人と自然と建築と

nonobe's diary

Vol.110「endless thema - 105」(15年02月)

-------二月/記憶

 


山葵の葉と菜の花

朝日新聞の「弱さの強さ」というコラムの
うえはら・よしひさ さんの自己紹介に
「集中力のなさが弱み。会社では原稿が進まず、ファミレスへ。
 隣席の会話に気が散り、自宅へ。
 資料を忘れたことに気付き、会社へ。(冒頭に戻る)」とあった。
含み笑いとともに何か重なる思いをもった。
菜の花が蕾をつけていたのでひと茎机の上に置いた。
緑色をしていた花芽は次第に黄色く色づいてきた。
そんな季節かと想いながらながめている。
山葵も芽吹いている。
正月の残りものだが新芽も出てきているので水栽培にしてみた。

年明けに「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」
という番組がNHKEテレで放映された。
戦後の復興から高度成長そしてバブル期から現在に至までの
建築を通して見た日本の風景。
私もそれらのいくらかの時とともに建築を学んできた。
番組はその時代の建築物から時代を検証し日本の記憶の戦後史を辿る。
番組から東京タワーの鉄骨は物資の不足した時代、
アメリカ軍の戦車をスクラップにした戦争という大過からできていると知った。
まさに時は空間の中に記憶される。

番組中に登場する東京都庁の設計でも知られる丹下健三は、
1949年に広島ピースセンター(1955年)の設計をコンペで獲得する。
門をイメージするセンターのピロティをくぐり、
慰霊碑のアーチからまっすぐに伸びた軸線の向こうには
原爆ドームが視線にはいる。
氏は「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、
人々が実践的に創りだして行くものである。
この広場の平和を祈念するための施設も、
与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく
平和を創り出すための工場でありたいと願う。」と述べている。

また「報道特集 鎮魂への条件 ~1969~」
(1969年NHK放映)の氏のスピーチも編入され、
「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。
しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと
大分とイメージが変わってきている。
原爆の体験や経験が薄らいできているのではないか
という心配がある気がする。
平和を祈念する公園にし、さらに推進する為の
起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、
この記憶をどうゆう風に正確にふさわしく
鮮烈に伝えていくかということであった。」とも述べている。



東京計画-1960

「東京計画ー1960」の映像も映し出された。
丹下健三が1961年新建築で発表した
「東京計画ー1960 その構造改革の提案」は
晴海から木更津へと向かう軸上に計画された東京湾上の海上都市である。
学生の頃読んだ「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」にまとめられている。
「東京計画ー1960」という広大なスケールの計画は、
サイクル・トランスポーティション(鎖状交通体系)と呼ばれる軸を中心に、
直交した都市機能を持つ有機的な空間へと繋がっていく。
ライフラインなどを埋設した人口地盤や水平なピロティと
垂直な塔状のコアー・システムによる都市・交通・建築とを
有機的統一へと向かわせる空間都市が計画されている。

写真の左下の書籍は「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」
丹下健三著 講談社現代新書)。もうひとつの大きな見開きは
1980年鹿島出版会の月刊誌SDの丹下健三の特集号8001に掲載された一面である。
サイクル・トランスポーティションの模型や
空間都市へのアクセスなど詳細に計画されている。
私の書棚に記憶とともに積まれたままであったが、
この番組に映し出された映像と共に再び手にとる機会を得た。
何度読もうと読むときが本の旬であると思い読み返した。
読みながら思考はナウシカが使うメーヴェのように
サイクル・トランスポーティションの中を
記憶とともに縦横無尽に駆け抜ける思いがした。



今日は冬型配置の前線の合間の蒼穹。
まぶしく差し込む日差しに沈丁花の蕾が呼応している。
もう一~二か月で香りと共に咲くことだろう。

 

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