人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

endless thema -135------爽秋。蒼い実、黒い実、黄色い実

 

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朝夕は秋の深まりさえも感じる。裏庭でルリタテハが飛んでいるのを見かけてから随分と経つ。今ではホトトギスの葉の裏で幼虫が育ち、蛹になるのも間直である。少しづつ季節が寒さに向かい動いている。冷え込みも増してきたが、うまく羽化していくといい。

 

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溜り溜った切り抜きの資料を整理していて、平等院鳳凰堂の記事 (2017.11.22 朝日新聞 ) を見つけた。鳳凰堂は多種に渉る屋根の形状を取り入れた形態と基壇に凝灰石を用いたお洒落な御堂である。記事は「明治の修理前の鳳凰堂の図面が見つかった」とあり、図面の尾廊には「橋」と書かれている。

 

 

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以前からどこか尾廊自体の形態が美しいとは思えないと感じていたのだが。池からの流れと、少し重く感じる窓の形状や位置、壁の配置からだろうか。

バックナンバーで鳳翔館 ( endless thema 129/2017.2月号。鳳凰堂のことは endless thema 103/ 2014.12月号に少し。) のことを書いた。写真の中堂を中心に右手が尾廊、左手が翼廊である。よく見るとわかるが、両翼廊と中堂の取り合いは渡り廊下のように軒だけが繋がっている。尾廊はと言うと後から付けたような納まりで、中堂の柱から少しひかえたところに尾廊の柱が建ち、一部切れた組み物が付き、その間は壁となり建物としても繋がっている。尾廊を見た初感はやはり少し違和感を感じると言ったほうが良いように思う。

 当時の尾廊は、どのようなものだったのだろうか。見つかった図面には「橋」と書かれてはいるが、橋にもいろいろありそれがどんな意味なのか不明である。オープンなアプローチであれば美しさもある。少しドラマッチックな演出が尾廊には似合う気がする。本来のあったであろう姿を確認できるような詳細な資料も発見される時がくるといい。

 

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f:id:nonobe:20181108200022p:plain玄関先の秋明菊が爽秋の風にゆれていたのはついこないだのこと。裏庭の鉢植えのヤブコウジの蒼い実は赤みが増してきた。小さなさくらんぼのようだ。ホウチャクソウは葉が枯れ、黒い実も土の上に重なる。玄関先のセンリョウの黄色い実も色づき始め、ツバキの花芽はだんだんとふっくらして来る。今年も十一月になってしまった。もう直冬支度である。