人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.32「endless thema - 27」(08年08月)

 

-------学生時代

 

確か学生時代の私は、設計事務所志向ではなく
エンジニア的なものに気持ちがあったように思う。
ただ、どこまでが自分にとってエンジニアなのかはさだかではなかった。
それに、音楽好きの遊び放題で、本当に建築を目指しているの?ぐらいの感じであった。
大学がお茶の水で界隈の楽器店は無論のこと、勿論神田もうろついていたのだが、
当時はよくレコード店やらオーデーオ店やらの立ち並ぶ秋葉原を悪友とうろついていた。
クラシックをよく聴くようになったのも実はこの悪友のおかげである。
今はどうか当時は名品と言われるアンプやターンテーブル、カートリッジ、
それにスピーカーをデモで聴かせてくれる店がいくつもあり、
なかにはTANNOYのオートグラフやJBLのPARAGONまで比較試聴できた。
他にも、目白にあるスタックスのショウルームに聴きにいったり、
巣鴨のゴトウユニットに聴きにいったりと、・・・・。

母校日本大学理工学部建築学科。
神田駿河台のJRお茶の水駅の聖橋側の坂を下っていくと
ニコライ聖堂の南側一帯にある。
何号館だったか、教室の北側バルコニーから緑に囲まれた
美しいニコライ聖堂のたたずまいが記憶にある。
日本建築史を学んだ故小林文次先生は授業中の騒がしい学生に
「しゃべっているものは出て行け。
 話を聴こうとするもののじゃまはするな。
 最低限のルールとマナーは守れ。」
と。確かその教室だったような気がする。

大学の三年の時に設計を学んだ高宮先生。今は母校のプロフェッサーである。
当時ドイツ留学からもどり母校で設計を教えることになったとおっしゃっていた。
幸か不幸かは別として、わたしはその最初の20人足らずと記憶しているが、
そのグループに入ってしまっていた。その高宮先生の影響か、
課題の設計の評価が良すぎたせいか、新鮮な数々のアドバイスを受けたせいか、
かなり設計への興味が増したことは言うまでもない。
写真は第Ⅱ課題、テーマは確か「神宮の森に隣接する近代美術館」。
・・・・・だったように記憶をしているのですが。
奥の奥の奥から探しだした模型写真。
一枚は青図と一緒に丸めて保管してあったせいか、折れて線がはいり、
そして大切な記憶と共にセピア色になっていた。

 

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建物の70%以上をグランドライン下に地階として計画。
上層の低層部分は緑に包まれた森の中に静かにたたずむ風景となるようなコンセプトです。
自身の論の原点を見つめそして正していけるようにと、
写真を事務所の壁にクリップすることにしました。

 

 

そして私にとって、その提出図面の右端に書かれた多くの言葉は
脳裏から消えることはない。
師のいう(師と言ってよいのかどうか)消去法という手法を
知らず知らずのうちに学んでいたのか、いまでも自分のなかにつづいている。
が、わたしの場合は、確定した法則になっていないせいと、
ま、いいっか・・・的な性格もあり、不確定消去論いや小消去法か。

そんな意識を持ちながら、卒研は一昨年退官された若色先生の研究室ですごした。
スポーツ施設の研究がテーマのゼミのお手伝いをしながら、私はと言うと、
コミュニティスポーツよりも競技目的のアリーナに興味を持っていたこともあり、
若色研究室恒例夏の赤城山合宿でも当然の如く卒業設計として
「競技アリーナの設計」を主張していた。
興味を持っていたのは、言うまでもなく「力の流れゆく」シェル構造。
しかしながら合宿以来、研究室のテーマのひとつであるコミュニティスポーツ施設の
調査研究メンバーの誘いにあっていた。

若色先生曰く、
「調査し結果をまとめ、それをもとに目的の競技アリーナの設計をしたらどうだ。」

・・・ん~ん、いい考えだ。と、調査研究メンバーに参加してしまった。
のちに、それがあとの祭りだと気がついたときには遅すぎた。
調査のまとまるのなんて二月三月卒業一杯一杯で、
その後卒業設計なんて到底無理に決まっている。
結局若色先生の思惑?どうりにはまってしまった気がしてならない。
(違っていたらごめんなさい。)
未だその件は確認してないが、いまとしては、その方がよかった気がしている。
卒業設計ではなく卒論を選択したということに。
そして、大学生活の最後の時期の過ごしかたとして、
楽しい毎日を送っていたように記憶している。
今は感謝の気持ちである。

当時はオイルショックのあとを引き就職難で、
秋口あたりから設計事務所も数件廻ったが、
結局、友人のゼミの教授の関係の高松事務所(EXCEL建築事務所)で
お世話になることになり、卒業までの間はゼミと高松事務所に顔を出す生活となった。
高松事務所は港区高輪にあり、都営地下鉄泉岳寺駅から歩くのが私の日課となった。
京大卒ということもあり京都で学生生活を送られた故高松輝雄所長であるが、
現在私が京都に住むことを考えると不思議な感じもする。

学生時代・・・・沢山ありすぎて続編となるかどうかは分りませんが、
今回ちょっとだけ振り返ってみました。

 

*****

 

Vol.31「endless thema - 26」(08年07月)

 

-------コンサート

 

六月二十一日に京都コンサートホールで行われた
一音寺室内合奏団のコンサートを聴きにいった。
友人の誘いもあり、我が家では毎年の恒例となりつつある。

建物というものは、これからそこで行われるであろう
光景に胸をいだきつつアプローチを歩む。
京都コンサートホール磯崎新氏設計のコンサートホールである。
アプローチはオープンでニュートラルな空気で包まれ、
エントランスはアイストップとならないスパイラル状のスロープをゆく。
スロープのためかゆったりそしてゆっくりと歩く
このエントランスはまさに今から始まる瞬間に
徐々にそして重なる想いをうかべながら少しづつホワイエにたどり着く。
建築的な具体的表現の好む好まざるは別として、空間的な構成に興味を覚える。

 

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開演まじかの光景

 

コンサート専用ホールということもあり
客席とプロセニアムと呼ばれる舞台との区切りがない。
正面である舞台の背面に設置された巨大なパイプオルガンの
凛とした存在感には迫りくるものがあり、
フラットな天井と、舞台をぐるりととり囲むような2階席がレイアウトされている。
コンサートホールに多いいわゆるシューボックスと呼ばれる型式のホールである。
音響的にはいろいろ批評もあるが、私にとっては適度な臨場感がいい。
人それぞれ音というものの解釈や受け止め方の違いはある。
偉そうに言うつもりは毛頭ないが、本来、音は創り出すものであり、
いかに細やかにコントロールし創り出し得たかがコンサートの魅力でもある。

シューボックスという名の命名は近年らしい。
この型式の現存するなかで最っとも古いと言われる
シンフォニーホール ハイドンザール(1700)は
一人当たりの体積が大きくかなり残響時間が長い(低音域2.8秒)と言われている。
また、ウイーンフィルの本拠であるムジークフェラインスザール(1869)は
美しく最高の音質を創り出せるホールと言われている。
現在、三大ホールと言われているのは、このジークフェラインスザールと
コンセントヘボウ(1888)それにボストンシンフォニーホール(1900)である。

 

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うれしいことにホワイエには、アルコール類もいただけるような配慮があり、
クラッシックのコンサートではめずらしい。途中15分ほどの休憩で、
のどを潤す程度にいただける。毎年この時期に行われる一音寺室内合奏団のコンサートに
来るのは三度目で、いつもシャンパンをいただく。
毎回ゲストを迎えての演奏会で、この日の演奏は、ベートーベンの厳正で
無駄を許さない程の緊張感あふれる弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 作品95から始まり、
つづいてゲストを迎えてのモーツアルトクラリネット協奏曲の演奏であった。
前半最後の演奏がモーツアルトということもあり気持も爽々とし、
曲からくる音域の広いクラリネットの音色と軽やかでリズミカルな演奏で
きっと脳もアルファ波もすこぶる出していたに違いない。
その上シャンパンでさらに気分も上々となり、
後半のエルガーの弦楽セレナーデ ホ短調 作品20 で優しく始まり、
巌くつきのベートーベンの大フーガと呼ばれる 変ロ長調 作品133 でしめくくり、
大満足であった。勿論、2曲のアンコールと、たのしいひとときを過ごした。

 

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休憩中のホワイエ。思い思いに楽しんでいる。

 

自宅が歩いて帰れる距離ということもあり、
帰りは府立植物園を左手にみながら
北山通りをぶらぶらと、余韻にひたりつつ、
足元も軽やかに家路についた。

 

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*****

 

Vol.30「endless thema - 25」(08年06月)

 

-------長く使う/建築家の椅子 その2

 

アルバーアアルト(1898 -1976)は、20世紀を代表するフィンランドの建築家である。
アアルトは照明器具やファニチャーのほかにも花瓶や
グラスなどのガラスデザインのプロダクツもあり多才である。
(「建築家シリーズ」でアアルトの建築を紹介しています。
バックナンバーもご覧下さい。)

 

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アルバーアアルトのガラスデザイン

 

食卓用に普段使っているアルバーアアルトの椅子、かれこれ15年程使っている。
この椅子、座面が大きい事もあり体が固定された感じがなくゆったりできる。
オリジナルは座と背と肘かけが藤で編み込んであり、
1946-47にデザインされたNo.45というタイプである。
私の使っているものは座と背が布製のウェビングという
細巾の厚織の帯を市松に編んで張り込んであり、
大きさや造りのわりに片手でも持ち運びできるくらい軽く出来ている。
木製のフレームは積層材を曲加工して組まれている。藤で巻かれた肘掛けは、
肘を乗せるための巾を広くとるためフレームに三角の木片がつけられ、
木口がそのまま見える。

 

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シートハイが気持ち高いこともあり、使うにつれ腿の裏が椅子の座面の先端に当たり、
すれて徐々に破けてくる。何年か前から少しづつすり切れ始め、
ちょっと見窄らしいことになっていたので、この際思い切って張り替えをする事にした。
 確か、アアルト事務所のアアルトのアトリエにあったNo.45には、
気持ち幅が広い黒革を市松に編んであんだものが置いてあったような記憶がある。
最近は藤や布のウェビングのほかにいろいろなバリエーションが組めるようである。
どうせ張り替えをするのだからと思い早速に取扱店に電話して黒のウェビングでも可能か
確認してみた。アルテックから黒も入荷しているということで、
お店のほうに伺うことにした。

早速、二種類入荷していると言う事で
現物を見せてもらった。ひとつはムラのない
さらっとした感じのもので気持ち艶がかっている。
もう一つは生成りと同じテクスチャーの色違いで、
生地だけを見ていると少しラフな印象をうける。
どちらもアルテックの品であるが、
どちらをどの椅子に使用してあるのかはさだかでない。
こっちか、いやあっちか、などと迷ったあげく
結局生成りと同じテクスチャーをもつほうでお願いしてきた。

 

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修理前の状態。座るところのウェビングの先端が
やぶけ見窄らしくなってしまった

 

数週間後、出来上がったと言う事で受け取りにいってきた。
張り上がりの感じはなかなかで、
こちらのウェビングを選んでよかった。
厚織の表情がよく出ている。
ウェビングのエンドは、スティップルという
ホッチキスの親玉のようなもので止めていく。
もともとはスチール製の針で止めてあり、日本は高温多湿の
気候のためかこのスティップルの針がよく錆びる。
張り替えの際、ステンレス製のものを指定するとよい。
今回それでお願いしたら、気を利かせてか
同色の黒のスティップルの針で止めてもらえた。

椅子に限らずどんなものでも長く使いたいものは、
痛んだら修理修繕し、早めのメンテナンスを心がければ
いつまでも気持ちよく使える。

 

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ウェビングの仕舞はスティップルで止める

 

*****

 

Vol.29「endless thema - 24」(08年05月)

 

-------五月/初夏

 

甘夏が届いた。
四月から五月末ぐらいが収穫どきらしい。
低農薬有機農法のためか、かたちの歪な物が多いが
口に入らないものは別として多少の傷みは気にならない。
そのぶんおいしい。
もう今年もうっすらと汗ばむ季節になった。
月一回、季節のビールも届く。
今月はメイボック。maibock。
ドイツ語でbockはbockbierで元々はアインベック産の季節ビールで
アルコール度が高めのものをいい、maiは五月。
名前の通り、このビールがたのしめる季節です。

 

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天気のいいこともありメイボックを口にしながら、
玄関口の掃除やら自転車のカバーに溜ったゴミや汚れを掃除しつつ、
ほとんど動機らしい動機もなく何気ない気持ちで自転車の手入れをした。
もう何年も乗っていなかった。
ぼろ切れをぬらしまず全体を拭き、汚れを落とす。
その後タイヤのフレームやらスポークやらにこびりついた汚れを落とす。
CRCをつけ拭き取れば意外とよく落ちる。
ブレーキ廻りやペダルとギヤ廻り。CRCを吹き付けながらぼろ切れで磨いていく。
磨きながら「晴れの日に事務所まで行ってみようかな。」などと思いつつ磨く。
掃除は意外と好きだ。それに結構上手いと自我自賛している。
掃除は設計という行為とよく似ているかもしれない。
あそこからこういう風にああしてこうしてなどシュミレーションをしながら
始めはウダウダとしているが、し始めると少しづつ集中していき、
そのうち聞き耳もたずの状態になり、知らず知らず自分の世界に入っていく。
う~ん、よく似ている。私の自転車はロードタイプなのだが、
一般のロードとよばれるものに比べると一回り小さい。
かれこれ十八年ほど前になるが、川端のアイバサイクルというところで
パーツを選び組み立ててもらった。
ハンドルやブレーキやペダルそれにギヤ廻りは
shimanoのパーツを使っている。当時のモダンデザインだ。
二十年近くたった今でも快適によく動く。

 

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ロードタイプのため泥よけはつけない。そのため水溜まりはさけて通る。
ご存知の通り大変なこととあいなる。
考えただけで笑いがこみ上げて来るが、ときどき街でそういう人をみる。
当然、天気のいい日にのるものだからなくていいといえばそれまでだが、
一応後輪用にサドルの中に収納する泥よけを取り付けてあるので
前輪さえ回避できればなんとかなる。
あとは、タイヤが細いので段差さえ注意して乗り越えれば転けることもない。
随分と前になるが、ちょっとした段差をななめに乗り上がろうとしてタイヤが滑り、
足がペダルのベルトでホールドされて抜けなくなりそのままの状態ですってんころりん。
一瞬自分に何がおこったのか分らずちょっとしたカルチャーショックであった。
それ以来ペダルの金具とベルトは取り外してある。

 

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以来、ウォーキングもするが運動不足解消もあり、たまに自転車で事務所までいく。
行きは北から南へ。
京都は上ル下ルのとおり地形的に南に下っているので帰りは登りでちょっときつい。
車と違い通る路も違えば見える景色も当然違う。
ぽかぽか日差しのなかを事務所までいく。

 

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近頃、危険な乗り方をする人が増えたように思う。
雨の日に傘をさしてのる人。
携帯を使いながらの前方不注意や片手運転、タバコを吸いながら乗る人。
あぶないと思ってもブレーキをかけない人。
人と人の隙間をスピードをあげてすり抜ける人。
人にあたってもお構いなく何も言わずに行ってしまう人、などなど。
マナーは悪い。モラルもない。
それに街も自転車にやさしくは出来ていない。
リビング京都1413号に自転車のルールとマナーの特集がありました。
三人乗りの賛否や罰則規定のこと。
それに五条通りや烏丸通りの一部に
自転車通行帯の整備がされるなどの情報が掲載されてます。
放置は論外としてちょい止めは悪いとは言わないが、
街には子供やお年寄り、それに障害者もいる。
マナーやモラルの問題と同時に、
より安全で快適な街でのルールや整備が必要な気がする。

 

*****

 

Vol.28「endless thema - 23」(08年04月)

 

-------もも/春~暮らし

 

有機農法野菜や無添加食品などの宅配をしている「らでぃっしゅぼーや」は、
白地にらでぃっしゅの絵が描かれた箱形のトラックでやって来る。
我が家も週1回届けてもらっている。毎年この季節になるとももが一枝、
数個のダンボールと共に届く。届いたときはつぼみだが花入に差し、
時期が来ると次第に大きくなり花になる。
いつもはうまく咲かないうちに終わってしまうことが多いが、
今年はいつになく幾つも咲きはじめた。我が家では二階の床の間に、
三月三日のモモの節句の数週間前からおひなさんも飾る。
おひなさんとももの花。これからすこしづつ春になっていく。

 

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事務所近くの酒屋さん(結構こだわりの店と思う。)
で買う濁り酒はなかなか旨い。
そのまま冷やして飲む。
事務所が近いということもあり式典などの献酒をこの店で用立てることが多い。
濁り酒は、以前に利き酒で一口すすめられ頂いたのがきっかけで買うようになった。
とは言っても、そんなに飲助ではないし、
せいぜい蕎麦猪口七~八分ぐらいの酒量で十分。
冷蔵庫で冷やしながら、ねかしつつ、ちびちびとやる。
ねかす程に旨味が増すという店主の言葉とおり。
まあ、ねかしているときのほうが長いが。

 

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先頃、事務所の斜向いの町家で仕事をしているご主人に、
その酒屋さんでばったりであった。

    「あっ、こりゃどーも。」
    「やあ。ちょっと悪だくみの最中ですわ。」

などと、世間話。酒屋さんの店主とこのご主人はおなじみ以上の関係らしい。
ご近所というのはこの辺が面白いところで、
このご主人は住居と仕事場が近くにあり職住同居に近い。
京都の街中はぶらっとすれば分るが、職住同居型やそれに近い暮らしが
あんがい多いのに気がつく。
そんな職住の暮らしのなかから生まれる「良き関係」だろうか。

京都市は長い景観論争に一時的な終止符?を打とうと、
特例などという緩和のある高さ規制を打ち出した。
高さを制限するのはいいことだが、
特定の人のための一時しのぎの政策にならなければよいが。
どこにどれだけの公費が費やさているのか。
それに係る莫大な費用である公費のツケは市民に廻ってくる。
基本的な暮らしの営みなど京都らしきものや弱者への配慮はされているのだろうか。
そして、この「良き関係」が維持できるのだろうか。
京都版「はっつあん、くまさん」的関係はこの先どの世代までつづくのやら。

 

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話はそれてしまった。
マガキのシーズンもそろそろ終わろうとしているが「牡蠣のオイルづけ」を
たっぷりの白髪ネギで日本酒といただく。
私は口を出すだけで、もっぱらこしらえは女房がする。
作り方は、大きめの生牡蠣を適時、フライパンで空煎りし旨味をとじ込め、
オイスターソースをいれ、牡蠣に火をとおし、水気が無くなる程に煮詰めます。
ごま油を三分の一程いれた容器に煮詰めた牡蠣を残り汁とともにいれ、
容器の口ひたひたになるぐらいまでサラダオイルを足します。
蓋をして、冷蔵庫で四~五日で食べごろになります。

一度お試しあれ。

 

*****

 

Vol.27「endless thema - 22」(08年03月)

 

-------カスタムメイド

 

二月十七日、京都では市長選が行われた。
選挙にはいつもいく。言うのもなんだが選んだ人が当選した記憶はあまりない。
結果は相乗り候補の京都市役所出身の市長となった。
投票率37.82%(前回は38%台)という低さだったらしいが、
相乗りのせいかどうか接戦だった。
京都市も職員の不祥事や行政の未解決の置き去り的諸問題も多々あるが、
何がどれだけ変わっていくのか。
     京都らしき結果かな。
それはさておき、いつも投票の帰りは女房とぶらぶら近所を検索して帰る。
この日は投票会場である元町小学校前にあるガラス工芸店をのぞき、
古道具屋さんをのぞき、豆腐屋さんで、すしあげとがんもを買い、
普通のあげとすしあげの違いは揚げる温度だと教えてもらった。
もう少し早く寄れれば、できたての豆乳も買えたのだが。

実は一週間前にも近所の散歩帰りに
この古道具屋さんをのぞいた。古道具屋さんといっても、
中古ギターが結構おいてあり、ソリッドやら
アコースティックやらセミアコやらの名品も数展ある。
店頭に置いてあったソリッドギターのヘッドに
MAVIS」というブランド名と
「CUSTOM MADE by ISHIBASHI」の文字が目についた。
店主に聴いたところishibashi楽器のオリジナルらしい。
ishibashi楽器といえば神田駿河台お茶の水下にある
(今は、大阪や名古屋などにもある。)
こだわりの楽器屋さんで、学生時代よくのぞいた店である。
ちょっと懐かしく、また安いし、ピックガードもない
シンプルなモデルでなかなかよく出来ていることもあり目をつけていた。

 

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その日前後は寒波が来ていたこともあり、
朝から粉雪まじりの日で晴れていたかと思えば
突然吹雪という日で、一度家に戻ったのだがどうも気になり粉雪が舞うなか
早々に古道具屋さんに向かった。

 

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そのソリッドギターは、マイクの部分やヘッドにある
ネックの反りを調整するロッドのカバープレートや
裏側の電気系のカバープレートに傷防止の保護用のシールがついたままになっている。
カスタムメイド であるからには、誰かがオリジナル仕様で頼んだか、
ショーウィンドウに飾られていたものなのか、
ishibashiの倉庫に眠っていたものが処分されてでてきたか。
いずれにしても、未使用の感もするし、それにけっこうよくできているし、
カスタムメイドでもあるし、・・・・などと思いながら眺めている。
 弦巻の部分は黒艶の塗装。ネックにセルの埋め込まれたポジションマーク。
フレットは22で23番目のネックエンドのフレットが浮かせてある。
スリーマイクは黒艶消し、トレモロアームは黒艶、
と言った具合だ。ちなみにスタンドは300円でした。

 

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早速、弦を張り替えようと近所にあるJEUGIAにいき
「SUPER LIGHT GAUGE」を購入した。
ゲージの違う弦に張り替えたときは弦高の調整と
オクターブピッチの調整が必要で結構手間もかかる。
調音にはサイクルが整数の「A」の音叉でハンマリングしている。
学生の時に購入したYAMAHAのSA-60/ホワイトシカモアはセミアコ
クラッシックも含めどちらかというとアコースティックの音色のほうが好きなのに、
セミアコとソリッドになってしまった。
だんだんと変なおじさんまっしぐら。
今度は小ぶりのアコースティックに目をつけようか。

 

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Vol.26「endless thema - 21」(08年02月)

 

-------お気に入り/建築家の椅子 その1

 

美しいフォルムをもつ椅子、
建築家ミース・ファンデル・ローエ(1886-1969)のMRチェアー。
私のお気に入りのひとつである。
1927年のド・ラ・モード展に出展された肘なしで
パイプに革が張っただけのシンプルなデザインの
MRチェアーはモダニズムそのもので、ミースらしい完璧なデザインであった。
私の使っているものは藤で編まれた肘付きのタイプで、
事務所の近くのショップで見つけたレプリカである。
展示用に製作されたらしいのだが、オリジナルとは微妙に違う。
クロムメッキのスティールパイプに巻かれた藤は、
太さや巻き加減、エンドの始末などやはりオリジナルとは違う。
違うというよりは劣る。
それに左右のパイプの開き止めを兼ねた座面下部の弧を持つバーの位置、
かたちの違うボルトの取り合いなど・・・。

 

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席を立つとき何故か立ち上がるとすぐに横にでようとするのは、私だけだろうか。
日本人の習慣?か、立ち上がり席を離れるときに、
慣れないとカーブしたパイプに膝やすねがあたり転けそうになる。
慣れればどうっていうことはない。
が、ミースのような巨体ならいざ知らず
腰から膝までの長さの違う小柄な私にとって慣れるまで、あっ痛。
何回やってしまったことか。

 

確かに、膝までが長いとパイプに当たることはない。
それに、肘付きのタイプはパイプが座面の先端から
必要以上に出ているために、特に当たりやすいのだろう。
しかしながら、座ったときに感じる微かに揺れ続ける
パイプの微妙なしなり具合は、スチールという素材の特質をいかした
工学的なデザインから生まれたもので、
座った者にしか分らないほどの心地よさがある。
この形状を持った椅子をキャンチレバーチェアーと呼ぶ。

ミースといえば、バルセロナ・パビリオン(1929開館)や
ベルリンのニュー・ナショナル・ギャラリー(1968)を思い浮かべる。
そして、チェコスロバキアのブルノに建つテュウゲントハット邸(1930)は、
世界遺産にも登録されている。
このテュウゲントハット邸のためにデザインされた
ブルノチェアーやテュウゲントハットチェアーもまた
キャンチレバーが採用された椅子である。
昨年暮れごろテレビで流れていた某メーカーのジーンズのCFには、
これ以上単純で豊かな流れる空間はないと言われる
イリノイのファンスワース邸(1951)が美しい映像でクロスオーバーしていた。

世界的な建築家たちは小さな住宅を造るのも巧い。
ミースは勿論のことコルビジェ、それにアアルトやカーンそしてヤコブセン。皆巧い。

 

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「less is more」を唱えたミースの建築はモダニズムの一解答である。
チェアーのもつ豊かさや緊張感、
計算し尽くされたディテールなどを理解することは、
ミースの建築論を通して見ないとなかなか難しいことなのかもしれない。
ただ言える事は、流石にミースと思わせる程
どこから見ても美しくデザインされていると言う事だろう。

 

*****