人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.35「endless thema - 30」(08年11月)

 

-------ウォッチング

 

世の中エコや健康志向で、私もそのたぐいのテーマが時折でてくる。
五年ほど前からテンピュールという素材を使った枕を使うようになった。
いわゆる低反発素材というやつである。
使い始めはなんとなく違和感があったが使うにつれ馴染んでくる。

 

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使い始めウレタンフォームであるから冬は気にならないものの、
夏は暑いんじゃないかなどと勘ぐっていたのだが、夏でも冬でも程よく快適である。
私は頭を置く部分が窪んだタイプのものを使っているのだが、
横を向いたときに高い部分に頭がくるので、首が下がらず具合がいい。
以前は首の筋が違ったようになりしんどいときがよくあった。
まあ、ほとんどそんな状態にならなくなったことはありがたい。
寝方が悪いと言うだけではなく、歳と共に体は固くなり
急な動きに対応できず筋が違ったりもする。
それに運動やストレッチ不足もひびいている。

 

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・・・と言う訳ではないのだが、久しぶりに賀茂川を歩いた。
賀茂街道を横切り河原に出る。
ざわめきが残る夕刻の川面はこころ安らぐ風景をつくりだす
幾つもの通りを横切って河原を行くので、両岸の橋の下を行きと帰り、
くぐった橋の数だけ二度くぐる。ついつい橋の裏側の橋桁や橋脚にも目がいく。
橋は川幅にも依るが、川中に数カ所のコンクリート製の橋脚があり
両端が岸のある道路側で支えられている。
構造体が隠れてしまっている場合が多い建築とは違い、
土木系は構造体がそのまま露出している場合が多く、
ストレートに表現されダイナミックである。
その分、美しくデザインされているか否かも目に映る。
橋梁の下端がゆるい曲線を描いているのは視覚補正されているためで、
中央を少し上側に持ち上げることにより垂れ下がり感をなくしているのである。

 

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外れ防止か耐震補強か?
後から取り付けられたと思われるのだが、いったい何時設けられたのだろうか。

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支点から跳ね出された橋梁に稼働部と思われる別の橋梁が接続されている。
上部のコンクリート床から手すりにまでエキスパンションらしきラインが見える。

 

ご存知の通り橋は鉄骨で造られることが多い。伸びもすれば揺れもする。
大スパンの橋梁などはピン支点と呼ばれる接合方法が用いられている。
写真の橋の架構は、中側の一カ所の支持が回転端(PinあるいはHinge)で
コンクリートの橋脚の柱頭に載せられている。
その他と両側の支点は移動端(Roller)となっており、
地震時のみならず車やトラックが通ることによる震動や変形と、
通常の自然気候の寒暖による変形や収縮膨張に追随できるように、
すべるように取り付けられている。
橋によって支点の形状にもいろいろある。
地震等による支点の破損で橋桁がずれて落ちないようにか後で取り付けられたのか
取って付けたような補強の金物がついている箇所もある。
勿論、他にも架構の工法はある。
別の橋ではピン支点は全て回転端を用い側桁にExp.j.のようなものが設けてある。

 

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近頃、建築その先にあるランドスケープが案外気になる。
すべてのものが風景と化し、その”内”の建築であろうか。
橋もその”内”のひとつ。
一方、視線の先を見つつもどうしても支点のディテールに
視線が留まりアイストップ状態となる。
ミスマッチならいざ知らず形状に不自然さが残る。
少し鉛筆を動かせば風景にとけ込むデザインが出来るのでは、と思えてならない。
土手の向こうは賀茂街道。
交通量も多いし成のあるバスやトラックも通る。
河原からのビューも重要である。
散歩していて車が見えるのはいただけないが、意外と見えずらい。
確かに車で走っていても広い河原や水際の近くは見えるが、
土手側の道は意外と見えずらい。
土手の傾斜と緩衝緑地が効果的な役目を果たしている。

防犯上やら見通しの問題か緩衝帯となる樹木や緑地帯を撤去し、
どこの街にでも在るようなベンチや散策路など、
度がすぎる程に人工的な整備がされて行くのは何故だろうかと思う。
賀茂川と高野川そして鴨川。自然を保護しつつそれぞれの特徴を生かし、
京都らしく美しいランドスケープを維持していくことへ
エネルギーを注いでほしい気もする。

 

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