人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.112「endless thema - 107」(15年04月)

 

--------四月/日々蒼々

 

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沈丁花

 

時日、穏やかな日差しは気持も軽くなるぶん集中力は弱まる。
まあこの季節それでいいのだろう。
時々物々、風の吹くまま休息を過ごすといったところだろうか。
窓を開けると少し暖かさの残る春風とともに沈丁花が香って来る。
部屋の切り花からも快い春の兆しに心動く。

三回同じ題材がつづくが心響く言葉が有る。
NHKEテレで放映された「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組中、巨大化し複合化している現代建築について建築家隈研吾氏はこう述べていた。
「大きな派手な空間を造らないと、まず資本が集まらない。そういう何か一種の怪獣化している訳です。一見すると派手だけど資本の為であって人間の為ではないんじゃないか。そのエサは、そういう世に中の仕組みがそういう建築物をどんどん再変遷している。で、そう言うものと違う建築の作り方を見せてやらないと、このジャンルに生きている人間としてすごく恥ずかしいなと思うんですね。」
隈研吾氏らしい口調からでる言葉は熱くしてくれる。
建築家のなすべきことそして建築家としての資質を問う言葉でもある。

 

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年代物の街灯が残る

 

町内のうちの組の年代物の街灯が壊れ新設されることになった。
傘のついた白熱灯の柔らかな光だったが、今度は新しく電柱付きの輝きのあるLED球の器具になる。
球切れなどのメンテナンスを考えると寿命の長さはかなりのメリットになるだろう。
照明の球の演色性を評価するのにRaと言う指標を使う。
自然光のもとで物が見えたときと元の色にどれくらい近いかを示す指標でRaは100を基準としている。
一般蛍光灯はRa60~70程。
白熱電球やハロゲン球はRa100である。
LEDは普通Ra80程、高演色タイプでRa90ほどある。
LED球は蛍光灯に比べると演色性もよく高効率ということになる。
Raは100に近い数字程自然光で見るのと同じ色に近いと言うことになるのだが、球切れのデメリットや省エネ効果を考えなければ、発光のおだやかな白熱電球は優れていると言える。
近頃多くなった車のLEDのヘッドライトは対向車からのまぶしさに刺激が有り、眩惑が気になる。
LEDのきらっとした感じは私的にはどうも苦手なところがある。
目に入ってくる眩しさはより強くなり、居心地のよさは少しづつ失われていくのではないかと懸念するところもある。
技術的に白熱電球の改善の余地はないものだろうか。
フィラメントに使うタングステンの変わりとなり、よりやさしく光を放つ高効率で長寿命の新素材の発見を期待したいものだ。

 

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銀杏

 

よくいただく銀杏。自家用だそうだが、ふっくらと大粒で旨い。
煎って殻を割り薄皮を剥ぐ。まだ湯気が出そうなころに頬張る。
やわらかでふっくらと、そしてかじった真ん中はジューシーで、ロックで飲む焼酎によく合う。
銀杏は種の部分を頂くが、種を覆った果肉はご存知鼻をつまむほどだ。
収穫した実の果肉の部分は水で洗い流し乾かす。
その作業を思うと感謝である。
今年もそろそろ出回るのが終わる時季となる。

 

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裏庭に咲くクリスマスローズ

 

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玄関先のクリスマスローズ

 

裏庭のクリスマスローズは長く咲いている。
玄関先の鉢植えには紫、うす緑、うす赤い斑点のある白それに真っ白。
今年はうす緑が咲いていないが春咲きのクリスマスローズは紫から咲く。
裏庭で咲くクリスマスローズは花びらの先が丸みをおびているが、玄関先で咲くクリスマスローズは少しとんがり気味。
時折、道を抜けていく風に挨拶するかのように花葉をゆらしている。
草木の新芽は次々と芽吹き、春風駘蕩といった季節になった。

 

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