人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.127「endless thema - 122」(16年07月)

 

--------七月/白南風・・・日々のくらし

 

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フウチソウ

 

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アゲハチョウの若齢幼虫

 

玄関先に置いたフウチソウが風に揺れている。風知草と書く。
見つけるのが難しい程の穂のような花は、秋風を感じる頃になると咲き始める。
先月号に登場したアゲハチョウの幼虫はどこにいったのか。
うまく蛹となり巣だっていったのか心配である。
レモンの木の葉っぱにはまた新たに数匹の幼虫が生まれていた。
若齢のときはいがいがした茶色をしているが、四五回脱皮を繰り返すうちに緑色した幼虫になってくる。 夏の日差しは南からの風を運んで来る。
木陰を横切る白南風 (shirahae) もうれしい季節になった。

 

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サラダそら豆ファーベ

 

旬の遠のいたそら豆だが、生でも食べられるファーベというサラダそら豆は少し青臭い気もするが甘みはある。
サヤは湯がいてチーズに挟んで焼くとうまい。
ついでに、そら豆はしっとりタイプとほくほくタイプがある。
早い目の収穫のしっとりタイプは一分半から二分湯がくのがベストとか。
見分け方は豆の肩の凹みが黒くなるとほくほくになる。
黒くなるのは豆が栄養を補給している柄がはずれ酸化するからだそうだ。
この柄は栄養満点になると自然にはずれるらしい。実に自然は巧く出来ている。
サヤを剥いて柄が外れていたらほくほくタイプで三分ゆでるのがベストらしい。
私は皮ごと食べるが、皮の甘みは身の1.5倍あるそうだ。
ちなみにポルフェノールも皮のほうが多いらしい。
サヤの合わせ目の部分が黒ずんでいると、ほくほくタイプになるそうだ。
普通のそら豆のサヤのワタの部分も美味いらしい。
ワタの多いしっとりタイプのほうをサヤごと焼く。とろっとして甘くなるのだそうだ。
豆はそのまま食べ、とろっとしたわたをスプーンでほじって食べる。お試しあれ。
(6月8日放送 NHK ためしてがってんより)

梅雨時に繁殖するのがカビだ。
一般的にカビは気温20℃から25℃で湿度65%以上のときに繁殖し易い。
特に浴室廻りは黒カビが多い。
浴室洗いはざらつきを洗い流し水気を拭き取り、換気扇を廻しながらサーキュレーターで二〜三時間乾かし、カビがなるべく表面に定着しずらい環境にしておく。
水気を拭き取った後は一〜三ヶ月に一度のわりで目地や入り隅や排水溝蓋などに消毒用アルコールをスプレーしておく。
ウチではこれだけだが繁殖は抑えられる。
6月14日の「NHK ためしてがってん」で、黒カビの撲滅作戦を放映していた。
室内は低温や乾燥ではなく65℃の熱風でほぼいけるらしいが難しいので、浴室などは50℃の温水を5秒間、一週間に一度程度当てると表面のカビは死滅する。
そして50℃で90秒間あてれば目地の内部0.2mm〜0.3mmに繁殖したカビも死滅するそうだ。
表面に残った黒ずみは目地シールなどで補修しておく。
「予防は週一 50℃ 5秒、退治は50℃ 90秒」 が目安である。
「日々のメンテが一番、建物の維持管理は早めに!」といったところだろうか。

 

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イラガ

 

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センリョウの蕾と花

 

奄美地方は先月中旬に梅雨明けした。
このころに吹く季節風を沖縄では真南風(マハエ)と呼ぶ。
白い砂浜や夏のまばゆいばかりの日差しと重なりあう。
今朝、昨夜の雨で濡れた羽根を乾かしているのか、イラガが網戸に止まっていた。
日も暮れるころまでじっとしていたが、知らぬ間にいなくなってしまった。
前庭のセンリョウの花が咲いている。
朱色がかった赤い実の成るセンリョウだが、一見、見過ごしそうな実のような小さな花は、淡い黄色い蕾からはじけるように頭の黒い白色の丸い花が咲く。
今年も沢山の実が成ることだろう。

世界遺産・糺ノ森に計画された倉庫の行政訴訟が行なわれると報道された。
ふと、マンション建設のほうの騒動はどうなったのかと思いを馳せる。
計画地に隣接して点在する巨大なコンクリートの近代建築や決して伝統的とは言いがたい建物や劣悪とも思える建物も肩を並べ視野を横切る。
周辺の緩衝地帯に建つ建物のことを先に批評し、それにふさわしい整備を促し、その上で論ずる経緯が望ましかったのではないかと思える。
世界遺産としての糺ノ森のバッファゾーンにはこれはダメだろうとも思える建物や構造物その他も点在している。
視線に入るものはその整備もふまえ、糺ノ森から穏やかに町並みへとつづいていく風景が望まれる。

 

*****

 

Vol.126「endless thema - 121」(16年06月)

 

--------六月/初夏

 

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レモンの花

 

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アゲハチョウの幼虫

 

少しづつ居場所に馴染んできたレモンの蕾は暖かさにさそわれ咲いている。
食べかけの葉っぱの先にはアゲハチョウの幼虫も大きくなってきた。
アゲハチョウの幼虫は柑橘系の葉っぱを好む。
生まれたての幼虫は黒っぽい焦茶色をしているが、新緑の青葉を頬張りつづけ、大きくなるにつれて葉色になってくる。
背中の黒い縞模様はその名残かどうかは不明だが、巣立って行くのが楽しみである。

 

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ル・コルビジェのインドとHOME vol.02

 

東京上野にある国立西洋美術館が今年七月に世界遺産に登録されると報道された。
国立西洋美術館ル・コルビュジェ/1887-1965 の日本では唯一の建築である。
コルビュジェの図面をもとに門下生であった前川國男、坂倉順三、吉阪隆正が図面のまとめと監理を行なった。
アーメダバードの美術館同様に「無限に成長する美術館」というコンセプトに基き計画され、後にチャンディーガルの美術館でもこのコンセプトが採用されている。
空間構成上窓が採れないため、内部空間はトップライトやサイドライトを多用した自然光のある空間で計画されている。
1951年、コルビュジェは65歳のときに、独立間もないインド政府からの要望でチャンディーガルの都市に望んだ。
サヴォワ邸/1931 に代表される近代建築の5原則である自由な平面、自由な立面、水平連続窓、ピロティー、屋上庭園やドミノと呼ばれる床スラブを直接柱で支える構造の提案そしてモデュロールで知られているコルビジェだがチャンディーガルという異空間と呼んでいいのか別世界のような街を作り上げた。
インドの持つ特異性を機能させる空間は時代とともに定着している。
シンプルで美しい近代建築とは別のもうひとつのコルビュジェ、と言うよりチャンディーガルの建築群にコルビュジェの進化をみるようだ。
同年代のコルビュジェの代表作でもあるフランス東部ロンシャン地方の丘の上に建つロンシャンの礼拝堂 /1955 はチャンディーガルで創り続けた建築を彷彿させる魂の建築である。

言うまでもなくこの巨匠も小住宅を創るのがうまい。
なかでもコルビジェが妻の為に建てたちいさくて楽しいマルタンの休暇小屋/1951 や、穏やかな午後のひとときのような空気を感じるスイスのレマン湖の畔に建つ両親のために創られた「小さな家」/1924 は優しく創られている。
「小さな家」は鉄筋コンクリート造でありながら驚く程の細長い窓から見える風景や日差し、庭の片隅にある大木の下には高い塀があり湖をながめるためにあけられたピクチャーウインドウのような窓とテーブル。
そして小高いところに猫しか行けないキャットウォークがありその先にある湖の見える小さな猫の為の小さな物見台。
また、母親の愛犬が通りを見るための小さな窓など、コルビュジェの優しさそのものである。
巨匠ル・コルュビジェから学びそして得ることはあまりにも沢山有りすぎる。
機会があるごとに触れていこうと考えている。


【資料】
ル・コルビュジェのインド/彰国社 2005.6
Le Corbusier as Primitive Design/エクスナレッジ HOME vol.02
ル・コルビュジェの全住宅/2001年東京大学工学部建築学安藤忠雄研究室 編
住宅巡礼/中村好文 新潮社
ku:nel vol.18/マガジンハウス
ユリイカ臨時増刊 総特集 ル・コルビュジェ青土社
建築文化 ル・コルビュジェ百科 no.651/彰国社

 

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ユキノシタ

 

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ハクチョウゲ

 

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ハツユキカズラ

 

前庭の窓先の木陰にはユキノシタが咲いている。
毎年少しづつ群をなしてきた。生け垣を抜ける爽やかな風に気持が良さそうだ。
お隣さん側に顔を出しているハクチョウゲも元気がいい。
陽当たりは悪いが生け垣の狭間から小さな花びらが顔をだしている。
石積みの間に植えたハツユキカズラも咲いている。
風車のような花びらは初夏の風が吹くたび、今にも廻り出しそうにみえる。

 

*****

 

Vol.125「endless thema - 120」(16年05月)

 

--------五月/初夏へとゆきあう

 

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のらぼう菜

 

のらぼう菜と言う野菜が届いた。
飢饉を救った野菜ということで、あきる野市の子生神社には「野良坊菜の碑」があり、江戸時代中期に領主が栽培を奨励し天明天保の大飢饉に人々の命を救ったことが刻まれている。
アブラナ科で菜の花のようにトウ立ちした部分を摘み取って食べる「かき菜」の一種。
(らでぃしゅぼーやのチラシより)空き瓶にいれ水に浸してみた。
菜の花のような、蕾と同じ黄色の花が咲く。

 

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はるか桜

 

ことしは桜の開花が例年に比べ早かったようだ。
先月26日には日本列島最終の開花となる札幌や室蘭でも一週間以上も早く咲き始めたとニュースで聞いた。
京都府庁旧本館(バックナンバー 2014年4月号、2014年5月号)に容保桜(かたもりさくら)を観にいった。
毎年催されている観桜祭も終り間もない頃、葉桜になりかけの花びらの舞うころを見計らったのだが時季遅しだった。
京都府庁旧本館の正面を入って中庭の右手奥には昨年はなかった「はるか桜」という八重桜が加わっていた。
観桜祭のパンフレットには「NHK大河ドラマに因み綾瀬はるかさんが命名された新種の桜。
福島県から復興を応援するシンボルとして寄贈されました。」とある。
かろうじてしなやかな花が数輪残っていた。

 

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ツグミ

 

舞った花びらは春色の絨毯となり、葉桜となった桜もまたうつくしい。
寒い地域に帰って行く途中だろうかツグミが桜の木の下で動き回っては止まり、また跳ねるように動いている。
黒い目尻に褐色がかった羽根と胸から脇に黒い斑点模様で二十センチほどの大きさだ。
中庭には、中央にある円山公園の初代しだれ桜の孫にあたる祇園しだれ桜。
向かって右奥の八重桜のはるか桜と中庭では一番遅くまで咲いている紅八重しだれ桜。
右手前の小輪で淡紅色をした紅一重しだれ桜。
左手前の花びらが五つに分かれた白または微紅色の大島桜が二本と幕末の京都守護職松平容保にちなんで命名された容保桜と六種見られる。
京都府庁旧本館観桜祭のパンフレットより。)

 

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紫明会館の桜の古木

 

少し開花が遅れる京都府立植物園の北大路から北山までの賀茂川沿いの半木の路には枝垂れ桜が植えられている。
今年はずいぶんと長く咲いていた。桜の花びらの舞う晩春の風景はこころ惹かれる。
去年の11月号に書いた紫明通にある紫明会舘の古木の桜も咲き誇っていた。
今年もいろいろな桜を観ることが出来た。
紫明通の中央にある紫明せせらぎ公園も少しづつ夏色に変わりつつ有る。
もうそんな季節になった。

 

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カレリアパイ

 

今日は初夏を思わす清々しい日。のんびりした休日の遅い目の朝食だ。
北欧パンのキートス(バックナンバー 2006年 9月号)のカレリアパイ。
正確にはカリャランピーラッカというフィンランドのカレリア地方の伝統料理である。
薄くのばしたライ麦の生地に、ミルク粥を包み焼き上げてある。
これに溶かしたバターをきざんだゆでたまごにまぜたムナボイというものをのせる。
オーブントースターで焼くとライ麦のこうばしい香りがなんともいい。
うちではオーブントースターで軽く焼きムナボイをのせる。
キートスは坊城通の四条を北へ、公園を超えたあたりに右手に見える。
フィンランドの国旗とブルーが目印。

 

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ホウチャクソウ

 

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シラユキゲシとミヤコワスレ

 

裏庭のあちこちで勢力を伸ばしているホウチャクソウはアスパラのような芽が出ていたが、あっという間に大きくなり花も白くなった。
軒先に吊るされたの風鐸のように、初夏の風にそよぎ静かに揺れ始める。
塀際のシラユキゲシも、朝のさわやかな風になびいている。
ネギ坊主のような蕾も沢山出ている。そのあいだからミヤコワスレも咲いている。
晩春と初夏がゆきかい、暖かさから木陰がうれしい季節へと移りゆく。

 

*****

 

Vol.124「endless thema - 119」(16年04月)

 

--------四月/長閑にうららかおだやかに

 

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クリスマスローズ

 

今か今かと首をもたげていた鉢植えのクリスマスローズも突然のように咲き始めた。
春のうららかな日差しに呼応しているかのようなクリスマスローズは少しうつむき加減にはにかむように咲いている。
鏡をまえに髭をカットしながら、以前に心理学者の植木理恵さんは「ナルシシストは芸術家に必要な資質である。」と、そして環境学者の武田邦彦さんは「辛いところから逃げるのが正しい人間の生き方。」とおっしゃっているのを思いだした。
なかなか興味深い言葉である。
ちなみに髪はカットが面倒で見苦しいほどに伸びると切羽詰まり小綺麗に整えるている。
髭も同じ。と言いつつも、気にしつつ今日も整える日々である。

視線の広がる空間に一台の車が置かれたTVのCFのラストのシーン。
コンクリート打ち放しのフォルムの美しい建物の残像が残る。
ルイス・I・カーン(1901–1974)設計のソーク生物学研究所(カリフォルニア USA /1950ー1965)である。
打ち放しのコンクリートの建物は中央の広場を挟んでシンメトリックに配置されている。
オーク材などの木質系で構成された窓廻りとコンクリートコントラストはカリフォルニアの青い空を一層際立て、美しい風景を造り出している。
カスケードと呼ばれる水路が有るだけの広場には大きく深く呼吸をしたくなるような風が吹き抜ける。

映画「マイ・アーキテクト( MY ARCHITECT/A Son's Journey)」を思い出し、パンフレットを捲ってみた。
ソーク生物学研究所は小児ワクチンの発明で知られるジョナス・ソーク博士の設立した施設であり、「ソーク博士は、研究者たちが同じ場所で同じ時間を過ごしていることを自然に感じ取れる修道院のような中庭と回廊をもつ空間の実現をカーンに求めた。」
そして「メキシコの建築家ルイス・バラガンの助言を得て、植栽のないドライな広場として残された中庭にはカスケード(水路)がひかれた。」※2。
バラガンは「空へのファサード」※1という言葉を贈っている。

広場とカスケードは、私の学生のときのエスキースの課題の記憶も重なる。
お茶の水校舎に移行し間もない、まだカーンとソーク研究所のことも知識にないときの私自身でもある。
元気にしてくれる学生時代の記憶である。

世界的な建築家はみな小住宅を創るのも巧い。
同じくカーンも小住宅を創るのは巧い。
なかでも、オーク材をふんだんに使ったフィラデルフィア郊外ハットボーローに建つフィッシャー邸(1950ー1957)や窓から差し込むグレアーの程よいチェストナット・ヒルに建つエシェリック邸(1959−1961)は素晴らしい。
どんな建物でも住まいと呼んだカーンは長く使い続けていける数々の魅了する空間を造り出した。
耳を傾け、絶え間のない情熱をかけつづけることの偉大さを学ぶ。

 

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マイ・アーキテクトのパンフとLouis I. Kahn Houses

 

写真の書籍は見開きが建築家 齋藤裕氏の美しい写真と文で綴られた
「Louis I. Kahn Houses/ルイス・カーンの全住宅1940−1974」(写真・著/齋藤裕 2003年 TOTO出版)※1、下に見えるのが映画マイ・アーキテクトのパンフレット※2である。

 

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八重のツバキ

 

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ジンチョウゲ

 

裏庭に置いた八重のツバキは先月中頃に開いた。
我が家には珍しい春色の花びらは幾重にも重なり花やかだ。
その重なり合う花びらは時間をかけ少しづつ開花する。
ツバキと思えないほどの花やいだ姿をしている。
前庭のマイペースなジンチョウゲも沢山の花をつけた。
小さな花が沢山寄り集まって白い花帽子のようである。
開けた窓からは馥郁しい香りとともに季節も届けてくれる。
先月二十三日には、京都でも桜の開花宣言が発表された。
春の暖かい日差しと花曇りのなか白い花びらは舞う。
何とも言えぬ春先のけだるいアンニュイさが好きである。

 

*****

 

Vol.123「endless thema - 118」(16年03月)

 

--------三月/早春淡々淡

 

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バイモユリ

 

立春から一ヶ月余が過ぎた。
時折早春らしい日差しも感じられるようになったが、裏庭はまだ冬の名残がつづいている。
エビネは一月末の氷点下で鉢に残った雪が凍りつき葉の痛みが目立つ。
植木棚に置いた一粒だけ残ったヤブコウジは冬色の葉々のまま暖かくなるのを待っている。
少し前に新町通りの花屋さんでみつけたバイモユリは部屋のあたたかさからか、まだ少し早いのに蕾は育ち次々と咲いている。
バイモユリはユリ科の植物で、和名を貝母 baimoまたは編笠百合 amigasayuri と呼ばれ、寒さには平気だが高温多湿が苦手な夏休みタイプ。
細い葉の先がカールしてチャーミングだ。

先月三日の節分の日、朝日新聞の連載300回目となった鷲田清一氏のコラム「折々のことば」に、梅原猛氏の「福は内 鬼も内」が紹介されていた。
創るということは内から突き上げてくるものに身を開いておくことで、一種の鬼を自分の中に持っていなければ優れた仕事はできない…というようなことが書かれていた。
内にある鬼は自らのエネルギーを造り出す源なのかもしれない。
そして自らの内面を映し出した分身だろう。

 

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先賢の佇まいは興味深い

 

時折ぺらぺらと捲っている「京が残す/先賢の住まい」前久夫著/京都新聞社という書籍がある。
明治以降から昭和五十年前後の京の先賢の住まいが紹介されている。
創作活動の基盤となる佇まいが造り出さす風景は興味深い。
なかに大正十三年に建てられた本野精吾(1882ー1994)の自宅も紹介されている。
著名な先賢の立派な住まいが多い中、コンパクトで機能的な住まいである。
本野精吾はドイツに留学した際、ペーター・ベーレンスの影響を受けた建築家である。
中村式鉄筋コンクリートブロック造を用いた京都北区の等持院に位置する住まいは、当時中村鎮の考案したばかりの新しい構造をいち早く取り入れている。
素地そのままのシンプルで端正な外観と外部空間は時を重ねるごとに美しい風景をも創り出しているようだが、建物周囲の空間はもう少しオープンで日が差し込み、芝生に反射した光が眩しい、そんなイメージにも思える。
当時はまだモダニズムと評される時代ではなく、模索のなかで様式化していく近代建築が息吹いている。
築90年余の歳月とともに佇んできた空間は錆びることはない。

建築家でもある中村鎮 ( nakamura mamoru/1890ー1933 ) が開発した中村式鉄筋コンクリートブロック造はL字型やF字型の定型ブロックを用い、型枠を兼ね、柱となる部分に鉄筋を配しコンクリートを打設する。
空洞部には設備関係の配管が可能で断熱効果を高めるための諸材を詰めたと聞く。
また、中村式コンクリートブロックは、スラブにも箱形に組合わせたブロックを打ち込み軽量化をも提案している。

本野精吾の手がけた建物は、京都市考古資料館 ( 旧 西陣織物舘 1915 )、自邸 ( 1924 )、栗原邸 ( 旧 鶴巻邸 1929 )、京都工芸繊維大学3号館 ( 旧 京都高等工芸学校本館 1930 ) が現存し、うち住宅二棟に中村式鉄筋コンクリートブロック造が用いられている。
本野精吾についてはINAXレポートのNO.171でも紹介されている。
本野精吾は建築とその教育の枠を超え、舞台や船舶のデザイン、インテリアや家具、グラフィックや装飾に至まで幅広いデザインにも関わりつづけた。

 

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白花のクリスマスローズ

 

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紫色から咲くクリスマスローズ

 

今年も早、啓蟄そして春分を迎える。
冬眠していた虫が地面から顔を出し始める時季は暦の上だが、うきうきと待遠しくなるような心持ちを表している。
白花のクリスマスローズの蕾が首をもたげている。
四色植えのクリスマスローズの鉢はもう紫の花が開き他の色の蕾も大きくなってきた。
その鉢の近くには種がこぼれ地面からもクリスマスローズの葉が出ている。
こぼれた花は何色になるのだろうか楽しみである。
少しづつ光や空気は変わり、春の匂いがしてくる。

 

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Vol.122「endless thema - 117」(16年02月)

 

--------二月/日々の暮らし健やかに

 

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ツルハナナス

 

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ジンチョウゲの蕾

 

昨年来の天候変動が影響しているのか庭のモチノキやセンリョウは実がかなり少ないようだ。
さほど気に留めることもなく見過ごしていたが、裏庭のヤブコウジも花も少なかったが実も今は一粒だけとなった。
それに比べ、ツルハナナスは相変わらず咲きつづけ、ジンチョウゲは満開になりそうな気配である。
ジンチョウゲの蕾はまだ青いが、少しづつだが白みを帯び始めている。
世話人に似てか、自己中心的よく言えばマイペースのご様子。
そう言えばこのマンスリーホットラインの先月号のBickie様のコラムに自己の欠点とあり、興味深く読ませて頂いた。
気質はなかなか変わるものではないが、心して過ごすことが大事だと肝に命じることにした。

 

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ルリタテハの抜け殻

 

昨年は裏庭で沢山のルリタテハが巣立っていった。
窓際に置いたカンノンチクの葉に空蝉ならぬ空ルリタテハを見つけた。
寒さの苦手なカンノンチクの冬支度で室内に移動してあったのだが、こんなところにも。
あれから数ヶ月ほど経つが、気がつくにも程がある程うまくぶら下がっている。
ルリタテハホトトギスの葉を好んで食べる。
ルリタテハが食べて葉のなくなったその茎には新しく葉も育ち、先には蕾ができ花も咲いた。
タイワンホトトギスという種で十一月も末近くまで咲いていたが、短い間に自然はエネルギッシュである。

人があまり手をかけることなく自然のまま過ぎていくことも大事だ。
天変地異の平常さのない自然はいつもではない時が流れているように思う。
数ヶ月前に虚心坦懐となる世になることを願い護摩木に書いた。
地球に住む人々や生き物だけでなく、自然も落ち着きを取り戻す日が来ることを願いたい。

 

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新聞の切り抜き

 

朝日新聞に連載されている夏目漱石の「門」には、第1と第2の月曜の朝刊に解説とあらすじが掲載される。
何気なく切り抜いて机の上に置いてあった宗助と御米の住んだ家の間取りを眺めながら。
東向きの座敷は方向性があり茶の間や台所と微かに隔たりを持つ落ち着いた空間にみえる。
南側の縁に面している一間巾を押入にしてあるのがわかる。
ここを障子にすれば南からの光で明るい空間も出来るが、日差しを抑えることで茶の間から入る午後の日差しだけでざわめきを感じない落ち着きを作り出しているようにみえる。

話では借家の設定だが、小さいながらも平屋の住居は、通常の暮らしに影響の少ない多少の導線の交差より、部屋で過ごす居心地を大事にしているように思える。
窓先の空間には余裕もありそれぞれが外部空間と繋がりながらプライバシーがある。
良き時代の質素だが穏やかなたたずまいからは、四角い家が連なる街並みとはまた別の一風違ったゆっくりと時間の流れていく風景を思い描く。

 

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セリ

 

先月下旬には突然の大寒波が日本列島に押し寄せ京都でも氷点下となったが、エルニーニョの影響から暖かさは足早にやって来るという。
仕事場の窓から見える松の木に、久しぶりに少し小ぶりのヒヨドリがやってきた。
しばらくの間見なかったが、首を小刻みに動かし休む暇もなく慌ただしく飛んで行った。
キッチンに置いたセリは部屋の暖かさも加わり、食べた後から新芽はどんどんと育つ。
近頃、店頭には時季を問わず並ぶことも多い野菜や果物。
まだまだ遠い春を思いながらセリの芽を眺めながらのティータイムといったところである。

 

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Vol.121「endless thema - 116」(16年01月)

 

--------初月/冬花彩彩

 

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詩仙堂サザンカ

 

京都一乗寺白川通を東に坂をいくと詩仙堂がある。
門を覆うような白花のサザンカの見事さに驚かされる。
澄んだようにみえる冬色の白は季節を装う。
門越しに石段が見え、その先にある無比な出来事を思い浮かべながらのアプローチは静かに心いそぐ風景である。
我が家の生け垣のサザンカは初冬のころから咲いている。
毎年うす桃色の花も咲くのだが今冬は白花ばかりが咲いている。
このあたりの伝統的な建物は昭和の初期ぐらいだろうか、低い石積みに生け垣という小さな前庭のある造りが多い。
茶花にも使われるサザンカだが、庭園や生け垣に使われる。
近所を歩けば時代を生き抜いてきたそんな趣きのある風景にしばしば出会うことができたのだが、気がつけば真新しい姿に変わっていることも多い。
時と共に面影は薄れ、そんなそこはかとない町並みになっていく気もする。

 

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ワビスケ

 

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八重の椿の蕾

 

我が家の前庭のシロワビスケは冬支度を始める頃から咲きつづけている。
空気が澄み息が白くなる朝を迎える頃に咲き始めるワビスケであるが、山茶始開とはうらはらにマイペースである。
顔を近づけないと分からないほどに微かに香る。
裏庭の遅咲きの八重のツバキの蕾ははち切れんばかりにふっくらしている。
二月頃には淡桃色の重なり合う花びらが開く。
温度湿度や周囲の環境に左右される草木花であるが、昨年暮れにかけてのスーパーエルニーニョをはるかに超える現象は気温が高く晴れが少なく雨が多く、春夏秋冬入り乱れた変化に惑わさているようだ。
季節外れもあり、早咲きもあれば遅咲きもある。
あっという間もあれば長く咲いていることもしばしば。
人それぞれと同じで草木花もそれぞれ。

 

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(1)河文/水かがみの間

 

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(2)京都とらや菓寮

 

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(3)化粧棰

 

毎年の賀状には、その年の干支名がつく建築語彙を紹介することが多い。
今年は「さる」で猿頬面(さるぼうめん)。
大きめの斜めにカットされた面のことを言う。
(1)は河文/水かがみの間(谷口吉郎設計 1972年/バックナンバー 2007年9月号参照)の縁部分に用いられた天井の棹縁。
細い材をより細く見せた猿頬面の棹縁と同じ方向に流れる杉柾目の天井板との繊細なデザインである。
(2)はバックナンバー 2014年1月号2014年10月号でご紹介した京都とらや菓寮(内藤廣設計 2009年)の化粧棰。
繁棰の少し扁平ぎみに見える形状だが力強い印象を受ける。
(3)は住宅(TEAM87 設計)の化粧棰。
大きめの棰を用いていることもあり猿頬面にしてある。
面を設ける場合に私の手がけた建物では1:1より縦長の比率で設ける場合が多いが、それは見上げの化粧材になることが多く、縦長の矩形に大きめの斜めの面からはやわらかで和らいだ印象を受ける。

 

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丸桁と舟肘木

 

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破風廻り/組物や花肘木も見える

 

写真は以前に御堂を手がけたときの柱上舟肘木の納まりの丸桁 gan-gyo と舟肘木 funa-hijiki の断面である。
入母屋妻入に切妻が重なるように連なる御堂である。
六支掛 rokushi-gake の少し広めの支割 shiwari を受ける舟肘木の下部は緩やかで長めの反りにしてあり、面はどちらもヨコタテ約1:1.166 の比率で、舟肘木中央成のほぼ15.5%になる。
少し余談になるがエレベーション的に、入母屋にはシンプルな柱上舟肘木でゆったりした舟肘木にし、切妻の組み物の載る肘木は穏やかななかにも動的な形状にしてあり、花肘木もついた組物のある特殊な形態である。
破風板の納まりは茅負 kayaoi が妻側に回り込み裏甲 uragou に添って登って行く造りで破風板の木口は力強く感じる。
その分、屋根の箕甲 minokou には平式破風瓦を使い伸びやかな造りにしてある。

 

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ザクロの実

 

自宅から今宮通までの途中にザクロが実るお宅がある。
ザクロは、梅雨から初夏にかけ実と同じ深紅の花が咲く。
暮れに妻と買物帰りの通りすがり、年配のご婦人がザクロの枝を綺麗にされていたので声をかけてみた。
時季も終わるころで小さかったり割れたりとしているが、観賞用に真っ赤に熟している実を頂いてきた。
「早めに声かけて。」と、きっと完熟のおいしい食べごろがあると言う意味だろう。
日も短くなったが、薄暮までの間のような、なごむひとときも頂いてきた。

 

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