人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.4「endless thema -1」(06年4月)

-------「桜門建築会きょうと/設計同人」のスタート

昨年、本会の件で坂本先輩からお誘いを受けたのであるが、
文章を書く事になろうとは思ってもいなかった。
どんなことを書いていいのかわからないまま年を越し、
まあ、気ままな旅のつもりでテーマなどなく、ぐだぐだと、
思いのまま書きつずろうと考えた訳で、
そうすれば完結など考えなくてすむし
書くことも広がる一方ではないかと思ったのが間違いで、
さて、と机に向かったのだが一向に思いつかない。
坂本先輩からは、ヒントなどを頂いたのだが、ちょっと難しすぎて‥‥。

著名な方々の建築論やエッセイなど読ませて貰っていると、
どうも建築家の書くものは言葉や言い回しがかたいというのかやっかいというのか、
強いては解読不可なる文章もあったりで、たぶん皆様も感じられていることでしょう。
楽しく愉快に「もの」が解ればそれにこしたことはないと思うのですが。
と最初に言っておけばもっと気楽に書けるのではと考えつつ、
2002年も10日が過ぎ去ろうとしている。


-------そして今、住宅のリフォームの計画を初めているところである。

クライアントのWさんは、ひとり住まいである。
いまは職場を離れ、昨年から新たに大学に通っている。
休みの日には仲の良いいとこさんがよく遊びに来られて
ここで伴にすごされることが多いらしい。
この家は、緑の多い京都御苑に近接しているためか、
ときおり庭にメジロヒヨドリが枝に止まっているのを目にする。
春先になれば、ウグイスも見かけられる。
勿論、いたずら好きの猫たちの日なたぼっこの場所でもある。
東にも、200メートル程行くと鴨川も流れていて
老後を過ごすにはなかなか良いところである。

敷地内には、既存の使えそうな倉庫が母屋と並んで建っている。
このあいだ約3メートル。
ほどよい距離は、「陽だまりの空間」となりそうな気配である。
(空間としているのは、イメージとしてはインナーともアウターともつかない様な
 テラス風の木製デッキにしたいのだが、土があってもいいかなとも思えるので、
 あえて空間と書いています。)
母屋の南側には、二階のテラス下を利用して広縁を増築し、
この「陽だまりの空間」とうまくかかわりあいながら
過ごすことができればいいのではと考えているところである。

もう一つ、この家には現在はあまり活用されていない庭が北側にある。
この庭を「陽だまりの空間」へアプローチする「日々の通り庭」
(のら?猫が多いので、めだか池はむりかもしれないが、
 のちのちには庭いじりぐらいはできそうな庭。)
として積極的に活用することで、この庭とのかかわりも増してくることだろう。
そして、近接の自然とのかかわりの手助けになればいいと思う。

自然と言えば、近年山林の伐採などいろいろ論議を呼んでいる。
文明の力や、技術の進歩によりくらしの変貌はおおきなものだ。
都市化により炭や薪の文化がなくなり里山や柴山まで変化を遂げている。
そのため、里山や柴山の植物の生態系が崩れ、
むかしの山はほとんど姿を消しているように見受けられる。
昔は暮らしのために、柴を刈り、薪を調達するために必要な樹木を伐採してきた。
それにより山は代謝をつづけてこられた。
私たちは、今、里山や柴山(と、言ってよいのか解らないが。)
そして、ビオトープなどの考え方も含めた
自然環境の再構築のためのカリキュラムを作成し、
人が自然とどう向き合っていくかということを学ばねばならないのではないだろうか。
私もまた小さなことから始めなければならないと思っている。
それは、決して立派な植栽や美しい緑化でなくてもいい、
自然の法則に従い決して過保護にならないように
自然の治癒力に任せた手助けをしていけばいいのではないかと思う。
近ごろは、ビオトープのキットまで購入できる。
陶器製の水槽に水生植物やメダカまでついているらしい。
箱庭的な考えに否定的な人は少なくないが、
これらは自然へのドアなのではないのだろうか。
このドアをあけ第一歩を踏み出していく事も必要なことであるように思える。
そして水辺の生態系や生き物を知るきっかけになればすばらしいことだとも思う。

Wさんの庭もそんなごくごくありふれたシーンがあればいい。
「日々の通り庭」から「陽だまりの空間」へ、そして内部とつながっていくなかで、
暖かさや寒さを感じ、風がそよぎ、陽がふりそそぎ、雨音が聞こえ、
アマガエルやトカゲそして小さな虫たちが住人となれば楽しい。
ここを訪れる人たちの話し声や笑い声が聞こえ、
時間を忘れて過ごせる場所が生まれればいいかなあと、
思いを廻らせているところである。

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母屋と物置きのあいだから北側の庭をみる

 

-------Yさんの小路ーこみちー

哲学者のYさんは、無類の猫好きである。
二匹の猫の名前もすごい。すごすぎて聞いてもすぐに忘れてしまう。
Yさんのお宅に去年一匹のまよい犬が舞い込んできた。
元の飼い主が分からず、新しい飼い主を探していたのだが、なかなか見つからず、
ほっておくことができずに結局自分で飼うこととなったようだ。
この犬の名前は「けん」。
このくらいのなまえであれば私でも覚えられるのだが‥‥‥。

このYさんのお宅のアプローチ(もう一方の泉川通りに接道している
自動車通行不可の公の小路(こみち)ではあるが)の南側に大きな樹木が育っている。
一時、この樹木が伐採されるということを聞いたYさん夫妻は、
ずいぶんと心配をされていた。
結局は、少しの枝の刈込みだけですんだようでホッとされていた。
このアプローチには、ほかにもたくさんの小植物が育っている。
そして私もここを訪れる時、最初にこの樹木と小植物たちに迎えられる。
また、この小路(こみち)は高野川の土手へと抜けるている。
視線の向こうには、高野川が流れている。
川の流れや水の匂いそして土手の土や草の匂いなどその気配が感じられる。
この樹木とアプローチの小植物たちが、
高野川へ抜ける視線のアイストップとなり
この家の景観を一層和らげていることは、充分に理解できることである。
この小路(こみち)は、道沿いの住人たちの通り路だけだではなく
高野川の土手の方から抜けてくる人や通りから
土手へと抜ける人などいろいろな人たちがここを行きかう。
そして、樹木や小植物たちだけでなく石畳ふうに隙間を広げて
敷きつめてある古びた舗石もこの小路(こみち)を演出しているのだろう。
何故か自分が子供だったころのときめくような、
ドキドキする思い出のようななつかしい気持ちにさせてくれる。
そして、ホッとする魅力がこの小路(こみち)にはあるように思う。

 

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変わらぬ自然がある高野川

 

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泉川通りからみた小路の景観

 

終の住処ではないが私が我が家を探していたころ、
この礼の森から高野川沿いあたりをよく探していたが結局見つからなかった。
と言ってもこのあたりで売家は少ないのだろう。
きっとこの場所を離れようと考える人がなかなかでてこないのではないのだろうか。
私には、そんな雰囲気をもっているように感じられる。


-------我が家

我が家は町屋のリフォームである。
とは言っても町中の立派な町屋ではなく北区にある、
多分昭和の初期の築不詳のちいさな町家である。
(町並の関係のY先生には、「郊外型の町屋ですよ。」と聞きました。)

< Yさんがよく出てきますが、YはYでも違う名字の別人です。>

外からはリフォーム前とほとんど変わりません。
いかにイメージを残しうまく再構築できるかがテーマでした。
強いて言うなら、壁の白漆喰から塗直した(二年程前に台風で上塗が落ちました。
そのときに少し色をかえ塗りかえたのです。)のと、門の棟や下屋の棟の面戸が
白のしっくいから墨入りとなっているぐらいである。
ほんの少し手を加えるだけで、ひいき目ではなくちょっとお洒落で随分と凛々しく見える。
これはお勧めの方法である。内部は、玄関の間と二階の和室を残し、
もともと裏側の庭に面して(なぜか)サブ階段があったところを
そのまま吹き抜けにして、開口部ごとやりかえ、
そして、可能な限り一階の間仕切りは解放しワンルームにし、
一部壁を増設したのだが耐震的にはどうなのやら。
地震があると少し二階が揺れるので「壁のとりすぎかなあ。」と思ってはいるが、
自邸だから「まあ、実験だし、いいか。」などと思って自分を納得させている訳ではある。
でもその分、かなり快適である。
内部は天井高があまりないので圧迫感をなくすために壁と天井は同じ材質で仕上げてある。
そして大壁部に対してどの位置の柱や梁を見せるのか、
枠の納まりや壁と建具の関係をどう処理するかなどがデザインの主眼であった。

 

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Livingから窓越しに奥の東の庭をみる。

 

こんなわが家にも、玄関先と奥の東側に猫の額ほどの庭がある。
庭の住人たちを紹介すると、玄関先の生け垣に囲まれた庭には、
マツやモチノキ、サンショノキ、サザンカ、サツキ、
センリョウ、白の沈丁花ワビスケ、椿、
地被にはヤブラン、和物のリュウノヒゲユキノシタ、シダ類、
軒下にフウラン、その他にもいろいろ生息している。

年に一度、マツの手入れを植木職人さんにお願いして剪定してもらっている。
季節になるとアゲハチョウが、好物?のサンショを食い荒らしにやってくる。
わが家には、東側にも小さな庭があり、時折冬鳥のジョウビタキが舞降りてくる。
こちらの庭の植物たちはほとんどが、プランターで育っている。

挿し木から育ったため自然の樹型になってしまったベンジャミン、
これも自然の樹型になった幸福の木、冬は落葉し小枝だけになるハゼそして、
カンノンチクやアジアンタムハイドロカルチャーのミニヤシ、
毎年咲くが葉の多いスパチュフィラムなどが
この季節には部屋の中で育っている植物たちである。

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飛来したジョウビタキ。冬にやってくる渡り鳥である。

 

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寄せ植えの鉢

 

外では、軒下に薩摩ラン、春ラン、寒ランやフウラン
マンリョウヤブコウジ、プミラ、小さい芽がでているツリガネソウ、
ヒメウツキにジャスミン、椿、竣工祝にクライアントに差し上げた鉢から
ちょいと拝借し挿し木で育った名前が長くてなかなか覚えられない
ハチオラサルコイニオイデス、年々花が白くなるカニシャボ、
イネの仲間、イズスミレ、エビネ、カヤの仲間、
そして寄せ植えのクリスマスローズ、シラユキゲシ、ホトトギス
ラショウモンカズラ、今はないが季節になると実家からのリースのホタルブクロ。
その他に地植えになっているアイビー、シダの仲間、
お隣さんから参加しているヘビイチゴなどなどである。

こうしてなまえを揚げてみるとエーこんなにと思うのだが
そのわりにさほど多いとも感じないし、手入れもそんなには行っていない。
年々ふえるこの植物たちだが、実際増えて困ることもなく、
逆に増えるのも楽しみになりつつあるこの頃である。
また、この東の庭にはL字型に塀があり、
この塀に杉板を張り大工さんがただクサイという理由だけで
いやがった柿渋を塗ったのだが、これが二年置ぐらいに塗りかえなければいけない。
塗り替えは自分で行っているのだが、その時期は色が褪せて来たらが目安なので、
もう近々塗らないといけないのである。
もう何度も塗っているのでさほど気にはならないのであるが
塗った後の二~三日は柿渋の甘酸っぱい
そしてあの独特の匂いに悩まされるが、何でも馴れればよし、
であり塗った後の自然の美しさはまた格別のものがある。

 

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