人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.122「endless thema - 117」(16年02月)

 

--------二月/日々の暮らし健やかに

 

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ツルハナナス

 

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ジンチョウゲの蕾

 

昨年来の天候変動が影響しているのか庭のモチノキやセンリョウは実がかなり少ないようだ。
さほど気に留めることもなく見過ごしていたが、裏庭のヤブコウジも花も少なかったが実も今は一粒だけとなった。
それに比べ、ツルハナナスは相変わらず咲きつづけ、ジンチョウゲは満開になりそうな気配である。
ジンチョウゲの蕾はまだ青いが、少しづつだが白みを帯び始めている。
世話人に似てか、自己中心的よく言えばマイペースのご様子。
そう言えばこのマンスリーホットラインの先月号のBickie様のコラムに自己の欠点とあり、興味深く読ませて頂いた。
気質はなかなか変わるものではないが、心して過ごすことが大事だと肝に命じることにした。

 

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ルリタテハの抜け殻

 

昨年は裏庭で沢山のルリタテハが巣立っていった。
窓際に置いたカンノンチクの葉に空蝉ならぬ空ルリタテハを見つけた。
寒さの苦手なカンノンチクの冬支度で室内に移動してあったのだが、こんなところにも。
あれから数ヶ月ほど経つが、気がつくにも程がある程うまくぶら下がっている。
ルリタテハホトトギスの葉を好んで食べる。
ルリタテハが食べて葉のなくなったその茎には新しく葉も育ち、先には蕾ができ花も咲いた。
タイワンホトトギスという種で十一月も末近くまで咲いていたが、短い間に自然はエネルギッシュである。

人があまり手をかけることなく自然のまま過ぎていくことも大事だ。
天変地異の平常さのない自然はいつもではない時が流れているように思う。
数ヶ月前に虚心坦懐となる世になることを願い護摩木に書いた。
地球に住む人々や生き物だけでなく、自然も落ち着きを取り戻す日が来ることを願いたい。

 

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新聞の切り抜き

 

朝日新聞に連載されている夏目漱石の「門」には、第1と第2の月曜の朝刊に解説とあらすじが掲載される。
何気なく切り抜いて机の上に置いてあった宗助と御米の住んだ家の間取りを眺めながら。
東向きの座敷は方向性があり茶の間や台所と微かに隔たりを持つ落ち着いた空間にみえる。
南側の縁に面している一間巾を押入にしてあるのがわかる。
ここを障子にすれば南からの光で明るい空間も出来るが、日差しを抑えることで茶の間から入る午後の日差しだけでざわめきを感じない落ち着きを作り出しているようにみえる。

話では借家の設定だが、小さいながらも平屋の住居は、通常の暮らしに影響の少ない多少の導線の交差より、部屋で過ごす居心地を大事にしているように思える。
窓先の空間には余裕もありそれぞれが外部空間と繋がりながらプライバシーがある。
良き時代の質素だが穏やかなたたずまいからは、四角い家が連なる街並みとはまた別の一風違ったゆっくりと時間の流れていく風景を思い描く。

 

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セリ

 

先月下旬には突然の大寒波が日本列島に押し寄せ京都でも氷点下となったが、エルニーニョの影響から暖かさは足早にやって来るという。
仕事場の窓から見える松の木に、久しぶりに少し小ぶりのヒヨドリがやってきた。
しばらくの間見なかったが、首を小刻みに動かし休む暇もなく慌ただしく飛んで行った。
キッチンに置いたセリは部屋の暖かさも加わり、食べた後から新芽はどんどんと育つ。
近頃、店頭には時季を問わず並ぶことも多い野菜や果物。
まだまだ遠い春を思いながらセリの芽を眺めながらのティータイムといったところである。

 

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