人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

endless thema -138------十二月/セピアの記憶 

 

 

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頬を横切る風がうれしい小春日、玄関先ではセンリョウの実が色づいている。日差しは穏やかになり、サンルームを照らしている。干してあるかぼちゃのタネは薄皮が剥がれるくらいになったら丁度いい。空煎りしてから殻を割り実を食べる。香ばしさも相まって、これが意外と旨い。

 

先月始めだったか、故村野藤吾設計の大阪新歌舞伎座 ( 1958年 ) の取り壊しがTVのニュースで流れていた。11月22日の朝日新聞には「新歌舞伎座 面影残す宿」として紹介されている。ふと、記憶が行き交うように名古屋の丸栄百貨店はどうなったのだろうと思いがめぐる。

 

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宅建築 / 建築資料研究社の二月号 ( 2019.NO.473 ) に名古屋の栄にある老舗百貨店の丸栄 ( 1953年竣工、1956年と1986年増築 ) の特別記事  <名古屋に根付いた百貨店「丸栄」> と題して掲載されている。故村野藤吾が1953年に建築学会作品賞を受賞した建物である。老朽化にともない一部保存され、周辺区域を含めた再開発が計画されるらしい。

子供の頃、両親に連れられ丸栄百貨店によく来たのを思い出す。アプローチに張られた蛇紋岩やエレベーターホールの珊瑚珠色の文様のある大理石(ルージュ・ド・ヴィドロールと言うらしい。)に東郷青児の描いたエレベーターの扉の絵。階段廻りの手摺や石張り‥‥。微かに脳裏にあるセピアの記憶が色づけられていく。

 

階段の壁面の石をさわってみたり、手摺を握ってみたりと落ち着きの無い私を、両親はヒヤヒヤしながら見守っていたに違いない。子供の頃の記憶は色彩の無いモノーラルな断片ばかりであるが、何かの刺激で繋がり色づき滔々と流れ始める。丸栄百貨店は私が建築を始めるにはまだ間があるころの記憶であるが、「丸栄」という言葉からセピアの記憶のかたちへとつづいていくのはうれしい記憶である。

 

質のよい建物が取り壊されて行くことは心もとなくも思う。しかし、時代は変わりそれ以上の建物に移りゆくであろうことを望みたい。

 

 

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JuJuのアルバム「DELICIOUS」を聴きながら、午後のコーヒータイム。裏庭ではルリタテハの幼虫に食い散らかされて少しだけ蕾の付いたホトトギスがまだ花を咲かせている。数ヶ月前には、裏庭で始めて見かけるヒメアカタテハも飛んでいた。ヒヨドリバナの蜜を吸いに来ていたのか、生育場所を探していたのかは不明である。春が来たら、ヒメアカタテハの幼虫の好物のヨモギでも育ててみようかと思案するところである。