人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.119「endless thema - 114」(15年11月)

 

--------十一月/晩秋淡々

 

p_nono1511a
羽化したばかりのルリタテハ

 

朝のひいやりした空気の中、時間の経過とともに気温は上がってくる。
裏庭では羽化したばかりのルリタテハが抜殻にしがみつき羽根を乾かしている。
広げた羽根の瑠璃色が美しい。
空気にさらされ時間をかけ羽根を拡げていく。
蛹は食い散らかしたホトトギスの茎だけでなく庭のいたるところにぶら下がっている。
スローな時がよどみなく過ぎて行き、間をおきながら巣立つ。
少しばかり葉の残ったホトトギスの茎の先に蕾をみつけた。

 

p_nono1511b
紫明会館

 

p_nono1511c
紫明会館2

 

p_nono1511d
紫明会館3

 

新町通りを南に下がり紫明通りを東に行くと紫明会舘がある。
1932年に京都府師範学校同窓会により社会に貢献する目的で建てられた。
当時紫明通を流れていた琵琶湖疎水沿いの敷地に建設された京都の近代建築のひとつである。
設計・施工は清水組と京都府営繕技師であった十河安雄が現場監督を委託された(京都の近代遺産/監修 川上貢 淡交社)。
十河安雄は京都の近代建築である京都府鴨沂高校(旧京都府新英学校女紅場 昭和8年)や京都教育大学付属京都小学校(昭和13年)も手がけている。

 

p_nono1511e
紫明せせらぎ

 

p_nono1511f
紫明せせらぎ

 

紫明通には、疎水は現存していないがイチョウケヤキなどの高木も育つ小川の流れる紫明せせらぎ公園が中央に連なる。
並木が美しいこともありここを通ることは多い。
丸窓とスペイン瓦が各所に使われている紫明会舘は午後の日差しに映し出され並木に似合っている。
喜ばしいことに取り壊しの危機を脱し保存されることになった。
当時の面影を残した会舘は今年登録文化財の指定をうけたところである。
色づいていく樹々や西日のあたる秋の深まる物静かな風景はいい。
紫明会舘の正面入り口脇には古木の桜もある。
小さなポケットパークのような前庭はきっとおだやかな春の訪れも造り出してくれることだろう。

先月、「東北発☆未来塾/隈研吾の建築空間作り講座 空間を作るチカラ」という四回シリーズでの番組がEテレで放映されていた。
番組をとおして建築家隈研吾らしい切り口でわかりやすく優しく空間の面白さを語る。
日本人としての資質、建築家としてそしてプロとしての資質。
「母なる環境を慈しめ。そしてプロらしく表現せよ。」と。
少なからずとも自然を大切にしてきた日本人として本来もちあわせもつ感性を育み、環境とともに暮らすことをどうとらえどう考えるかだろう。
隈研吾氏は宮城県南三陸町にある仮設のさんさん商店街の評価を適切な言葉と理論で讃美している。
高価なものでもなく、適度に自然と調うことの良さは誰でも理解している。
過剰でないものの量と適切なバランスはいつも持ち合わせていなければいけない尺度でもある。
現在、南三陸町の沿岸部商業地区の十メートルかさ上げされる土地に海を感じる商店街を計画中だとか。
南三陸町は四年前の津波で跡形もなくなった場所である。
「十メートルという高いけれども海との隔たりをいかに取り戻せるか。」
という隈研吾氏らしいアイデアが見られることだろう。
そして、さんさん商店街のイメージを残し地元の手と材料による将来的に町の誇りとなっていくものを計画していると語っていた。

先月は町内会で申し込む上賀茂さんの護摩木が届いた。
しばらくして北山にある氏神さんの石井神社からの護摩木も届いた。
日本だけではなく世界中で混沌とした眈々たるざわめきがつづく。
やすらぎを求める人々は後を絶たない。
虚心坦懐となる世になることを願った。

 

p_nono1511g
前庭で咲くホトトギス

 

十月中日には日本海で気嵐が見られたと報道された。
冷え込みのきつい朝に海面の水蒸気が大気に急激に冷やされ立ち上がる蒸気霧は幻想的な風景をつくる。
今月11月7日には立冬
そして、ツバキの花が咲き始める頃をいう山茶始開を迎える。
すこしづつ日向がうれしい季節になってきた。
もうしばらくで冬支度。
前庭の窓先のホトトギスは元気に花を咲かせた。
裏庭では沢山のルリタテハが巣立って行ったが、ホトトギスの葉は食い散らかされてしまった。
そのうち前庭も羽化の場となる日も間直かもしれないと、コーヒーカップから伝わるぬくもりを感じながら、ぼんやりと眺める午後のひとときである。

 

*****