人と自然と建築と

nonobe's diary

Vol.111「endless thema - 106」(15年03月)

-------三月/祈念

 


窓際に置いた鉢植えのクリスマスローズの蕾が白く色づいてきた。
この鉢の種は原種ニゲル系との交配のオリエンタリス(レンテンローズ)、
いわゆる春咲きのハイブリッドである。
花びらの先が丸みのある白い花が咲く。
庭先のスノードロップの新芽も随分と大きくなったが伸び過ぎのきらいがある。
今年は花芽がつくかなというところだろうか。
春を思うスノードロップはガランサス・エルウィジーという。
和名はマツユキソウ。漢字で待雪草と書く。
本来、動植物などの名はカタカナで書くのが一般的だが、
和名の漢字もらしくてよく使う。
学名や通俗名、和名の漢字名もカタカナ名も、その時々の思いで使い分けている。



広島平和公園

戦後70年。今年も広島では慰霊祭が行なわれることだろう。
そして、建築家丹下健三生誕100年を迎える。
今回、先月号に掲載した丹下健三の想いの部分をもう一度掲載することにした。
写真は広島平和公園の掲載された鹿島出版SD8704 
「特集 丹下健三 都市・建築設計研究所」の1頁である。

NHKEテレで放映された 
「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」
という番組に編入されたなかで、丹下健三は広島の平和公園について 
「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、
人々が実践的に創りだして行くものである。
この広場の平和を祈念するための施設も、
与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく 
平和を創り出すための工場でありたいと願う。」と述べている。

また番組中の「報道特集 鎮魂への条件~1969~」(1969年NHK放送)のなかで 
「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。
しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと 
大分とイメージが変わってきている。
原爆の体験や経験が薄らいできているのではないかという心配がある気がする。
平和と祈念する公園にし、さらに推進する為の
起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、
この記憶をどういう風に正確にふさわしく鮮烈に伝えていくかということであった。」
とも述べている。

公園中央に設置された慰霊碑を望みながら、
門をイメージするセンターのピロティをくぐり、
慰霊碑のアーチから川を隔てた軸線上には原爆ドームが視線にはいる。
建築家丹下健三の想いが果てることのない将来にわたり届きつづけて欲しい。



風切軒巴と平袖瓦

大阪駅プラットフォーム

先月、所用で大阪の東天下茶屋まで行った。
今も残る上町線路面電車に乗る。
駅近くに切妻の甍(いらか)の連なる古き町並みを見つけた。
古き時代の切妻屋根は桟瓦で妻側の二筋の風切は軒巴で納まり平袖瓦で葺いてある。
奈良町あたりでもよく見られる葺き方だが、
重厚な感じに加え単調になりがちな切妻屋根にアクセントを添え、
凛とした表情はなかなかいい。
上町線のこの辺りは馬車鉄道だったとか。
古き時代の風景を思い浮かべると、そこはかとない気持が漂ってくる。
帰り途中乗り継いだJR大阪駅のプラットホームには、
湾曲した巨大なトップライトが架けられている。
各線のホーム上屋にも透明な屋根が架けられ、
古い鉄骨を利用してあるのがわかる。
新設の鉄骨にはH.T.B.(ハイテンションボルト)が使われる。
古い鉄骨には、今は使われなくなったリベットという 
熱いうちに叩いて打ち込む鋲が使われ、
新旧のクロスオーバーされた工法が並立している空間である。
霧雨が入るということで各線のホーム上屋にも透明な屋根が架けられたと聞くが、
二重に架けられた透明な屋根は大屋根のトップライトとの距離感を造り出し空間の大きさを感じる。
そして同時にヒューマン的なスケール感も創り出しているように思う。



裏庭にヒヨドリがつがいでやって来る。
今日は窓越しに見える隣の樹木にとまっている。
私の気配に気づいている様子だが警戒心はほどほどのようだ。
撮影してみたが意外とナイスショットかもしれない。
九州や山口では二月二十二日に春一番が吹いたらしい。
四月中旬並の暖かさだったとか。
花曇りと呼ぶにはまだ早いが、少しづつ長閑な日々が近づいている。

 

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