人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.22「endless thema - 17」(07年10月)

 

-------景観/ここちいいもの

 

今年も夏が終わり秋の気配のはずが、この暑さ。
おかげで、我が家の葦戸も片付けずに過ごしている。
いいのか悪いのか。
連休が重なる今月が衣替えの時期であったが、
少し夏バテともあいなって、
大いなるやる気のなさを背負っている日々である。

私の事務所から見える東山の稜線がここ十年ほどで随分と変わってきた。
視線の先には高層のビルやマンションが建ち並ぶ。
美しい東山が見えたのも今はもう昔の事のように思える。
風景は徐々に変わるせいか高層建築で稜線が切断され、
ほんとに知らぬ間にという感じがしてならない。
今度、京都の高さ規制が変わる。
やっとか!って思う。
一昔前に規制変更が浸透していれば、今の景観になり得なかったのでは。
また、私的所有財産権の問題もあるが他人事で言わせてもらえば、
建物なんて三階建てで十分!。必要なら地下にもぐれ!である。
高層にするなら公開広場の導入をすべきで、
行政の考えた建ぺい率や容積率一杯で計画する専門家を
増やしてきたことに問題がある。
それでもいい他府県もあるが、京都のようにそうじゃない方がいい街もある。
文化財の宝庫であり観光都市という特殊性からも、
京都市内狭い盆地でなんで高層が必要なんだろう。
思うに、確認申請書などには事業主や設計者の顔写真付きで
一般公開するべきじゃないかと思ってしまう。
「ん・・・どれどれ、この人か」なんて。多少たりとも意識は変わる。

 

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●水の流れを緩和するための段差のある石積み。
その上段で、鷺がごちそうを狙っている?らしい。
じ~っとして微動だにしない。

 

川辺をよく散歩する。散歩しながら視界に入ってくるのは
高層建物ばかりなんて言うのは味けない。
が、美しい建物もあるのでそうとも言えないのかもしれない。
・・・と、考えるとやっぱり質の問題か。
美しいと思えるものをつくり出すデザイナーの養成が重要なのか?、
はたまた、それをささえるオーナーやダメなものをダメだといえる建築家の教育か。
それでは、ダメの定義は?。美しいと思えるものとは?。
向き合ってないと真偽は噛み合ない。きっと、果てのない論議になるだろう。
それで、線引きということに落ち着くのだろうか。
まあ、歩いていて気分がよければいいっか、
なんて楽観的に思うのも一つの解決方法か。

今ごろは、日が沈むのが早い。六時を廻ればあっという間に暗くなる。
一見怪しげなおじさんが、暗くなって何やらウロウロし、
へんに間違われたのではちとかなしい。
で、散歩の時間も自ずと早くなり、
暗くなる前の夕暮れときということになる。

 

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●先に出来ていただろう石積みの痕跡です。

 

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●たまに見かけるEXP.J. のある小さな橋です。
※EXP.J. は、揺れや振動に対してエネルギーが
伝わるのを防ぐ役割をします。

 

川辺を歩いているといろいろ目にとまるものがある。
写真は、今のようにつながった護岸の道ではなく
以前は途切れていたと思われる石積みの痕跡である。
今でこそつながっているが、以前は護岸を歩くことが出来なく
迂回しなければならないところが随所にあったのだろう。

 

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●夕日は沈む寸前が美しい。
なんだかホッとしてしまいます。
きっと脳裏のどこかにあるシーンと重なり合うのでしょう。
それはいつ頃のことか分かりませんが、
どこかで見たような不思議な感覚です。
高層建物が立ち並ぶ風景は見たくないと思うでしょう、そんな景色です。

 

上手く時間が合えば、オレンジ色の太陽が沈む瞬間に出会える。
きれいな輝きである。川の流れる音と水のすずしさがきもちいい時刻だ。

夕暮れといってもまだまだ残暑きびしく、むぅ~とした空気が漂っている。
(お彼岸がすぎたとたんに、すごしやすくなりました。)
もう少し経てばベストウォーキングコンディションとなることを期待して
今日も汗だくとなりながら歩くのである。

 

●写真はすべて筆者野々部隆雄による撮影。

 

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