人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.38「endless thema - 33」(09年02月)

 

-------風景/今を想う

 

花芽が出来始めている春咲きのクリスマスローズ
寒さが和らぐにつれ少しずつ大きくなり
花が咲くまでにはもう少し時間がかかりそう。
正月あけはなかなかペースが上がらない。
あちこち行き疲れ果ててぐうたら過ごす。

 

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正月には決まって箱根駅伝のTVを観ている。
蒲田の交差点の踏切ではランナーが通り過ぎるのをまって
京浜電車が時間調整をする。
そのずううううっと前には電車が通り過ぎるのを
ランナーが待つといった光景があった。
蒲田の踏切は箱根駅伝の風物詩のひとつでもある。
道路事情もあり、駅伝の為と言う訳ではないのだろうが、
京浜急行は路線から立体交差へと計画中だとか。
昨年だったと思うが、この踏切を横切ったあたりで足を傷めたランナーがいた。
記憶は、蒲田の路線電車から正月の箱根駅伝を思い浮かべることとなる。
風景が変われば次第に記憶も薄れ忘れさられる。
記憶の媒体となり得るか否かは、
美しい風景になり得るか否かという事にもつながる。

建築家のみならず創作するものにとって、
記憶のつながりでもある風景をどう創るかがテーマとなる所以。
多少の違いは有ったにせよ主役さえ見つけ出せれば計画性に迷いはない。
果たして建築物自体は風景にとってどれだけ重要か、自我自問する。

穏やかさや安心感は記憶のどこかにある断片と一致するのだろうか。
歳とともに古い記憶は断片化する。
そして、ひょんな事からアメーバーのようにまた繋がり始める。
若き日にすごした街の記憶や歩いた街並み。
今をすごす場所が長くなればなるほど過去の遠い記憶は断片化していく。
何かは分るがどこだったか。しかし、そこに行けば断片はまた繋がり始める。
当たり前と言ってしまえばそれまでだが不思議でもある。
記憶とはアメーバーなり。

 

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事務所から見える景色
街は変わって行く。視線の先は河原町通りに立ち並ぶ高層建物。
十年程前はまだ稜線も美しかった。

 

私の事務所のあるビルも老朽化や資金上の問題やらで、
取り壊しが決まった。1981~1987の間、
それと1996から現在まで延べにして二十年近くお世話になったビルだ。
松蔭町の駐車場から事務所までの道のり、近所散策での街の匂いや居場所。
事務所の窓から見える移ろい変わる景色。
当たり前のように過ぎて来た。
時間とともに姿は変わる。
近頃はこのビルも慌ただしさが際立ってか当初のよさも薄れていた。
まあ、私としては良い機会だと考えている。

 

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昨年の雪景色

 

家の一部で職住を共にする職住型がいいか。職優先で探すのがいいか。
街中散策。一歩通りを出れば骨董品の店、家具の店、和紙の店、
金物の店やその手仕事、ギャラリーやお店のディスプレイ。
いつも買う刈り番茶のお茶屋さん。
ぶらっと街中での楽しみ。そういう楽しみを得るために街中に居座るか。
歳とともに今後そうそうに引っ越しがある訳もなかろう。
多少不便でも環境を考慮しつつ住居との関わりを重視するか。
長期的な展望からすれば、今が考えどころである。

よく考えたら安普請のちっちゃい我が家も古い。
十五年ほど前に、ここに越して来たときに近所のおばあちゃんが、

「昭和八年に私が嫁いで来たときにはもう建ってたよ。」

と、言っていた。たしかに、登記上も築不詳だ。
このへんでは一番古いおばあちゃんだったので、その前の事は分らない。
それでもかれこれ七十年以上は経つ。たいしたものだ。
しかるに、耐震性は危うい。今の基準からすると不適合である。
表土的には地盤は安定しているが揺れれば荒れる。
昔の建物は基礎はなく柱の下にひとつ石がある程度。
その下は突き固めてあるぐらい。
下手に不同沈下でもしたら・・・・。
考えればきりが無い。

思い切って自宅ごと引っ越すか。
煩悩ばかりの日々である。

 

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