人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.117「endless thema - 112」(15年09月)

 

--------九月/ゆきあい

 

p_nono1509a
ジュズサンゴ

 

ゆきあいの空もすこしずつ少なくなり、見上げればうろこ雲が見られるようになってきた。
すじ雲よりすこし低いところに現れる。
ゆくりなく秋の気配に出くわす。
庭に置いた鉢植えのジュズサンゴの実も赤く染まりつつある。
咲いてる花と、まだ蒼い実と、赤く染まった実が、ゆきあう。

朝のNHKのラジオから「夏休み子供相談」が流れていた。
子供の疑問は興味深い。
今では忘れかけてしまった視点での幼い子たちの疑問はいきいきとしている。
そして忘れることのない記憶にもなる。
「笑っていけないときに、なぜ笑えてくるのですか?」
なるほど、事物が変わってもしばしばある。
しいて疑問にも思わぬこともある大人の目線が邪魔をするのはよく有ることだ。
やってはいけないと思えば思う程してしまいたくなるといった衝動にかられることはよくある。
抑えきれないような感性も紙一重で持ち合わせている。
多くの場合、大人は経験と知性や理性そして冷静さと気概をもって乗り越えられる。
回答者の先生方の説明も、なかなかすばらしい。
人に説明するときのお手本のようだ。
言葉足りずに相手が解ったと思い込み話を進めてしまうことなどはよく有ることだ。
相手の目線にたって、根をあげず根気よくゆっくりと丁寧に話をしていくことは大切なことだ。

 

p_nono1509b
十手巻き

 

子供の頃に、祖父だったか父だったかははっきりしないが紐の巻き方を教わった。
十手巻きと記憶しているのだが、名前やその由来は確かではない。
木の部分が裂けてしまった火鉢の火箸とひびの入りかけた七味唐辛子の竹の筒に巻いて使っている。
昔の人の知恵なのだろうが、巻いたたこ紐が切れない限りはまず弛むことはない優れものの巻き方である。
幼い頃の記憶だが未だに諜報している。

ニュースで公共の階段の踏面の先端にLEDを埋め込み人が階段を上がり降りするときに電気が起き点灯するシステムが紹介されていた。
これは環境発電といい、エナジーハーベスト、エネルギーハーベスティングなどと呼ばれている。
環境発電の研究は随分と進んでいると聴く。
水や空気が流れる、橋が振動する、人や動物など生き物がからだを動かすなどの、物が動くことで生じるエネルギーを電気に変換する。
小さなエネルギーから生まれた小さな電気は沢山集められ大きな電力となる。
この環境発電という少しづつだが沢山集め物を動かす研究は、いろいろな分野で注目されつつある。
多種多様な展開が可能で、光、熱、振動、電磁波などのエネルギーから発電するが、電磁波によるエネルギーはIT関連の技術を進化させ、暮らしはもとより医療の分野までを変えると期待されている。
センサーを付けた対象からワイヤレスでモニタリングすることにより事前回避や遠隔集中管理による高度な把握、そして人件費などの削減にも繋がっていくことだろう。

以前にソーラーマスターのことを少し書いた。
ソーラーマスターは太陽光を反射率99.7%のチューブで15メートルほど先にまで送り込むシステムで、地下などの太陽光の届かないところに自然光にほぼ近い状態で光量を送ることが出来る。
自然を取り入れる開発も欠かすことの出来ないテクノロジーであり、幅広いシステムの併用は既成の概念を変え予想を超える暮らしを創りあげていく。

 

p_nono1509c
クマゼミ

 

p_nono1509d
サツマラン

 

生け垣の葉にぶら下がった空蝉は過ぎようとしている夏のなごりだが、午後の日差しはまだまだきびしい。
喉を潤す水だしの緑茶は、ここしばらくはうれしい。
雷の鳴ることもなくなった。
モチノキの幹ではクマゼミがからだを震わせすこし澄んだ声でハモっている。
間もない夏を愛しむかのようだ。
裏庭では薩摩蘭の花が咲き始めた。
花や蕾のあたりを小さな蟻が行ったり来たり、時折とまって挨拶しながらゆきあう。
秋分を境に日の暮れるのは早くなる。
秋を思う微風はランの香りとともに清々しく漂っている。

 

*****