいろいろある。
「この通りいいなあ。」とか「感じいいな。」「綺麗だな。」などと思う通りは沢山ある。
一方、「ここはちょっと、向こうの通りを通ろう。」も結構ある。
人それぞれが気持よく暮らすことへのやさしさや気配りが少しだけ欲しい気がする。
勿論、私自身も心の片隅に意識を置いて過ごすように心がけたい。

 

 

Vol.51「endless thema - 46」(10年03月)

-------剪定/もうじき春
藤の織柄のパターン模様。トーネットの椅子に張られた藤の織柄である。
背面から透ってきたあかるさが模様を浮かび上がらせる。
普段は何気なく見ていることも、
ふとした意識からいつもと視点の違う見え方をするときがある。
視覚、聴覚、触覚、味覚、臭覚。
さざなみから磯の匂いや砂浜の暑さを思い浮かべたりするように、
視覚からも他の感覚を刺激しイマジネーションの輪を広げていく。
織柄のパターンからどんな世界に導かれていくのだろうか。
そして、何に巡り会えるのだろうか。
年に一度、二月頃暖かくなる前に庭の剪定をしてもらう。
今年もすっきりと刈り込んでもらった。
今日は天気もいいし、松も気持良さそう。
ぱちんぱちんぱちんとハサミの音が聞こえている。
ボサボサ頭もすっきりさっぱり。
洋物のさらっとふわっとした樹形とは違い、
和物は樹木自らの持つ特徴とを考慮しながら、独特の形に整えられていく。
枝ぶりをどういう形にしていくのか予測しながら
何年もかけて思いの形に作り上げていく。
それは職人さんの個性や性格が顕著にでる地道な道のりでもある。


うちは毎年醍醐の西田造園の西田さんにお願いをしている。
西田造園(tel/075-573-0544)は伏見区醍醐勝口町にある。
和物が得意な西田さん。我が家に松があることもあり、
越して来たときからお世話になっている。
いつも親方の西田さんともうひとり手伝いの職人さんとでやって来る。

高いところはお手の物。梯子ひとつでひょいひょいと。




あっという間に登ってしまう。
手慣れたものだ。職業柄とは言え感心させられる。
あそこをこうしてここをああしてと、遠目から全体の形の判断は容易だが、
間近で刈りながらではなかなかそうもいかないはずだが、
そこはそこ旨く整えていく。

長年の経験と感覚だろう。

ハサミを旨く動かしぱちんぱちんぱちん。
たいしたものだ。

最後はあとかたづけと寒肥をして終了。後片付けは松ヤニで結構大変そう。
また来年の今頃剪定に来てもらう。

生け垣のウバメモチやサザンカ、モチノキに低木のセンリョウやジンチョウゲ
小さな庭もさっぱりした。
地面まで陽が差し込み土も元気になる。

暖かくなるにつれ芽が出る野草や草木。春が待ち遠しい。

 

 

Vol.50「endless thema - 45」(10年02月)

-------1995.0117/出来る事は
大寒あたりからクリスマスローズの芽が大きくなりかけた。
遅咲きのオリエンタリス系のクリスマスローズの他に、
一見不思議な形のフェチダスというクリスマスローズの鉢植えがある。
木立で少し白みがかった小さな鈴のような花がたくさん咲く。


先月12日にハイチで大規模な地震があり、街は壊滅状態に至っている。
15年前の1月17日未明、関西は阪神淡路大震災に見舞われた。
京都も大きく揺れ、報道によって近畿圏で大変な事態が起きた事が
日増しにはっきりしてきた。早々に神戸市住宅局の建築部は、
同24日付けで「建築相談ボランティアセンター」を設置した。
他府県からの応援に関しては、一部の交通手段の不通やごったがえした状況もあり
無理しない程度の協力を要請していた。

被災状況は毎日のようにマスコミを通じて報道され、
その被災の大きさが伝わってきていた。
交通網の普及状況を待ち、当時毎週末、朝五時起きで
握り飯を持って女房と現地に行った。
目的は一般市民の不安解消のための建築相談ボランティア。
三宮にある神戸市役所の建築相談ボランティアセンターに行き、
歩いて動ける範囲の一般からの相談依頼書を受け取り、
主に中央区を中心に時には東灘区まで足を運んだ。
報道でも流れていたが、当の神戸市役所の建物自体渡り廊下でつながっていた
別棟の低層部の何層目だったか、中間層の柱が剪断破壊により崩壊し
一層分圧しつぶれた状態となっていた。
高層部の一号館は破損も少なく使用可能となっており
情報基地としても使用されていた。
1階のロビーには誰でも使用できる何台もの電話や連絡用の掲示板等があり、
知り合いなどの情報を得るために多くの人たちでごった返していたと記憶している。

階段で途中まで行き、そのあと何階かからは非常用だったと思うのだがEVにて上がった。
当時の市の書類に依ると建築相談ボランティアセンターは23階会議室と書かれている。
途中の低層部の破損した部分を横目で見ながら階段の昇り降り。
その一層圧しつぶれた階を見て通るときの心境をどう表現していいか、
かなり衝撃を受けたことを思い浮かべる。

自身の住む街が被害に遭い、混乱の最中に自分に出来る事は、
近隣で暮らすひとびとのメンタルケアー的な不安からの開放だろう。
破損もそれほどでもないような建物でも、襖が動かないのはどんな理由か、
壁の大きく空いたモルタルの隙間がなんであるのか、
床が下がっている気がするが大丈夫か、天井のひびは、今度揺れたら・・・・。
ちょっとしたことからでも不安は大きくなる。

話を交わし理由が解れば不安は薄れるということ。
それほど大したことができると思っている訳ではないが、
少なくとも専門的な立場で出来る範囲の知識で支えになれるかということだろう。
世界各地で起こる地震による被害を見るたびに記憶の片隅から呼び起こされてくる。

 

 

Vol.49「endless thema - 44」(10年01月)

-------2010/早々
早々の1月号には新年にちなんだ事を書くのが良いかどうかどうも迷う。
大半が、皆知っている分かっているってことが多いと言うこともある。
で、平常心ならず平常文でいこうと思うのだが、
当然のことながら新年にあやかることに遭遇する事もある。
なんだか今年は屁理屈で始まってしまった。

冬の夜空は透明感があり深く高く感じられる。
星がきらめき宇宙にはこんなに沢山星が有るのかと思う程である。
2階にあるもの干場となっているサンルームからの夜空は
月明かりで意外と明るく月の姿もなかなか美しいものだ。
星のかがやきは何万光年も前に放った光が今とどく。
宇宙ものの映画を想像しながら
言葉や理屈では分かったつもりにはなっているが実感はない。
深く考える事もなく、そう言うものだと感じ取れればいい。
宇宙の端は?と聞かれてもどう答えていいか分からないが、
何故か漠然と分かったように思っているのは不思議な感覚だ。
暮れの大掃除というわけではなかったのだがコンロを磨いた。
こんな写真を出すと女房に叱られそうだが・・。
実際チェックが入り研削されてしまった。
汚しまくりそしてとびきり綺麗に磨く。
当たり前だが、ものは汚れ傷つきそして自然に劣化していくものである。
そして完全なものはない。あとはどうやって手をかけていくかが重要である。
ゴトクを外し、コンロの口金や防護キャップなどをはずす。
本体のパンを持ち上げずらし廻りのゴムパットをはずず。
まずは、口金やキャップから磨き始める。
汚れは熱で焼き入れしたようになり簡単には落ちない。
使用前に戻すのは不可能なことだ。
難しく考えずにどのへんで妥協できるかで充分。
変色劣化意外のベタつきやこびりついたものを中心に落としていく。
落とそうと思う箇所の廻りを力を入れ磨くよりは、
軽くこきざみにその部分だけ磨くほうが意外によく落ちる。
そして多少のキズはあまり考えずに磨く。
うちはかれこれ十六年程だが、
長年使っているとコンロが不完全燃焼を起こしている場合がある。
本来、炎は青白いものだが炎の先端がオレンジ色になっている場合がある。
コンロの本体には空気が上がってくる穴を廻るように
周囲にガスが出て来る溝が廻っている。
長く使っているとこの溝の部分に金属などが劣化し
錆びなどの微粒子がたまり、燃焼に支障をきたす。
炎のオレンジ色となった部分の大きさをみて
時折この溝のなかを細長いブラシなどでこすり、
ススや錆びなど溜った塵埃を掃除機で吸ってやると、
ガスの廻り込みもよくなり効率が良くなる。
無駄に資源を使うことを考えると、手入れは安いものである。
ん、綺麗になった。
修理やメンテナンスに手をかける事は、
手間のようで結局は無駄やつまらぬ出費を押さえる事にもつながる。
多少大袈裟な言い方かもしれないが、
しいては今社会的問題となっている資源やCO2の削減にも繋がっていく。
環境や資源の問題は単に社会的現象として採り上げられていることだけではなく、
個人的レベルですることが身の回りには多々ある。
なにを思い、どうとりあげそしてどう実行するかだろうか。

 

 

Vol.48「endless thema - 43」(09年12月)

-------冬支度
ヤブコウジの実が真っ赤になっている。カニシャボの花芽もふくらみ始めた。
玄関先の椿のワビスケも一花咲いたが、生け垣のサザンカが例年になく咲きが悪い。
毎年今頃になるとちらほらと生け垣をにぎわせているのだが・・・。
視野のなかにひらひらと動くものが入って来た。
胴体が少し太いが触覚の先や昼間と言う事も有り蝶だと思う。
シジミチョウの仲間だと思うのだが青く光沢をもった羽がきらきらとかがやいている。
湿った羽を太陽の日差しで乾かしているのだろうか。
この季節にしては珍しいように思うが、
なかには一年を通して生息するものや成虫のままで越冬するものもいる。
植物園も近いしふらふらとやって来て迷ってしまったのかもしれない。

ヤブコウジ

カニシャボ

ワビスケ

サザンカ

シジミチョウの仲間?
近頃、一日の終が早くなったと感じる。
寒くなるにつれ、日々平穏な暖かい陽だまりが恋しくなってくる。
太陽の高度は低くなり仕事場に差し込む午後の日差しは日増しに短くなり、
冬のうつろいを思う。

そろそろ、寒さが苦手な庭の鉢植えを部屋の中に入れなければならない。
手狭な部屋の中、とたんににぎやかになることだろう。
我が家の冬支度のひとつ。

一、二ヶ月程前だったと記憶しているのだが朝日新聞天声人語のコラムに
「追われ心」という言葉が有ると書いてあった。
意味は、いつも何かに追われるように先を急ぐ気分と言う事だそうだ。
なるほどって思うとき、ん、意外とよくある。
ストレスやらプレッシャーやら、よくはわからないが、ついついそんな気分となっている。

仕事場に置いていたアロマウォーマーをミスト式のアロマディフューザーにした。
リラックスしたいときやリフレッシュや集中したいときなど、
それぞれのシーンにあわせたエッセンシャルオイルも出ている。
水を入れ、エッセンシャルオイルを数滴たらし、スイッチを入れる。
これだけの動作でも=匂いとなり、脳は刺激を感じ次のシーンをイメージをする。

アロマディフューザー

アロマディフューザー
それに冬は暖房器具を使う。部屋の空気も乾燥しがちである。
手軽な加湿で気分もリフレッシュ。
乾燥した部屋の空気による不快感から少しは開放される。
気持も元気になれば免疫力もアップ?かどうかは別にしても、
心身少しでもいたわりながら、気持よく一日を過ごせるようにする。
それがまた明日へとつづくということを思って。

 

 

 

Vol.47「endless thema - 42」(09年11月)

-------畳/グッドテイスト
人づてで、以前にテナントで借りていたビルの取り壊しが始まったことを聞いた。
まあ耐震的にも問題が有ったし特にアスベストが使われているビルで
使うに使えないという状況があることは仕方のない事で、
少し寂しい気がするのは当事者だった者だけだろう。
新しい何かが建って景観も変わり目新しさもしばらく、
それがずぅ~と前からそこにあったかのように記憶されて行く。
近所でも更地になっているのを見て前は何だったかなと考えてもなかなか思い出せない。
写真でもない限りは前のことは忘れ去られていく。そういうものだ。

ホトトギス

毒キノコ?
近頃は街角でもよく見かけるようになった山野草ホトトギス。漢字で杜鵑草と書く。
うちは少し遅めで庭のあちこちで咲いている。
強い日差しをさけ湿潤な場所でよく育ち、11月初旬が見納めだろう。
赤紫色の斑点が杜鵑の胸の模様に似ている事からこの名があるのだとか。
水やりをしながら植木棚の鉢をずらしたところ、鉢の脇からキノコがはえていた。
キノコの図鑑でも有ればこんなときに役立つのだが、
毒キノコ?かも知れず、そのままにしておくことにした。

大徳寺 本坊
近くの大徳寺にお出入りの畳屋さんに畳の話をしてもらえるということで、
本坊の虫干しにいって方丈を参拝して来た。
伝統的建造物である堂宮や町家などで使用する畳床は
ワラ床とよばれるワラだけを使ったものが多い。厚みは一寸八分程である。
ここ大徳寺方丈は二寸八分あり、驚く事にワラ床自体は
寛永十三年のものがあり今でも使われているという。
板敷きのハードなタッチに比べ微妙に手応えのある柔らかさが足に伝わる。
直に立ったり座ったりとそのやわらかい感触はさすがにいい。
それは現代のものに比べてかなりやわらかい。
畳屋さんの話によると年代を経ていると言うだけでなく、
座布団の習慣がない時代でやわらかいのだとか。
現存以外の畳の硬さもこれに合わせるのだとか。
これが大変な仕事らしい。
写真は綿や麻で織られた畳縁と一尺角のお茵(おしとね)。

畳縁1

畳縁2

お茵(おしとね)
今でもワラ床は使うが一般住宅等では化学畳と呼ばれる
スタイロフォームなどの芯を使用したものが主流でちょっと硬いが、
その種類は豊富で多種に及び使用に際しては
目的に合わせ好みのものを選択するのがいいだろう。

私も畳は好みである。
畳=和室と考えている訳ではないが、洋間ばかりの住居をみては
「年とったら畳が恋しくなるから、和室は必要。」
などと若い頃からよく口にしている。
ごろっとなる感覚はソファーでは決して味わえないし、
寝っころがるという日本人独特の感性である。
足元から伝わる心地よさはフローリングやカーペットの類いでは決して味わえない。
勿論、座るにも歩くにも手頃なやわらかさでグッドテイストだ。
素足にい草。あらためて伝統文化のしたたかな継承ときめ細やかな魅力に心を揺らされる。