人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

endless thema -149 ――― 十ニ月/創り出す平和

前号( endless thema -148 )で触れた広島平和公園。マンスリーホットライン掲載当時の「人と自然と建築と」のバックナンバー( 2015年2月号/endless thema-105 、同年3月号/endless thema-106 )に加筆修正して今回再掲載しました。 

 

 

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2015年の年初めに、「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組がNHKEテレで放映された。戦後の復興から高度成長そしてバブル期から現在に至までの建築を通して見た日本の風景。私もそれらのいくらかの時とともに建築を学んできた。番組はその時代の建築物から時代を検証し日本の記憶の戦後史を辿る。番組から東京タワーの鉄骨は物資の不足した時代、アメリカ軍の戦車をスクラップにした戦争という大過からできていると知った。まさに時は空間の中に記憶される。

 

番組中に登場する、東京都庁や代々木オリンピックアリーナの設計でも知られる丹下健三は1949年広島平和公園の競技設計に入選する。門をイメージする資料館のピロティをくぐり、慰霊碑のアーチから川を隔ててまっすぐに伸びた軸線の向こうには原爆ドームが視線にはいる。氏は「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、人々が実践的に創りだして行くものである。この広場の平和を祈念するための施設も、与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく平和を創り出すための工場でありたいと願う。」と述べている。

また「報道特集 鎮魂への条件~1969~」(1969年NHK放映)の氏のスピーチも編入され、「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと大分とイメージが変わってきている。原爆の体験や経験が薄らいできているのではないかという心配がある気がする。平和と祈念する公園にし、さらに推進する為の起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、この記憶をどうゆう風に正確にふさわしく鮮烈に伝えていくかということであった。」とも述べている。

 

写真は広島平和公園の掲載された鹿島出版SD8704「特集 丹下健三 都市・建築設計研究所」である。建築家丹下健三の想いが果てることのない将来にわたり届きつづけて欲しい。

 

 

 

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番組では、「東京計画ー1960」の映像も映し出された。丹下健三が1961年新建築で発表した「東京計画ー1960 その構造改革の提案」は晴海から木更津へと向かう軸上に計画された東京湾上の海上都市である。学生の頃読んだ「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」にまとめられている。「東京計画ー1960」という広大なスケールの計画は、サイクル・トランスポーティション(鎖状交通体系)と呼ばれる軸を中心に、直交した都市機能を持つ有機的な空間へと繋がっていく。ライフラインなどを埋設した人口地盤や水平なピロティと垂直な塔状のコアー・システムによる都市・交通・建築とを有機的統一へと向かわせる空間都市が計画されている。

 

写真の左下の書籍は「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」(丹下健三著 講談社現代新書)。もうひとつの大きな見開きは1980年鹿島出版会の月刊誌SDの丹下健三の特集号8001に掲載された一面である。サイクル・トランスポーティションの模型や空間都市へのアクセスなど詳細に計画されている。

私の書棚に記憶とともに積まれたままであったが、この番組に映し出された映像と共に再び手にとる機会を得た。何度読もうと読むときが本の旬であると思い読み返した。読みながら思考はナウシカが使うメーヴェのようにサイクル・トランスポーティションの中を記憶とともに縦横無尽に駆け抜ける思いがした。