-------アナログ
先月の朝日新聞の天声人語に
『嵐山光三郎の「同窓会奇談」のあとがきのなかに
「人々が同窓会へ出かけて、
交錯した時間の糸をたぐり寄せ合うのは
昔の自分に出会おうという無為の作業である」とある。』
と載っていた。
「人と自然と建築と」でも、このところ昔のことをよく書くが
それに近い心境かもしれない。
普段の我が家はダイニングにあるコンパクトなCDプレーヤーが鳴っている。
今日はめずらしく大きすぎて2階に上げてあるシステムで、
何やらぼゃ~っと思考回路を刺激したりスケッチなどしながら、
渡辺加津美やリー・リトナーのカセットテープを聞いていた。
聞きながらラックの中にある球管式アンプを何気なく覗いていた。
何年も埃を拭った記憶がない。
それに、もう随分と鳴らしていないこともあり
球管のガラス面は膜をはったように曇っている。
よく見ると全体にチリや埃で薄汚れている。
少し綺麗にするつもりで、球管式アンプをラックから出してみた。
が、今度はラックの中の埃がすごいのに気ずき、
ついでにラックだけでなくプレイヤーやデッキやアンプを磨くことにした。
磨きながらLPのアルバム、バッハの無伴奏リュート組曲や
モーツアルトのオーボエ協奏曲が目に止まった。
「ん~、鳴らしてみようか。」
球管式メインアンプはオリジナルで、
主にStaxのヘッドアンプを使って鳴らしていた。
そう言えば、何年か前にプレイヤーの針が折れ、新しくしたのはいいが、
そのままお蔵入りとなっていたカートリッジのことを思い出した。
学生時分に使用していたShureのM-24H。
お気に入りであったが、時代は移り廃版と化し、
同じような音質の針は今ではかなりの高額となっていた。
予算的なこともあり、仕方なく音質的に特性のよく似た
オーディオテクニカの針を購入してあった。
ターンテーブルの回転を調整してみる。大丈夫。微調整もできる。
多少の不安定さはあるがまだまだ快調に廻っている。
学生時分は糸ドライブを主に使っていた。
糸ドライブとは、ターンテーブルからモーターを
1メートル程離したところにセットし、
木綿の糸をモータの軸からターンテーブルに架け渡し廻す。
モーターの微妙な回転ムラはこの長い糸が吸収する。
そして自らの微振動も拾う事はない。
今考えると、マニアでない限りしないような事をやっていた。
ターンテーブルのアームのレベル、オーバーハングや芯圧、
そしてインサイドフォースを調節する。
レコードをのせ、シェルを下ろすレバーを静かに下げる。
ノイズは仕方のない事。
透明感のある臨場感。深い響き。
余程のシステムでない限りデジタルよりはアナログが好み。
いや視覚的にそう信じているだけのような気もする。
レーベルはアルフィーフやグラモフォン、指揮ならカール・ベームか。
まあそんな音が案外と好きなこともあるのかもしれない。
音の定義はむつかしい。人それぞれ。
昔の事ではあるが、純粋に音だけを採り上げて評価するならば
ゴトウユニット製のスピーカーが群を抜いていたように記憶している。
ベーム指揮のモーツアルトのレクイエムや
交響詩のようなベートーベンのミサ・ソレムニス。
知らず知らずのうちに聞き入っていた。
白い世界を思い出すレクイエム。
久しぶりに聞くミサ・ソレムニス。
キーンと響き渡る美しいソプラノは心の芯にまで届く。
そして、ふと何かを思い出し心の扉が開いたような気がした。
今の若い人たちがあまり見た事も無いような代物ですが、昔はみんなこんな感じで聞いていました。
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