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人と自然と建築と

nonobe's diary

Vol.84「endless thema - 79」(12年12月)

-------終り月/遊び心

 


ルリタテハの幼虫に葉っぱを食い散らかされ少しだけ花芽のついたホトトギスは、
もう秋も終わりという頃にやっと咲き始めた。
ルリタテハが裏庭にやってきたのは九月の終わり頃だったろうか、
もうあれから二ヶ月余が過ぎた。町内会から、石井神社護摩木の申し込みが来た。
「安閑恬静」と心して書いた。
無欲で心穏やかな悟ったように静かな様とでもいったらいいのか、
んんん、こうなる為には精神鍛錬が伴うということは云うまでもないことなのだが・・・。
今年もあっという間に終り月を迎えた。
新年への継き月でもある。
日本海では夜が明ける頃に気嵐がみられるようになったそうだ。

妻が学生時代の友人たちと、神戸にある竹中大工道具館の巡回展
「数寄屋大工」展のイベントワークショップ「唐紙ではがきをつくろう」に参加し、
幾種類もの版木で刷ったはがきを作ってきた。
講師は京からかみの摺り師の本城武男氏で、
高辻の仏光寺近くにある京からかみの「丸二」さんの摺り師である。

唐紙は名の通り中国の唐から伝わってきた。
からかみは平安時代から中世にかけて上流貴族の間で
和歌などを書く為の詠草料紙として使われていた。
京の都では宮廷や公家、社寺、武家と言った貴族文化に浸透し、
中世以降は屏風や襖といったものに使われ始めた。
その後幕府が江戸に移り、時代とともに公家・武士・茶人・
そして町方庶民に親しまれ広く浸透していくことになる。

唐紙は、京からかみと江戸からかみに大別されるそうだが、
粋で多彩なバリエーション豊富な技法の江戸からかみと、
ごまかしのきかないシンプルな技法で洗練された文様の京からかみといった感じであろうか。
「丸二」さんでも天保時代から受け継がれてきた版木を今でも使っていると聞く。

設計という仕事柄、私も唐紙をつかう。
基本となる和紙の紙の色、そして版木の柄と絵具の色を決めていくのがたのしい時間となる。



(一)小桐の文様

写真の(一)は実家の和室に使った小桐紋。
実家の家紋が五三の桐ということもあり、
うす緑色の手漉き和紙に小桐の文様を金色のキラで刷ってもらったもの。



(二)枝桜の文様

(二)奥の間のからかみは枝桜


(三)茶の間側のからかみは丁字形

写真の(二)と(三)は、二間つづきの和室のある住宅
バックナンバーの2007年4月号第16回の庭の話を書いたお宅で、
クライアントとは用があって先立てお会いしたところだが、
原稿を書いてて早いものでもう10年も経ったことを思い出しました。)で、
奥の間には枝桜の文様を、茶の間側は丁字形と呼ばれる文様。
和紙の色は違うがどちらも白の胡粉で刷りあげてある。



(四)瓜の引手のついた

和箪笥の小引き戸には牡丹唐草


(五)瓢箪型の摘みのついた

水やの小扉のは荒磯


写真の(四)と(五)は和箪笥の小扉と水や箪笥の小扉で牡丹唐草と荒磯。
これもどちらも白の胡粉



(六)花兎の文様

写真の(六)は住宅(バックナンバーの2007年5月号第17回に書いたお宅です。)の襖に使った。
たまご色の手漉き和紙に白の胡粉の花兎紋の連続した文様。
襖の縁や引手はもとより、紙の色や柄とその色を楽しみながら選ぶ。
出来上がりは遊び心が増す。
手漉き和紙の上品さと絵具のムラは、手刷りと手彫りの版木ならではの質感で、
絵具ののったそのふっくらとした風合いはゆかしい。

現代の文様として新しいデザインと彫り師による
手彫りの版木を使った唐紙などを制作している人たちも多い。
京都西陣にある「かみ添」さんもその一人と聞く。
シルクスクリーンに依る印刷や機械彫りの版木による
からかみなど現代ではいろいろな手法はあるが、これに頼らぬ唐紙の技術は、
日本各地に現在も残っている。
江戸からかみを始めとした唐紙の技術が、
古今を問わず将来に於いても水際の立つほどに永く継承されてゆく事であろう。

 

***

 

Vol.83「endless thema - 78」(12年11月)

-------立冬/メンテナンス

 


もうじき完成。干し椎茸

今年も各地で初霜のたよりを聞くころとなった。
朝起きると、うっすらとだがトップライトに結露の曇り模様があることに気づく。
少し前まで、暑さばかりに気を取られることが多かったサンルームだが、
この頃暖かいと思えるようになってきた。
天日干しにしてある椎茸は旨味たっぷりの干し椎茸となる。


赤く染まったモチノキの実

水引草

玄関先ではモチの木の実が赤く染まっている。
ヒヨドリが赤い実をくわえている。
実が少なくなってきているのはそのせいか。
鉢植えの水引草もまだ白い花を付けている。



チョコレートケーキとナッツのパウンドケーキ


先月、友人の田中さんからお茶のお誘いがあり伺った。
奥さんの潤子さん手作りのチョコレートケーキと
ナッツののったパウンドケーキに花の香りが漂う紅茶をごちそうになってきた。
うちのホトトギスはもとは田中さん家から頂いたものだ。


やはりこちらでもルリタテハがきていたそうだ。
ルリタテハは主に野山に生息すると言う。京都は自然がが近い。
先月号で書いたように、うちでは今年たくさんのルリタテハが舞っていった。
裏庭には喰い散らかされたホトトギスの新芽が伸び、少しだけ花芽がついた。
茎には沢山の蛹の抜け殻が残っている。
遅咲きのホトトギスだが立冬までには咲くと良い。
季節は少しづつだが秋から冬へと向かっている。


メンテナンスは家の廻りだけではない。生活上のいろいろな物が対象となる。
特に稼動するものは常日頃から注意を払う必要があり使用年月に伴い
随時メンテナンスが必要となってくる。
少し前の話になるが、車のフロントパネルの計器類に点灯する表示の誤作動がつづいていた。
誤作動はセンサー自体の破損の他、配線の劣化やセンサー部分に付着した汚れが原因となり
誤作動を起こしている場合もある。
気になっていたのは、暑い夏場に高速道路を走行中にオイル警告灯が点灯し
警告音を発するという状態が起こることだった。
エンジンは正常で音の変化も特になくオイルのセンサーも
これと言った不具合もなく原因不明といったところであった。


工場で修理中の辻さん

車のメンテナンスは、私の事務所が以前京都御苑の南にあった事もあり、
河原町通りの丸太町を下がった竹屋町の角にある
辻商会さん( TEL:075-256-2951 )でお願いしている。
辻さんは長年培った経験と知識で故障箇所を見つけ、必要な部品を探して修理していく。
気に入った車と永く付き合えるのはうれしい。
それに仕事の丁寧さが印象的で人柄もよく柔軟に対応してもらえるので安心である。
無線が趣味で、肩からappleiPadを掛け移動している。
冬はスキーに明け暮れるそうだが、
老後は自宅の倉庫のバイクコレクションの調整に夢中になるのが楽しみだとか。

さて、私の車だがエンジンや車体自体には問題がなく原因がなかなか見つからなかった。
この夏、辻さんからしばらくの間預からせてほしいと言われ、
時間をかけて配線を重点に細部の点検をしてもらっていた。
オイル警告灯以外の誤作動は、配線の劣化等が幾つか見つかり解決した。
問題はオイル関係であったがこれと言った異常も見つからずセンサーだけ取り替えた。
今度またオイル系の警告灯や警告音が作動することがあれば、
車内側から操作できるリセットスイッチを設ければ問題ないというところに至った。


ステアリング廻り

おかげで車体フロントパネルなどの点灯ランプはすべて消灯状態になっている。
この夏容赦なく降り注ぐ太陽のもと帰省の為に高速道路を遠慮がちに走ってきたが
ピイのピの字もなく戻って来れた。
誤作動が誤作動を生じていたのかどうかオイル警告灯の点灯も今のところなく、
ストレスも無くなり快適なドライブを試行している。
もう十七年も乗っているが、インテリアの劣化はほとんど見当たらない。
安全だと思えるドアの閉まるときの音や、
イグニッションキーを回したとき伝わってくる振動も満足している。
今のところ買い替えたいと思う事もなく、
快適なエンジン音と多少重めのステアリングは私の身体能力に妙にマッチしているのだが、
ただこの時代で燃費の悪さとハイオク仕様と言うところが少し頭の痛いところである。

 

***

 

Vol.82「endless thema - 77」(12年10月)

-------寒露/白を想う

 

ホトトギスの葉がかじられ小さなまんまるの黒い糞が葉に付いている。
ルリタテハが裏庭でよく羽をばたつかせている姿を目にしたのは
数週間ほど前のことだった。
たまごを産みつけにやって来ていたようだ。


ルリタテハの幼虫

ルリタテハの幼虫

幼虫が葉を喰い散らかしている。駆除するかほうっておくか迷うところだ。
まあ、ひと鉢ぐらいならほうっておこう。
他の鉢に移ってきたらそちらを駆除すればいいかなどと思っているうちに
地植えのホトトギスにまで移動してきている。
迷った末、庭の幼虫は自然に任せ一匹を観察の為に飼育してみることにした。
メッシュネットで囲んだ小さな住みかだが
風通しもよくホトトギスの葉を盛んに食べている。


飼育用の住みか

蛹の背中側だが少し不気味な感じ

これが食欲旺盛で、糞の始末と葉の付いた茎を摘んできて取り替えてと意外と手がかかる。
少しだけ葉の色をしたまんまるの糞も、体につれて大きくなる。
なぜか妻はこの子をタマと呼んでいる。

何日経ったろうか。朝、葉のなくなった茎の先のほうにぶら下がっているのを発見。
まだ刺々しい風体や柔らかそうな感じも残っていたが、
翌朝にはもう蛹の形に変化していた。
それから一週間ほど経った昼前だったろうか、気がついた時にはすでに羽化していた。
蝶の翅は延びきる前に乾いてしまうとその形のまま固まってしまう。
注意しながらちょっと触れてみた。ふわふわとした感触である。
時間とともに少しづつ、ゆっくりと大きく翅を動かし始めた。

ルリタテハがゆっくりと大きく翅を動かしている(動画です。)

成虫となったルリタテハ、生まれた裏庭に放してやった。
まだ庭には気づいただけでも七体ほどの蛹がぶら下がっている。
涼しさも増し、喰い散らかされたホトトギスも新芽が伸び始めている。
庭の蛹の子たちも羽化が始まった。
瑠璃色の翅をいっぱいに広げ秋空に舞い立っていく。


庭のルリハテハも翅化し始めた

こんなところで翅化し始めた

枯れ葉と区別するのが難しい


先立て、陶芸家の吉井史郎氏の作陶展が
木屋町筋のギャラリーで催されたので覗いてきた。


華やでかわいい色彩のコスモスもなかなかお似合いの花入

吉井さんの事は過去にもマンスリーホットラインで何回かご紹介している。
京都亀岡の三国山の工房には、登り釜を自力で制作し達磨釜まで併設してある。
達磨釜は今のままでは火力に乏しいらしく、
炎の廻りを善くし火力が上がるように改善したいのだとか。
普段使いの食器や花入は勿論の事、和室の長押に設ける釘隠しを造ってもらったりと、
結構永いおつきあいをさせてもらっている。


花入

花入

花入

半年程前に工房にお邪魔して以来であるが、
ギャラリーには目を引く焼き物が幾々と展示されている。
白い釉薬のかかった花入。大皿。黒い花入や茶器。


大皿

花器や大皿

日常使いの阿南と呼んでいる茶碗や片口。どれも形が良い。
めずらしく水鳥の絵柄のものが何点かある。


茶入、茶碗などの茶器

今回展示されたもののなかから幾つかの写真を掲載したが、
その質感までは伝わらないのが残念である。
直接手のひらで包み触れたとき感じる何かが大切であるように思う。


茶席で使う水指とその蓋置

普段使いの茶碗や片口

拝見させて頂くたびに、吉井史郎の焼き物のイメージは美しい白を想う。
そしてその白が似合う形がそこにある。
勿論、黒や阿南や柄物などいい雰囲気を持ったものは数々ある。
その中でも白の花入や大皿はなかなか美しい。
登り釜の中を抜けてゆく炎が、焼き物を撫で痕跡を残しつつも、
少し控えめでそれでいてそのさり気ない力強さのほどが好ましいように思う。
偉そうな言い方ではなく、ただそれが私の好きな由縁なのかもしれない。
極めるものと、新しい試み。
そして得たものは幾度となく還元されてゆくが故に、
求め描いているものが見えてくるのかもしれない。

工房は、京都府亀岡市曽我部町寺三国山19-4
電話:0771-24-7170


ショウジョウバッタ

裏庭の平ブロックの上にショウジョウバッタがひなたぼっこ。
季節は白露、秋分を経て、寒露霜降と移りゆく。
朝夕の気配は一枚上着が欲しくなる程。
少しづつだが秋が深まるのを覚える。

 

***

 

Vol.81「endless thema - 76」(12年09月)

-------再使用/爽やかな風

 


ランの香りがほのかに香っている。クモ君もお散歩中

八月中頃からようやくランが咲き始めた。
いつもより三週間余り遅い開花である。今年はミツバチもまだ見ていない。
まさかこんな時期に咲くとも知らず、本当の蜜の収集に忙しいのだろう。
ともあれ元気に咲いているのでやれやれだ。
このマンスリーホットラインで動画を使うことが多くなった。
動きのあるものから得られるものや、動きのあるものを捉えた静止画から
イメージが湧いてくるものなどさまざまではあるが、
経験もしくは経験からくる予測がよりイメージを膨らませていく。
脳裏に残るのはどんなものか、使用方法や目的により特定はできない。
ただ、動画は動き自体の状況を理解してもらうのには都合が良い。

羽黒トンボ(動画です。)

・・・と前置きではないのだが、庭に羽黒トンボのお客さん。
胴体が光沢のある緑色に輝いているので雄の羽黒トンボのよう。
突然の夕立に驚いて逃げ場を失ってしまったのか、
雨は増々激しくなり、どしゃ降りのなか逆さまに止まってじーっとしている。
早く雨がやむといいのに。

暑くなった途端、エアコンが動かなくなった。
こういう事は得てして突然やってくる。
冷房は電気のヒートポンプ式だが、
暖房はガスで冷媒を直接暖めるため立ち上がりが非常によかった。
七~八年ほど前だったろうか基板の故障で一度は修理したものの
数年前に暖房が故障し、夏場に冷房だけを使っていた。
このタイプは既に生産が中止となってしまっていることもあり、
新らしく電気のヒートポンプ式のエアコンを入れる事にした。


必要な場所を養生します

今流行りの自動式クリーニングによる屋外への排気タイプは、
排気専用の配管が必要となる。我家の場合、室内機の設置場所の関係で
どうしても屋内露出配管にせざるを得ない為、
今ある隠蔽埋設の配管をそのまま再使用する方針で、
自動クリーニングの埃が室内機内のトレーに溜まり
新規の配管を要しないですむタイプを選択した。
住環境を考えると自動クリーニングによって出た埃を
屋外に放出すると言う事が良いのかどうかという問題もある。
既存隠蔽埋設型配管の再使用は、建物側の工事を要しないで済むので
内外の機器の取り替えだけで事は足りる。
たとえ配管径が違っても新規機種に合わせた配管をジョイントして使えるので
建物をいじる事なく取り付け工事が出来る。
ただし管内部の劣化の状態までは見る事が不可能で、多少のリスクはある。


埋設隠蔽配管が壁から出ているところです

真空ポンプも綺麗に片付いてます

仕事は養生から始まる。壁などには半透明のフィルム状のシートを貼り、
脚立や道具のたぐいは床などにきずがつかないように毛布などを敷く。
室内機には強制運転と言うのが有り、
どうにか作動して専用の真空ポンプを使って冷媒を排出し機器を取り外す。
冷媒配管をジョイントして保温材を巻きテーピングする。
手際の良さや仕事の綺麗さは職人の腕につながるるし、見ていても気持ちがいい。
通常、配管は長ければカットして納める。
街中でよく見かける余剰な配管をぐるぐる巻いたり、
たるませたままで仕舞してあるのはいただけない。
格好悪いだけでなく埃もかぶる。
出来るだけ所定の長さに合わせ、
見た目よくすっきりと収まっているのが好ましい。
取り付け後は、出たゴミの始末と廻りの後片付け、
そして持ってきた道具の整理までが仕事のうち。
エアコンのスイッチが入る。部屋の空気がさらっとし始め、
爽やかな風が心地いい。音も静かで効率も良さそうだ。
ドレイン管から水滴が落ちるのを確認する。
故障してから十日余り、手際の良さと綺麗な仕事そして爽やかな風に感謝。


カナブン君がご休憩

久しぶりにカナブン君がやってきた。玄関口の網戸に止まってご休憩。
近頃夕立がつづいている。今日も夕方には集中豪雨の予報がでている。
今日中のお仕事の途中ですか。
猛暑のなか、十分に休んで雨が降る前に終わるといいね。

 

***

 

Vol.80「endless thema - 75」(12年08月)

-------夏日/日々の暮らし serial thema

 


夏の雲

夏空。白い雲と青い空。河原も夏景色になった。
今日は風が少しひんやりと感じる。そのせいか雲もやさしい気がする。
普段の河原は意外と静かだ。水の匂いと土の匂い、そして日向の匂い。
暑さも増してきた。いろいろな形の輪郭をはっきりさせるほどに
この時期の日差しはきびしいが、ふとした夏の蔭に少し心安らぐ思いがする。


ガラリ

おかのり

白地にらでいっしゅの絵柄の描かれた専用のトラックで
毎週届くらでいっしゅぼーやの宅配システム。
幾種類もの品と一緒に、花螺李(ガラリ)と言う沖縄在来種のスモモが届いた。
小ぶりで酸味が強いが黒く熟し柔らかくなると甘味が増す。
暑い時期、冷たく冷やしたスモモのさっぱりした酸味は気持ちも潤う。
珍しい野菜で、おかのりというアオイ科の野菜も入っていた。
茹でるとねばっとした感じで、ちょうどモロヘイヤをあっさりした感じである。
カルシウムやビタミン類が豊富に含まれているそうだ。
細かく刻んで焼き海苔とわさびをまぶしていただいた。


コンサートホール

先立て、一音寺室内合奏団の定期演奏会があり、
京都コンサートホールに聴きに行ってきた。
開演は夕の刻七時。夏ころの夕暮れはまだざわめきの残るうすら明るいころ。
気持ちも長くなり何事も薄ぼんやりとお互いに出会う入相(いりあひ)のころに始まる。
舞台正面の平席で聴く事はほとんどなく、
いつもながら写真の位置あたりの席で聴くことが多い。
席はオールフリーで、廻りが気になる事なく楽しめる。
少し早めに入場すればもう一段下階の席を確保できるのだが、
なかなか上手いタイミングで着けない。

何故このセクションで聴くのか?と聞かれると、返答が難しい。
しかしながら気分的には最高である。
ただ舞台に向かって右前方のビオラ奏者の
指先の動きと表情がつかめないのが唯一残念である。
ビオラ奏者の一人である知人の江村さんは、
いつも一番客席に近い位置で演奏される。
この位置では江村さんの指使いがじっくり拝見できないのが少し残念であり、
次回こそは二十分程早めに家を出て反対側下段で聴いてみようと考えている。

音は耳で聴くだけではなく眼でも聴く。
視界から入ってくる多大な情報量は、耳から入ってくる音を誘発し、
心的な変化も加味され、フィードバックを繰り返しながら繋ぎ合い増幅する。
スタティックな優しい指先のタッチは穏やかでひなの胸毛が揺れるよう。
小気味のいいタッチは鮮やかでしなやか。
ダイナミックな動きは、力強くいきいきと伝わってくる。
静的なものの内にある動的な輝きには心揺れる。体の動きや顔の表情も同じ。
それぞれがそれぞれを刺激し合い、より完成度の高いものに展開していく。

この日は、演奏合間の休憩時間に
いつもいただくシャンパンが無く白ワインで咽を潤した。
決してシャンパンが目当てでは無いのだが少し心もとないのである。
まあ、それはそれとして毎回気分よく帰宅できるのはうれしい。
心残りのシャンパンはまたの機会のお楽しみとしておこう。


クモさん

ウラン

ある朝、クモさんが干し物の上をお散歩中。
何かを探しにやってきたのか、二本の腕を動かしている。
この子は家の中のあちこちでよく見かける。
この子の同族のクモさんや違う種のクモさんたちも、
時折私の視界の中に知らず知らずに入ってくる。
玄関先ではフウランがよく咲いた。
今年は季節外れの台風や涼雨の影響か、咲く時期もまばら。
黄緑色だった花芽は七月中から末にかけて真っ白となる。
八月号では少し遅いかもしれないが、
ゆるみのない日差しに純白のフウランは咲き誇っているかのよう。
ついこないだまで穏やかな気配をひそかに探っていたのに、
香りとともに夏日となった。

 

***

 

Vol.79「endless thema - 74」(12年07月)

-------夏風/怒り新党

 


ウランの芽が出始めた。徐々に白花となり、
夏風に乗って漂いはじめる甘い香りのフウランは馥郁しい。
ホウチャクソウの卵形の種の色が深みを増してきた。
ホウチャクソウは花びらがとれたあと、黄緑色の小さな種が残る。
残った種は時と共に次第に大きくなり、暑さにつれて紫黒色となってくる。
昼前近くに、庭でばたつく音がして窓の外を覗いて見る。
ヒヨドリだ。逆立ったような頭毛と薄茶に
濃いめのチャコールグレーの渋い色の柄を纏っている。
小枝をクチバシにくわえて飛んでいった。
しばらくしてまた戻ってきた。どこかで巣作りだろうか。
廻りをうかがいながら警戒している。
強風や豪雨には負けずに頑張れよ。

ヒヨドリ(動画です。)

京都市は、先月六月四日に
左京区岡崎にある京都会館の一部建替の基本設計の発表をした。
ちょうど一昨年2011年の六月二十四日に
京都会館再整備基本計画」を発表したが、
今年二月五日の京都市長選に於ける中村和雄候補の保存再生に対し、
門川大作 現市長の建て替え的な発言も記憶に新しい。
市長前期からの予定とは言うものの、
設計者決定もさることながらすでに基本設計が完了し完成予想模型まで出来、
今秋には解体が始まる予定らしい。
第一ホールの建替と第二ホールの改修と言う発表だが、
どこがどうなるのか、特に景観は気になるところである。
昨年の発表後、京都市は保存を求める日本建築学会、建築士会、
建築家協会等を巻き込んでの検討委員会を設置したにもかかわらず、
市側の一方的見識でことが運んだと聞く。
高さ制限の規制については都合の良い規制緩和に依るちぐはぐ制定を行い、
条例の規制緩和の特例あたりでつじつま合わせである。
いつもながら京都らしい顛末になろう気配が漂うのが気がかりだ。

岡崎一円の景観保全はどうなったのか。
2007年に新景観政策が制定されたところである。
当然のことながら緩和条文も折り込まれた。
それをもとに今年の一月に今回の計画に合わせ緩和している。
そのつど都合のいいように変えて行く規制緩和
こんな小さな街で特例ばかりでどうするのって感じになりはしないか。

市の進捗状況自体、奥歯にものが挟まった感じでクリーンさがない気がする。
市民諸団体等が解体予定の撤回を求めて異議申し立てをしつづけていると聞く。
遅れて困るという理由はどこにも見当たらないだろう。
事が進む前に十分な時間をかけ大いに議論されるべき事例であり、
血税を使う以上市はそれに答えるべく姿勢を見せるべきではないかと思う。
テレビ朝日の深夜番組ではないが「怒り新党」が必要だ。
そして理不尽な時柄を明確にしていって欲しいものである。
この事例だけではないが、私程度のものが思うのだから、
京都の顛末や如何っていう危機感を感じる。


京都会館は1960年に建築家故前川國男が設計したモダニズム建築である。
日本建築学会賞を受賞した建物でもある。
翌年の1961年に竣工した東京文化会館の計画を併せて考えると、
如何にして前川國男京都会館に臨んだのかが伝わってくる。
その描いたイメージはより日本的でより京都的かを心に、
その想いをもって十全の力を注いだことかと憶測する。
アプローチである歩道のある二条通りのファサードは、
水平線を強調した軒のイメージが連続する。
そのアプローチからピロティとなっている
第一ホール入り口まで抜けているオープンエアーの中庭空間は
伝統的建造物が建ち並ぶ伽藍配置の三門を抜けるイメージにも重なる。


柱と連なる軒のファサード

奥行きを感じるエントランス

低く抑えられた舞台上部

狭いと言われているホワイエだが、そのピロティとなった外部空間がしたたかに
その役目を果たしているように思われる。
正面歩道からピロティを抜けその先へと視線はつづく。
その奥の深さは中庭をいっそう豊かなものにしている。
また、冷泉通りを琵琶湖疎水沿いに歩いて行くと、
舞台上部の勾配屋根のあるバックヤード側が視線に入ってくる。
高さを感じさせない疎水に面した美しい景観はモダニズム建築を継承するにふさわしい。
そして京都にある前川國男の唯一の建築であり、
保存再生するに似つかわしい建築であることは間違いなく、
築五十年余り、老いて美しい。


疎水から見る景観は美しい

 

***

 

Vol.78「endless thema - 73」(12年06月)

-------ひととき/微風 soyokaze

 

五月始めの朝、通りから托鉢のお坊さんの
「お~い。お~い。」という声が響くのが聞こえ、
急いでお布施を包んで外に出た。
「おはようございます。」と声をかけられ。
「おはようございます。」と返事した。
なかなか間に合わないこともある。
あ~と思っているうちに素通りされてしまう。
数週間後、小雨の朝にもお~さんの声が。
急いで玄関の木戸を開ける。いいタイミングで間に合った。
・・・ほっ。


ハクチョウゲ

キンリョウヘン

微かに漂う季節感。白丁花(ハクチョウゲ)が花をつけている。
半木陰のせいもあるが、まだ小ぶりでもう少しボリュームがでてくると、
沢山の花をつけてくれることだろう。
鉢植えのキンリョウヘンも咲いている。
キンリョウヘンは中国原産のランで金稜辺と書く。
興味深いことに、花には蜜がないのに
ニホンミツバチだけを誘うという不思議な生態をもつ。
窓の向こうにアゲハチョウが見える。

ナミアゲハ(動画です。画面をクリックすると再生します。)

羽を休めているのだろうか。街中でもよく見かけるナミアゲハだろう。
ナミアゲハの幼虫はみかんなどの柑橘類や、
サンショ、カラタチなどみかん科の葉を食べる。
五月の風に揺られて気持良さそう。


霧島ツツジ

長岡八幡宮社務所

京都長岡京で旬のタケノコをごちそうになった。
近くの長岡八幡宮の参道には、
赤紅色の霧島ツツジが満開で、その色の華やかさに戸惑う。
階段を上がってすぐ左手には社務所が建っている。
平屋建で重なり合う入母屋の屋根に唐破風の向拝。
大屋根の入母屋はてりむくりがつけられ、
屋根の勾配も緩やかで穏やかな形である。
唐破風の向拝には形のいい蟇股(かえるまた)が設けられ、
宝相華唐草紋と思われる彫り物が綺麗である。
棟には経の巻の出の少ない形の優しい獅子口が乗せられている。


蟇股(かえるまた)

獅子口

獅子口は屋根の棟瓦の両端や端部の雨仕舞として
設けられた装飾瓦のひとつである。
仕舞の瓦の種類には獅子口の他、鴟尾(しび)、
鯱(しゃちほこ)、鬼瓦、などがある。
経の巻というのは、獅子口の上部につけられた
三ないし五個の円筒形をしたところを指す。


白鳥


ごちそうになった料亭の庭にも、霧島ツツジが咲き誇っている。
聞くと明治14年(1881年)の創業当時からだと伺った。
樹齢130年あまり、それはみごとである。
池には白鳥が水面に身を任せるように静かに過ごしていた。
橋の上に造られた藤棚には満開の藤の花。薄紫色が新緑に似合う。
食事は離れでいただいたが、主屋の大玄関の唐破風屋根、
手入れの行き届いた取次の間のしつらえ、
襖には版木を使った唐紙が張られている。
その襖の引手や塗壁の赤みがかった壁色など時代を想わせる。


大玄関

うっすらとした夕刻は気持も穏やかになる。
のどの乾きにはほろ苦いビールが旨い。
ここのタケノコは自家製で朝掘りの新鮮さを提供してくれる。
出汁の利いたこりこりとした食感で食べる煮物はえぐみもなく流石に旨い。
やわらかいところはさしみや椀もので、
中程部分は天ぷらや甘辛の味付けの焼き物でいただいた。
日本人であることがうれしい。
日も沈みかけのざわめきの残るゆっくりした時刻。
まだすこし酔いも醒めやらぬなか、少しひんやりとした風がここちいい。


五月の二十一日朝七時半ころに、
日本では二十五年前に沖縄で観測されて以来の金環日食があった。
私はその晩のTVのニュースででも見るつもりだったのだが、
二階でピンホールで投影した影像を見ていた家内に呼びつけられ、
三日月状態とはなったものの記念撮影をしておくことにした。
次回日本で観察できるのは、2030年の北海道になるらしい。
朝の数分間の出来事であったが、
日本中が宇宙の定率の創り出す普遍的現象に、
釘付けのひとときとなったのではないだろうか。

 

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