人と自然と建築と

nonobe's diary

Vol.32「endless thema - 27」(08年08月)

-------学生時代

確か学生時代の私は、設計事務所志向ではなくエンジニア的なものに気持ちがあったように思う。
ただ、どこまでが自分にとってエンジニアなのかはさだかではなかった。
それに、音楽好きの遊び放題で、本当に建築を目指しているの?ぐらいの感じであった。
大学がお茶の水で界隈の楽器店は無論のこと、勿論神田もうろついていたのだが、
当時はよくレコード店やらオーデーオ店やらの立ち並ぶ秋葉原を悪友とうろついていた。
クラシックをよく聴くようになったのも実はこの悪友のおかげである。
今はどうか当時は名品と言われるアンプやターンテーブル、カートリッジ、
それにスピーカーをデモで聴かせてくれる店がいくつもあり、
なかにはTANNOYのオートグラフやJBLのPARAGONまで比較試聴できた。
他にも、目白にあるスタックスのショウルームに聴きにいったり、
巣鴨のゴトウユニットに聴きにいったりと、・・・・。

母校日本大学理工学部建築学科。
神田駿河台のJRお茶の水駅の聖橋側の坂を下っていくとニコライ聖堂の南側一帯にある。
何号館だったか、教室の北側バルコニーから緑に囲まれた
美しいニコライ聖堂のたたずまいが記憶にある。
日本建築史を学んだ故小林文次先生は授業中の騒がしい学生に
「しゃべっているものは出て行け。
 話を聴こうとするもののじゃまはするな。
 最低限のルールとマナーは守れ。」
と。確かその教室だったような気がする。

大学の三年の時に設計を学んだ高宮先生。今は母校のプロフェッサーである。
当時ドイツ留学からもどり母校で設計を教えることになったとおっしゃっていた。
幸か不幸かは別として、わたしはその最初の20人足らずと記憶しているが、
そのグループに入ってしまっていた。その高宮先生の影響か、
課題の設計の評価が良すぎたせいか、新鮮な数々のアドバイスを受けたせいか、
かなり設計への興味が増したことは言うまでもない。
写真は第Ⅱ課題、テーマは確か「神宮の森に隣接する近代美術館」。
・・・・・だったように記憶をしているのですが。奥の奥の奥から探しだした模型写真。
一枚は青図と一緒に丸めて保管してあったせいか、折れて線がはいり、
そして大切な記憶と共にセピア色になっていた。

建物の70%以上をグランドライン下に地階として計画。
上層の低層部分は緑に包まれた森の中に静かにたたずむ風景となるようなコンセプトです。
自身の論の原点を見つめそして正していけるようにと、写真を事務所の壁にクリップすることにしました。

 

そして私にとって、その提出図面の右端に書かれた多くの言葉は 脳裏から消えることはない。
師のいう(師と言ってよいのかどうか)消去法という手法を知らず知らずのうちに学んでいたのか、
いまでも自分のなかにつづいている。が、わたしの場合は、確定した法則になっていないせいと、
ま、いいっか・・・的な性格もあり、不確定消去論いや小消去法か。

そんな意識を持ちながら、卒研は一昨年退官された若色先生の研究室ですごした。
スポーツ施設の研究がテーマのゼミのお手伝いをしながら、私はと言うと、
コミュニティスポーツよりも競技目的のアリーナに興味を持っていたこともあり、
若色研究室恒例夏の赤城山合宿でも当然の如く卒業設計として「競技アリーナの設計」を主張していた。
興味を持っていたのは、言うまでもなく「力の流れゆく」シェル構造。
しかしながら合宿以来、研究室のテーマのひとつであるコミュニティスポーツ施設の
調査研究メンバーの誘いにあっていた。

若色先生曰く、「調査し結果をまとめ、それをもとに目的の競技アリーナの設計をしたらどうだ。」

・・・ん~ん、いい考えだ。と、調査研究メンバーに参加してしまった。
のちに、それがあとの祭りだと気がついたときには遅すぎた。
調査のまとまるのなんて二月三月卒業一杯一杯で、その後卒業設計なんて到底無理に決まっている。
結局若色先生の思惑?どうりにはまってしまった気がしてならない。(違っていたらごめんなさい。)
未だその件は確認してないが、いまとしては、その方がよかった気がしている。
卒業設計ではなく卒論を選択したということに。
そして、大学生活の最後の時期の過ごしかたとして、楽しい毎日を送っていたように記憶している。
今は感謝の気持ちである。

当時はオイルショックのあとを引き就職難で、秋口あたりから設計事務所も数件廻ったが、
結局、友人のゼミの教授の関係の高松事務所(EXCEL建築事務所)でお世話になることになり、
卒業までの間はゼミと高松事務所に顔を出す生活となった。
高松事務所は港区高輪にあり、都営地下鉄泉岳寺駅から歩くのが私の日課となった。
京大卒ということもあり京都で学生生活を送られた故高松輝雄所長であるが、
現在私が京都に住むことを考えると不思議な感じもする。

学生時代・・・・沢山ありすぎて続編となるかどうかは分りませんが、
今回ちょっとだけ振り返ってみました。