人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.39「endless thema - 34」(09年03月)

 

-------アナログ

 

先月の朝日新聞天声人語
嵐山光三郎の「同窓会奇談」のあとがきのなかに
「人々が同窓会へ出かけて、
 交錯した時間の糸をたぐり寄せ合うのは
 昔の自分に出会おうという無為の作業である」とある。』
と載っていた。
「人と自然と建築と」でも、このところ昔のことをよく書くが
それに近い心境かもしれない。

 

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普段の我が家はダイニングにあるコンパクトなCDプレーヤーが鳴っている。
今日はめずらしく大きすぎて2階に上げてあるシステムで、
何やらぼゃ~っと思考回路を刺激したりスケッチなどしながら、
渡辺加津美やリー・リトナーのカセットテープを聞いていた。
聞きながらラックの中にある球管式アンプを何気なく覗いていた。
何年も埃を拭った記憶がない。
それに、もう随分と鳴らしていないこともあり
球管のガラス面は膜をはったように曇っている。
よく見ると全体にチリや埃で薄汚れている。
少し綺麗にするつもりで、球管式アンプをラックから出してみた。
が、今度はラックの中の埃がすごいのに気ずき、
ついでにラックだけでなくプレイヤーやデッキやアンプを磨くことにした。
磨きながらLPのアルバム、バッハの無伴奏リュート組曲
モーツアルトオーボエ協奏曲が目に止まった。

 

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「ん~、鳴らしてみようか。」

球管式メインアンプはオリジナルで、
主にStaxのヘッドアンプを使って鳴らしていた。
そう言えば、何年か前にプレイヤーの針が折れ、新しくしたのはいいが、
そのままお蔵入りとなっていたカートリッジのことを思い出した。

 

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学生時分に使用していたShureのM-24H。
お気に入りであったが、時代は移り廃版と化し、
同じような音質の針は今ではかなりの高額となっていた。
予算的なこともあり、仕方なく音質的に特性のよく似た
オーディオテクニカの針を購入してあった。

ターンテーブルの回転を調整してみる。大丈夫。微調整もできる。
多少の不安定さはあるがまだまだ快調に廻っている。
学生時分は糸ドライブを主に使っていた。
糸ドライブとは、ターンテーブルからモーターを
1メートル程離したところにセットし、
木綿の糸をモータの軸からターンテーブルに架け渡し廻す。
モーターの微妙な回転ムラはこの長い糸が吸収する。
そして自らの微振動も拾う事はない。
今考えると、マニアでない限りしないような事をやっていた。

ターンテーブルのアームのレベル、オーバーハングや芯圧、
そしてインサイドフォースを調節する。
レコードをのせ、シェルを下ろすレバーを静かに下げる。
ノイズは仕方のない事。
透明感のある臨場感。深い響き。
余程のシステムでない限りデジタルよりはアナログが好み。
いや視覚的にそう信じているだけのような気もする。
レーベルはアルフィーフやグラモフォン、指揮ならカール・ベームか。
まあそんな音が案外と好きなこともあるのかもしれない。
音の定義はむつかしい。人それぞれ。
昔の事ではあるが、純粋に音だけを採り上げて評価するならば
ゴトウユニット製のスピーカーが群を抜いていたように記憶している。

ベーム指揮のモーツアルトのレクイエムや
交響詩のようなベートーベンのミサ・ソレムニス。
知らず知らずのうちに聞き入っていた。
白い世界を思い出すレクイエム。
久しぶりに聞くミサ・ソレムニス。
キーンと響き渡る美しいソプラノは心の芯にまで届く。
そして、ふと何かを思い出し心の扉が開いたような気がした。

 

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今の若い人たちがあまり見た事も無いような代物ですが、昔はみんなこんな感じで聞いていました。

 

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