人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

endless thema -139------十二月つづく月そしてつづきの月へ

 

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寒さも深まり、いつのまにか冬景色がただよい、サンルームでは結露が著しくなってきた。裏庭ではカマツガの実が深紅になり葉も赤く染まっている。ラズベリーレッドの実にローズレッドの葉のコントラストが美しい。

 

 

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冬至を過ぎると途端に陽が高くなってくる。裏庭の蕾の大きくなってきた八重のツバキも眩しそうだ。これから少しづつ昼間が長くなっていく。

endless thema -138------十二月/セピアの記憶 

 

 

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頬を横切る風がうれしい小春日、玄関先ではセンリョウの実が色づいている。日差しは穏やかになり、サンルームを照らしている。干してあるかぼちゃのタネは薄皮が剥がれるくらいになったら丁度いい。空煎りしてから殻を割り実を食べる。香ばしさも相まって、これが意外と旨い。

 

先月始めだったか、故村野藤吾設計の大阪新歌舞伎座 ( 1958年 ) の取り壊しがTVのニュースで流れていた。11月22日の朝日新聞には「新歌舞伎座 面影残す宿」として紹介されている。ふと、記憶が行き交うように名古屋の丸栄百貨店はどうなったのだろうと思いがめぐる。

 

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宅建築 / 建築資料研究社の二月号 ( 2019.NO.473 ) に名古屋の栄にある老舗百貨店の丸栄 ( 1953年竣工、1956年と1986年増築 ) の特別記事  <名古屋に根付いた百貨店「丸栄」> と題して掲載されている。故村野藤吾が1953年に建築学会作品賞を受賞した建物である。老朽化にともない一部保存され、周辺区域を含めた再開発が計画されるらしい。

子供の頃、両親に連れられ丸栄百貨店によく来たのを思い出す。アプローチに張られた蛇紋岩やエレベーターホールの珊瑚珠色の文様のある大理石(ルージュ・ド・ヴィドロールと言うらしい。)に東郷青児の描いたエレベーターの扉の絵。階段廻りの手摺や石張り‥‥。微かに脳裏にあるセピアの記憶が色づけられていく。

 

階段の壁面の石をさわってみたり、手摺を握ってみたりと落ち着きの無い私を、両親はヒヤヒヤしながら見守っていたに違いない。子供の頃の記憶は色彩の無いモノーラルな断片ばかりであるが、何かの刺激で繋がり色づき滔々と流れ始める。丸栄百貨店は私が建築を始めるにはまだ間があるころの記憶であるが、「丸栄」という言葉からセピアの記憶のかたちへとつづいていくのはうれしい記憶である。

 

質のよい建物が取り壊されて行くことは心もとなくも思う。しかし、時代は変わりそれ以上の建物に移りゆくであろうことを望みたい。

 

 

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JuJuのアルバム「DELICIOUS」を聴きながら、午後のコーヒータイム。裏庭ではルリタテハの幼虫に食い散らかされて少しだけ蕾の付いたホトトギスがまだ花を咲かせている。数ヶ月前には、裏庭で始めて見かけるヒメアカタテハも飛んでいた。ヒヨドリバナの蜜を吸いに来ていたのか、生育場所を探していたのかは不明である。春が来たら、ヒメアカタテハの幼虫の好物のヨモギでも育ててみようかと思案するところである。

endless thema -137------四月/猪の目 ino-me

 

 

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庭の草木たちは寒さを覚えるときから日々刻々と時を刻み、実のあるものは赤く熟し、花をつけ、香りのあるものは香りを放ち、今ではシラユキゲシが咲き始めている。紫明通にある紫明会舘の古木の桜も満開となっていた。淡い春色の白い花びらが長閑にそよ吹く風に呼応している。

 

 

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前号から随分と空いてしまった。年初めの一月号にと思っていた「猪の目」であるが随分と遅くなってしまった。毎年の賀状には其の年の干支に因んだ建築語彙を使うことが多い。今年は、伝統的建造物の懸魚や八葉などに見られるハート形の文様で「猪の目」を用いた。今年はその金物編。左から名古屋城本丸御殿の長押の八葉釘隠し。中は仁和寺御殿の板扉(板唐戸)に付けられた八双などにかわいいハート形が見える。右も同じく仁和寺御殿の板扉に設けられている唄金物で、中央の周囲にはガラスのような素材がはめ込まれているのか透明感のある輝きがうつくしい。

 

 

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仁和寺には昨年秋に特別拝観が有り参拝した。その日は、白書院、黒書院、宸殿、霊明殿のある御殿と、修復の終わった重要文化財観音堂、そして堂内の裏堂に描かれた五大明王が公開された国宝の金堂を見学した。観音堂寛永21年の建立で、堂内には壁画や柱画が描かれている。外部の軒廻りには蛇腹支輪、斗供の上の尾棰木には木鼻が掘られ、妻側には妻飾りなど装飾豊かな建造物である。金堂は慶長年間造営の御所内裏紫宸殿を寛永年間に移築されたもので、堂宮に見られるような組み物などの少ないシンプルな造りで、毅然としたプロポーションは端正で美しい姿をしている。

 

 

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御殿の廊下の板戸に描かれている桜の絵に目を引かれる。宸殿の床框に施された螺鈿細工や欄間の装飾、蟇股に彫り込まれた木目細かな文様など繊細な造りが印象的であった。特別拝観と言うことも有り人々人で、静かな日にゆっくりしたいそんな一日であった。

 

 

 

endless thema -136------十二月/巣立つ

 

 

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 寒暖のゆきかうなか、前庭のシロワビスケは先月初めから咲き始めている。心持ち早めの開花は天候不良によるのだろうか。少し閉じ気味の控えめな花は、しとやかにもおしゃまにもみえる。 

 

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裏庭ではルリタテハが羽化している。不気味な顔つきのルリタテハの蛹は小さなコウモリのように見える。

 

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時折、大きく羽根を動かし飛び立つ準備を初めている。毎年のことだがホトトギスの葉を食い散らかし巣立ってゆく。ホトトギスの花はもうとっくに終わった。葉の裏では今だに蛹のままや、ぷるぷると体を動かしこれから蛹になろうとしているのもいる。さらに冷え込みは深くなるが、うまく羽化するのか心もとない。

 

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冬には部屋に移動している鉢にぶら下がっていた蛹も巣立って行った。植木棚の上に置いたヤブコウジの実はあっという間に真っ赤に染まった。今年は穏やかな初冬になった。

endless thema -135------爽秋。蒼い実、黒い実、黄色い実

 

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朝夕は秋の深まりさえも感じる。裏庭でルリタテハが飛んでいるのを見かけてから随分と経つ。今ではホトトギスの葉の裏で幼虫が育ち、蛹になるのも間直である。少しづつ季節が寒さに向かい動いている。冷え込みも増してきたが、うまく羽化していくといい。

 

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溜り溜った切り抜きの資料を整理していて、平等院鳳凰堂の記事 (2017.11.22 朝日新聞 ) を見つけた。鳳凰堂は多種に渉る屋根の形状を取り入れた形態と基壇に凝灰石を用いたお洒落な御堂である。記事は「明治の修理前の鳳凰堂の図面が見つかった」とあり、図面の尾廊には「橋」と書かれている。

 

 

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以前からどこか尾廊自体の形態が美しいとは思えないと感じていたのだが。池からの流れと、少し重く感じる窓の形状や位置、壁の配置からだろうか。

バックナンバーで鳳翔館 ( endless thema 129/2017.2月号。鳳凰堂のことは endless thema 103/ 2014.12月号に少し。) のことを書いた。写真の中堂を中心に右手が尾廊、左手が翼廊である。よく見るとわかるが、両翼廊と中堂の取り合いは渡り廊下のように軒だけが繋がっている。尾廊はと言うと後から付けたような納まりで、中堂の柱から少しひかえたところに尾廊の柱が建ち、一部切れた組み物が付き、その間は壁となり建物としても繋がっている。尾廊を見た初感はやはり少し違和感を感じると言ったほうが良いように思う。

 当時の尾廊は、どのようなものだったのだろうか。見つかった図面には「橋」と書かれてはいるが、橋にもいろいろありそれがどんな意味なのか不明である。オープンなアプローチであれば美しさもある。少しドラマッチックな演出が尾廊には似合う気がする。本来のあったであろう姿を確認できるような詳細な資料も発見される時がくるといい。

 

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f:id:nonobe:20181108200022p:plain玄関先の秋明菊が爽秋の風にゆれていたのはついこないだのこと。裏庭の鉢植えのヤブコウジの蒼い実は赤みが増してきた。小さなさくらんぼのようだ。ホウチャクソウは葉が枯れ、黒い実も土の上に重なる。玄関先のセンリョウの黄色い実も色づき始め、ツバキの花芽はだんだんとふっくらして来る。今年も十一月になってしまった。もう直冬支度である。

endless thema -134------五月/初夏の麗らかな喧噪

 

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いただきものの黒落花生。薄皮が深い紫色をしている。

紫色をしているのは、ポリフェノールが豊富らしい。

薄皮ごといただくと、香ばしい香りが鼻から抜ける。

 

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裏庭の青紫のミヤコワスレは先月下旬に咲き始めた。

毎年、白も青も同じ頃に咲いている。

今年はゴールデンウィークを境に白が後れて咲いた。

澄んだ白菫色のミヤコワスレは、群れるシラユキゲシの狭間に静かに咲く。

白のセキチクもつぎつぎと咲き、足元ではヘビイチゴの黄色い花も咲き始めた。

いままで、かじったことは無いが、赤く熟したら‥‥かも。

 

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カマツガの枝先にクロアゲハが休んでいる。

玄関先のレモンの木のあたりをふわふわと浮遊していたのを幾度も見た。

夏型のクロアゲハは大きいと聞くが、羽根の揺れ方がやさしい。

喧噪と春暖な穏やかさの残る裏庭である。

様々にゆきかう麗らかさからは、移りゆく季節を感じる。

endless thema -133------April come/隅櫓

 

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April comeとは言っても、ゴールデンウィークも間近に迫ってきた。暑さが際だち始め、シラユキゲシの合間からはミヤコワスレも咲いている。前庭では花山椒の花が咲いている。さわやかな初夏のおとずれのような匂いがする。

 

丁度一年程前、名古屋城本丸御殿の二期工事の公開見学の際、城郭内の西北隅櫓も公開していた。城内に現存する重要文化財のうちのひとつであり、立て札には「古名は戊亥櫓。清洲城天守を移築したと伝えられ、清須櫓とも称された。昭和三十九年の解体修理により、古い建物の材木を一部用いて元和五年(1619)頃に造営されたことが明らかになり、清洲城天守の古材を転用した可能性が高まった。屋根三層・内部三層で、全国でも最大規模の隅櫓である。」と書かれている。

 

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内部の柱の上下階の通りのずれや、壁の位置の上下階で揃っていないことで生じる城郭の木構造のおもしろさが、随所に見られる。天守から比べれば櫓は小規模であるが、露出した部材からはそのスケールの大きさに圧倒される。そのあたりを見られるのは天井のない見上げあげでよくわかる。櫓としては立派な姿で、外堀の石垣の上に建ち当時の姿を今に伝えている。名古屋城では天守閣の木造化計画が進んでいると聞いている。木造化に伴う諸問題は多々あろうかと思われるが、日本の伝統的建築である城郭の木造技術の継承ということから考えると重要な試みだと思える。

現実化し、工事をしながらの公開見学は尚更のこと楽しみである。名古屋城本丸御殿の一期工事はバックナンバー/endless thema -88 で書いたが、本丸修復の全体工事の完了は今年の予定ということで見学する予定である。こちらも楽しみである。

 

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前回も書いたが設計事務所の大半の仕事は考えることでもある。その思考を支えるのが巨大な資料であるが、仕事場にある未整理となった山のような資料からは、視界に入る度に整理整頓を即される。

二階の和室にはブラインドの操作紐に付けられた六角のアクリルのつまみが朝日に屈折して床に虹色を映し出している。プリズムのような効果から映し出された一対の虹色は、少しづつだが窓辺に近づき、日増しに陽が高くなって行くのが感じられる。