人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

endless thema -153------ 2022年7月 /ル・コルビュジエの船

 

 

イワタバコの花が涼しげに揺らいでいる。白花のほうを玄関先に引っ越してみた。暑さ増す日々、通りを抜ける風や日差しが少し強い。様子をみながら庭の木陰へ。やはり、木陰が多い多湿な庭のほうが居心地はよさそうだ。

 

 

昨年、NHK ニュース7でも報道されていたル・コルビュジエの船「アジールフロッタン」。フランスのセーヌ川沿いに浸水したままであったが、修復できるところまで引上げられた。指揮をとるのは、日本の建築家遠藤秀平さん。「アジール・フロッタン」とは浮かぶ避難所と言う意味で、ルイーズ•カトリーヌ号という石炭を運ぶためのコンクリート製の船であったものを、1929年にル・コルビュジエによって、難民のための避難所に改修された。

 

保存の予定をされていたが、2018年2月の事故で浸水したままであった。今年3月には無事引上げに成功し、ル・コルビュジエの船は少しづつ修復のための作業へと準備が進んでいるようだ。

 

このendless themaでもル•コルビュジエのことは、何度か書いた。アジール・フロッタンは、フランスの歴史建造物に登録されている。

ロングウィンドウと呼ばれる窓からの光は、上部からのサイドライトのように屋内に降り注ぐ。細く連続した柱が直接屋根を支えるのもドミノ理論。そして、その屋根には散策路の屋上庭園もある。

 

2017年に東京をかわきりに「アジール・フロッタン復活展」が開催され、今年春先には京セラ美術館でも「アジール・フロッタン復活展」と併せてシンポジウムも開催されていた。Webサイトには「アジール・フロッタン」のホームページもあり、その経過など掲載されている。  

写真中の書籍は、アジール•フロッタンの奇蹟 「ル•コルビュジエの浮かぶ建築」と「セーヌ川の氾濫とコロナ禍を超えて」/ 共に編著 遠藤秀平 西尾圭悟/建築資料研究社

写真中の右下は、「ル•コルビュジエの浮かぶ建築」/ミシェル•カンタル•デュパール 著/鹿島出版会

セピア調の見開きの内部の写真も、上記「アジール•フロッタンの奇蹟 」の掲載ページ。

endless thema -152------ 2022年六月/初夏の風~夏日

 

 

わが家の庭は、すっかり夏模様になった。連日の夏日のような暑い日は続き、

草花は一面青々としている。ホウチャクソウの実はまだまだ碧い。

ヤブコウジの小さな花芽は少しづつふくらんできた。

 

 

 

少し前には、塀際のシラユキゲシの合間から、夏の風に揺れながらミヤコワスレ

が咲き、薄色がかった白花のオダマキ冷静さを装おっているように咲いていた。

シラユキゲシは花が終わりハートの形の葉だけが残っていたが、

ゆきかう季節か花芽が出始めまた咲き始めている。

 

朝、通りから久しぶりに おーさん の声が響いていた。少しばかりお布施を握り、

玄関口まで急いだ。ちょうど北と南の通りで立ち止まって、おーい、おーい、と。

間に合った。

このあたりでも、托鉢の修行のお坊さんが通る。普段無言でのやりとりだが、

小走に来られ「おはようございます」と。

私も同じく「おはようございます」。

おーさんが通ると、なぜかすっきりした気持ちになるのは、気のせいだけだろうか。

 

 

露地ものの豆苗は三~五月が旬だが、ハウスものは一年中出回ることが多い。

食べたそのあと数回収穫できるが、次第に観賞用になってくる。

ほおっておくとツル状になり、これはこれでいい感じである。

 

 

 

endless thema -151------ 2022年四月/初夏の風

移りゆく季節のなか、相変わらず元気なクリスマスローズたち。みんなうつむき加減に咲いている。窓ぎわの八重の子も沢山の花をつけた。大きな葉に見え隠れしながらも、はずかしそうに頭を揺らしてる。

 

 

シラユキゲシの花も少しづつ開き始めた。ハートの形をした葉とねぎぼうずのような花芽が塀際一面に広がる。まるでバラのような八重のツバキも次々と開花している。タイツリソウの花芽もみえる。アスパラのように芽がでていたホウチャクソウも、今では風鈴のような小さな花が色づいている。

 

 

卓の上に置いたモミジの小枝は、昨年の暮れに寒さとともに落葉した。こんな小さな小枝でも落葉するのかと心穏やかではなかったが、新芽が出始めあっと言う間に大きくなってきた。

 

 

 

玄関先ではイチゴの花が咲き、道端の側溝際では、タツナミソウが咲いている。花山椒の新芽もでてきた。日向から木陰が嬉しい季節になるのも、もう少し。この時季で夏日を思わす気候だが、爽やかな初夏のような風は気持ちがいい。

 

ウクライナの人たちを思うとこころ傷む。テレビの映像からは、美しい街並みも無惨な姿に変わってしまっている。時間がかかっても、いつもとかわらぬ日々に戻ることを思ってやまない。

 

 

 

endless thema -150------ 2022年初月/便利って

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澄んだ気配とモノラルな雪景色が広がる。21日の朝には10数センチ積もった。

翌る朝、どこからともなく雪解けの声が賑やかなほどに聴こえていた。

 

テレビの番組は、録画して見ることが多い。

NHKデザイントーク+の番組で、京都先端科学大学の川上浩司さんの研究である「不便益/Benefits of inconvenience 」というテーマで放映された。

不便から得られる必然性を学ぶ。

 

あえて、不便にすることで、子供の成長に良い影響を及ぼすことに繋がるという。

そして不便さから、発見、納得、展開へと、楽しみながら学ぶ。

 

川上浩司さんの作語である「不便益」のキーワードは、

①工夫できる  

②能力低下を防ぐ  

③発見できる

④上達できる  

⑤対象系を理解できる  

⑥主体性が持てる  

⑦俺だけ感がある

⑧安心できる信頼できる

と、8項目に分類されるという。

なるほどと思い描く愉しさで、再確認できることは多い。

 

不便さが必要な弱いロボットを研究している豊橋技術科学大学の岡田美智男さんは、完結しているよりどこか欠けているロボットの方がおもしろいと説いている。それが、人とロボットの距離を縮めているのだと話す。

 

限りなく便利で楽な暮らしが進むなか、便利の基準はさておき、不便だからこそ楽しいことや楽しめることは随分とある。そこから主体性が生まれ学ぶ面白さを見つけ、発見そして発展していく。

あらためて立ち止まり、見渡すことの必要性が問われる。

endless thema -149 ――― 十ニ月/創り出す平和

前号( endless thema -148 )で触れた広島平和公園。マンスリーホットライン掲載当時の「人と自然と建築と」のバックナンバー( 2015年2月号/endless thema-105 、同年3月号/endless thema-106 )に加筆修正して今回再掲載しました。 

 

 

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2015年の年初めに、「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組がNHKEテレで放映された。戦後の復興から高度成長そしてバブル期から現在に至までの建築を通して見た日本の風景。私もそれらのいくらかの時とともに建築を学んできた。番組はその時代の建築物から時代を検証し日本の記憶の戦後史を辿る。番組から東京タワーの鉄骨は物資の不足した時代、アメリカ軍の戦車をスクラップにした戦争という大過からできていると知った。まさに時は空間の中に記憶される。

 

番組中に登場する、東京都庁や代々木オリンピックアリーナの設計でも知られる丹下健三は1949年広島平和公園の競技設計に入選する。門をイメージする資料館のピロティをくぐり、慰霊碑のアーチから川を隔ててまっすぐに伸びた軸線の向こうには原爆ドームが視線にはいる。氏は「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、人々が実践的に創りだして行くものである。この広場の平和を祈念するための施設も、与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく平和を創り出すための工場でありたいと願う。」と述べている。

また「報道特集 鎮魂への条件~1969~」(1969年NHK放映)の氏のスピーチも編入され、「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと大分とイメージが変わってきている。原爆の体験や経験が薄らいできているのではないかという心配がある気がする。平和と祈念する公園にし、さらに推進する為の起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、この記憶をどうゆう風に正確にふさわしく鮮烈に伝えていくかということであった。」とも述べている。

 

写真は広島平和公園の掲載された鹿島出版SD8704「特集 丹下健三 都市・建築設計研究所」である。建築家丹下健三の想いが果てることのない将来にわたり届きつづけて欲しい。

 

 

 

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番組では、「東京計画ー1960」の映像も映し出された。丹下健三が1961年新建築で発表した「東京計画ー1960 その構造改革の提案」は晴海から木更津へと向かう軸上に計画された東京湾上の海上都市である。学生の頃読んだ「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」にまとめられている。「東京計画ー1960」という広大なスケールの計画は、サイクル・トランスポーティション(鎖状交通体系)と呼ばれる軸を中心に、直交した都市機能を持つ有機的な空間へと繋がっていく。ライフラインなどを埋設した人口地盤や水平なピロティと垂直な塔状のコアー・システムによる都市・交通・建築とを有機的統一へと向かわせる空間都市が計画されている。

 

写真の左下の書籍は「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」(丹下健三著 講談社現代新書)。もうひとつの大きな見開きは1980年鹿島出版会の月刊誌SDの丹下健三の特集号8001に掲載された一面である。サイクル・トランスポーティションの模型や空間都市へのアクセスなど詳細に計画されている。

私の書棚に記憶とともに積まれたままであったが、この番組に映し出された映像と共に再び手にとる機会を得た。何度読もうと読むときが本の旬であると思い読み返した。読みながら思考はナウシカが使うメーヴェのようにサイクル・トランスポーティションの中を記憶とともに縦横無尽に駆け抜ける思いがした。

endless thema -148 ------ 十ニ月/広島原爆ドーム

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生垣のサザンカが咲き始めている。前庭はマツの剪定に合わせて秋の風を感じる頃に綺麗にしてもらう。丁度、サザンカの花芽が出始めの頃に重なる。

以前は、三月のまだ肌寒い頃に剪定をしてもらっていたが、植木屋さんの奨めもあり、以来秋口にお願いしている。秋口は花が咲いたり実がなったりし始めるので、なるべく出始めの花芽や実や草木を守り残しながら剪定してもらっている。お陰で、少しづつ賑やかではあるが冬の澄んだ景色になってくる。

 

 

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2019年春にリニューアルオープンした原爆資料館の音声ガイドには、前回同様に吉永小百合さんがオープンに合わせて26の展示ガイドを16年ぶりに再録音されたと、当時新聞の記事で知った。陰日向と、見守り、向きあうゆかしさが記憶に残っている。

 

12月4日の朝日新聞には、広島の原爆ドーム世界遺産に登録されて12月7日で25年という記事が出ていた。ドーム内の写真には、耐震補強のための鉄骨部材が幾層にも設けられているのが見える。崩れ落ちたと思われる痕跡も確認できる。1945年8月6日、投下のあった日から76年の歳月が経った今、記憶に残しておかなければならない歴史である。

 

バックナンバー (人と自然と建築と/endless thema -105、106 )でも書いた広島平和公園は、建築家丹下健三氏の設計である。夏の祈念式典から四ヶ月程経った。式典はいつもTVで見る。生い茂る木立越しに原爆ドームが視線に入る映像からは、歳月を重ねて丹下氏の想いと共に祈念公園として成長し続けているように見えた。

記憶は薄紙を剥ぐ様に薄れていく。そうならないためにと、書き留めておくことにした。

endless thema -147------ 十一月/記憶

 

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今年もルリタテハは育っていった。子達の食べ残しのホトトギスには、今は花が咲き始めている。小さなさくらんぼのような蕾だったヤブコウジの実も寒さにゆだねられ色づいている。ふと、陽だまりの暖かさがうれしくなる。

 

 

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新聞の切抜きから、阪神・淡路大震災( 1995年1月17日 )で被災した神戸市役所2号館の記事がでてきた。

2号館は1957年に建てられた。周辺の再開発も含めた超高層ビルに建替の計画が進んでいると聞く。

 

震災当時、私は建築ボランティアで訪れ(バックナンバー 人と自然と建築と/endless thema -45  )、崩れた中間層部を目の当たりに見ながら階段を昇り降りし、現実でありながら映像のような狭間の世界の体験が記憶に残っている。今にしてみれば写真にと思うところだが、そう思えぬ気配と緊張感であったように思う。

 

あれからもう27年経とうとしていると思うと感慨深いところである。

下層部を残し改修再利用しつづけた2号館は、昨年の暮れから解体が始りその面影はなくなりつつある。風景は変わり、その崩れ落ちたという視覚的な記憶だけを省いては、少しずつだが薄らいでいくようにも思う。