人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

endless thema -174------ 2024年 続きの月 / 鬼龍子

2024年、季節はもう大寒の末候。来月4日は立春を迎える。年頭に起きた能登半島地震。29年前の1993.0117阪神淡路大震災で神戸市の建築相談ボランティアで元町周辺を訪れていたときの記憶が重なり合う。( 関連 message/月刊アーカイブ2021.11.9 endless thema -147、月刊アーカイブ2017.5.07 vol.50 endless thema -45 )

 

 

庭のシロワビスケは冷え込みが厳しくなる頃から咲いていた。黄色い雄蕊は淡い色をしてるせいか、穏やかに見える。

沈丁花の蕾が大きくなってきた。馥郁となる頃には、もう少し時間はあるが楽しみである。

 

毎年の賀状や寒中見舞はその年の干支に因んだ古建築部位の語彙を紹介している。     今年は「 龍 」で「 鬼龍子/きりゅうし 」。鬼竜子とも書く。

鬼龍子は、日本の伝統的建造物にはあまりみられないが、湯島聖堂弘道館などに見られる狛犬の霊獣として降棟の鬼瓦として用いられたようだ。本来は四方の隅棟と稚児棟に乗るが、降棟にも同じデザインの神獣霊獣が飾られている。

 

写真の台湾などでは、隅棟の先端に乗る三体連なる龍や霊獣などを指す。写真の龍はその一部で非常にカラフルで装飾的である。

 

湯島聖堂の鬼龍子は建築家 伊東忠太のデザインである。棟に乗った霊獣は、屋根の上から地域を見守っている。

endless thema -173------ 2023年11月 霜降の頃 / 環境

 

カラフルミニトマトを撮ってみた。最近ではスーパーでも見かけることもあるので、目新しいと言うことはないが、アップで見ると何かわからないところもある。

 

明日から11月と言う日に、午後の日差しが反射した軒裏を眺めながら、ふと、アシナガバチの巣がないなぁと思いを巡らす。数年前までは、いくつもあった。巣がないのは長閑なく、こころもとなくもある。

写真は2014年( endless thema -97/ AALTのprojectのことを書いた2014年6月 投稿より )のものだが、水遣りしながらも、こんなシーンがよく見られた。アシナガバチは気持ち良さそうにセキチクの花に体をうづめていた。水遣りをしていると必ずと言うほどに飛び回っていたが、ここ数年はその気配はない。アシナガバチは6月初めにかけて母蜂が巣を作り始め、活発に飛び回り、水遣りをしていると近づいてはくるが、適当な距離感で飛び回る。ちょっかいさえ出さなければ攻撃はしてこない。

 

フェノロジーの話はちょうど一年程前、endless thema -158/2022年11月 に書いた。最近、クマが人の暮らす生活区域にまで出現するニュースが頻繁に報道されている。冬眠する前に越冬出来るだけの体を作る為に食欲の増すクマ。

手入れされないままの里山など中間領域が不鮮明になったこともあるが、ひとつには、クマの食べるブナ科の樹木になる木の実のドングリなどが少ない。イノシシが木の実を食べまくっていると言う話もあるらしいが、気候は木の実が成るにはまだ少し暖かい季節相違がある。クマの出現は、そう言った関係を維持出来なくなったことからもきている。

これら、季節と生物の関わりの変化をフェノロジーと呼ぶのだが、身近な問題として現れ始めた。

 

見えないうちに、深刻化しつつある問題もある。人為的な問題で、有機フッ素化合物のPFASなどが人に及ぼす影響が問われ、私が知る限りでも、もう何年も前の事だ。

20230912のニュースで大阪の府民調査を開始すると聞いてから、もうじき2ヶ月になろうとしているが、経過どうなっているのやら。

PFASは全国的な規模で確認され問題視されてることもあり、調査報道は頻繁にされる事案でもあるはずだが。

 

7日には立冬を迎える。今年は暖冬の予報がでている。クマさん達は無事冬眠出来るのだろうか。

endless thema -172------ 2023年10月 秋分~寒露 /CFの中の建物

 

秋分に差し掛かる頃に、いつもの植木職人さんに剪定をお願いした。蒼蒼とした葉に隠れていたモチノキの実は、ようやく顔を出した。幾らかの実はもう赤くなり薄緑色の実とのコントラストも面白い。

実のなっているのに気づいたのは数ヶ月程前。実がなると言うことは花も咲いていたといえる。花は白身がかった薄緑色で実も始めは薄緑色のため、実の生っていることに気づくのは紅くなり始めてが多い。

 

花の咲いている写真は2014の初夏のものだが、この頃は沢山の花が咲き実がなっていた。ここ数年実がなる事が少なかった。今年はその頃に近づいてきたと言ったところだろうか。

センリョウや裏庭の鉢植えのカマツガの実も少しづつ移ろい始めた。

 

たまに目に止まるTV CFが気になっていた。ディオールだと記憶しているが、CF中に一瞬だが建物が映し出される。記憶が正しければ、ルイス•カーンのソーク生物学研究所だ。

以前、車のCFにも使われていたのを思い出す。このブログのバックナンバーendless thema -119/ マンスリーホットライン2016. 04月号のなかから一部を加筆修正した。

 

その当時みたCFは、視線の広がる空間に一台の車が置かれたTVのCFのラストのシーン。コンクリート打ち放しのフォルムの美しい建物の残像が残る映像であった。

ルイス・I・カーン(1901–1974)設計のソーク生物学研究所(カリフォルニア USA /1950 – 1965)であった。打ち放しのコンクリートの建物は中央の広場を挟んでシンメトリックに配置されている。オーク材などの木質系で構成された窓廻りとコンクリートコントラストはカリフォルニアの青い空を一層際立て、美しい風景を造り出している。カスケードと呼ばれる水路が有るだけの広場には大きく深く呼吸をしたくなるような風が吹き抜ける。

映画マイ・アーキテクト( MY ARCHITECT/A Son's Journey)を思い出し、パンフレットを捲ってみた。

ソーク生物学研究所は小児ワクチンの発明で知られるジョナス・ソーク博士の設立した施設であり、「ソーク博士は、研究者たちが同じ場所で同じ時間を過ごしていることを自然に感じ取れる修道院のような中庭と回廊をもつ空間の実現をカーンに求めた。」そして「メキシコの建築家ルイス・バラガンの助言を得て、植栽のないドライな広場として残された中庭にはカスケード(水路)がひかれた。」※2。バラガンは「空へのファサード」※1という言葉を贈っている。

 

世界的な建築家はみな小住宅を創るのも巧い。同じくカーンも小住宅を創るのは巧い。なかでも、オーク材をふんだんに使ったフィラデルフィア郊外ハットボーローに建つフィッシャー邸(1950ー1957)や窓から差し込むグレアーの程よいチェストナット・ヒルに建つエシェリック邸(1959-1961)は素晴らしい。どんな建物でも住まいと呼んだカーンは長く使い続けていける数々の魅了する空間を造り出した。耳を傾け、絶え間のない情熱をかけつづけることの偉大さを学ぶ。

 

写真の書籍は見開きが建築家齋藤裕氏の美しい写真と文で綴られた「Louis I. Kahn Houses/ルイス・カーンの全住宅1940-1974」(写真・著/齋藤裕 2003年 TOTO出版)※1、下に見えるのが映画マイ・アーキテクトのパンフレット※2である。

endless thema -171------ 2023年9月 / 日々天候不安定

瑠璃色の羽を揺らしながらルリタテハがやってきた。裏庭の葉っぱの先に触れたり離れたりと、ツンツンしながら舞っているところを見かけたのは少し前の事になる。孵った幼虫はホトトギスの葉を食い散らかしながらも、蛹になるのもまじかと言うくらいに大きく育った。今年もホトトギスの育成はあまり良くない。毎年少しづつ縮小しつつあるのは温暖化の影響もあるのだろうか。ここ暫くは不安定な天気が続いているが、元気に羽化するといい。でも、大分と早い舞来であった。

 

このブログendless themaをパソコンで開いたとき、イメージの違うウインドウが表示される。理由はわからないが、モニターの一部をクリックすると標準レイアウトのページに戻る。ブログに引越した当初から気にはなっていたが、歳を重ねるといろいろな事が面倒になってくる。理由が分からずほっておくことにしてある。

 

endless thema -170------ 2023年8月 処暑の候 / 技術

家の庭では、ホウチャクソウの実が黒紫色へと変わっていた。実は初夏の蒼さから深い紫へと季節は移り庭中に広がった。エアコンの室外機の吸気口辺りを間引いて花入に。ホウチャクソウは漢字で宝鐸草と書き、花冠が宝鐸に似ていることからきているのだとか。お堂などの屋根の隅木の先端に取り付けられた銅鐸を宝鐸といい、風に揺れ動く様を模似してそう呼ぶ。

 

 

このところ橋の話が続いたが、巨大構造物のスケールの迫力には心惹かれるところがある。以前にこのブログでも書いたが、学生の頃にはシェル構造を始め特殊構造には随分と惹かれていた。流れゆく力はそれを表現する形態の美しさに同化される。代々木第一第二アリーナを初めて見た時の若き日の記憶が残る。写真は、SD8001 丹下健三鹿島出版会 の掲載頁より

 

東京オリンピックでお馴染みの新国立競技場のコンペは二度行われたが、2012年当初の最優秀賞ザハ•ハディド案が建設可能になったなら今どんな風となって流れていたのか、心のかけらのように小さな断片となってしまった。

 

 

1973年完成のオーストラリア•シドニーのオペラハウスは国際コンペでヨーン•ウツソン案が採用された。当初のシェル構造からPCa( プレキャスト•コンクリート )のアーチ部材を現場で連ねる構成に変更とはなったが、完成まで実に14年の歳月を要した。

その案を当選案にした当時の諸関係者の情熱には計り知れないものがあっただろう。それは、どうすれば可能となるかという建築技術向上に向けた揺ぎのない情熱でもある。

写真は、a+u 73.10 SYDNEY OPERA HOUSE 特集の安藤健司 「シドニー•オペラハウスの工法」の掲載頁より

 

建築技術には、閉ざす事なく受け継いでいかなければいけない技術が多々ある。そのなかには、伝統的建造物である城廓の技術が日本にはある。バックナンバー( endless thema -133 ------ 隅櫓 )でも書いたように、造ることにより継承されていくことが重要である。名古屋城天守閣の木造による再建計画からは、日本の城郭普請には必要不可欠な継承技術であり、そこには閉ざしてはいけない事由がある。

 

このブログは、元はと言うと大学の校友会のメンバー設計同人の小冊子から書き始めた。2002.4月の創刊から始まり、マンスリーホットラインへと移行し、そしてはてなブログへと続いた。かれこれ21年余り経つが、綴ってきたMessageを振り返ることの重要性も再確認する。

endless thema -169------ 2023年八月夏 /広島平和公園

広島と長崎に原爆が投下されて今年で78年になる。毎年両都市では、慰霊祭が行われる。バックナンバーで書いた原爆ドームや広島平和公園のことを、毎年この月に加筆修正し再稿する事にしようと思っている。

 

 

写真は、2021年12月4日の朝日新聞の記事である。広島の原爆ドーム世界遺産に登録されている。ドーム内の写真には、耐震補強のための鉄骨部材が幾層にも設けられているのが見える。床には崩れ落ちたと思われる痕跡も確認できる。1945年8月6日、投下のあった日からは80年近い歳月が経った今、記憶に残しておかなければならない歴史である。(2021年12月 記)

 

 

広島平和公園は、建築家丹下健三氏の設計である。平和祈念式典はいつもTVで見る。生い茂る木立越しに原爆ドームが視線に入る映像からは、歳月を重ねて丹下氏の想いと共に祈念公園として成長し続けているように見える。

2015年の年初めに、「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組がNHKEテレで放映された。戦後の復興から高度成長そしてバブル期から現在に至までの建築を通して見た日本の風景。私もそれらのいくらかの時とともに建築を学んできた。番組はその時代の建築物から時代を検証し日本の記憶の戦後史を辿る。番組から東京タワーの鉄骨は物資の不足した時代、アメリカ軍の戦車をスクラップにした戦争という大過からできていると知った。まさに時は空間の中に記憶される。

 

番組中に登場する、東京都庁や代々木オリンピックアリーナの設計でも知られる丹下健三は1949年広島平和公園の競技設計に入選する。門をイメージする資料館のピロティをくぐり、慰霊碑のアーチから川を隔ててまっすぐに伸びた軸線の向こうには原爆ドームが視線にはいる。氏は「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、人々が実践的に創りだして行くものである。この広場の平和を祈念するための施設も、与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく平和を創り出すための工場でありたいと願う。」と述べている。

また「報道特集 鎮魂への条件~1969~」(1969年NHK放映)の氏のスピーチも編入され、「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと大分とイメージが変わってきている。原爆の体験や経験が薄らいできているのではないかという心配がある気がする。平和と祈念する公園にし、さらに推進する為の起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、この記憶をどうゆう風に正確にふさわしく鮮烈に伝えていくかということであった。」とも述べている。

 

写真は広島平和公園の掲載された鹿島出版SD8704「特集 丹下健三 都市・建築設計研究所」である。建築家丹下健三の想いが果てることのない将来にわたり届きつづけて欲しい。(2015年2月 記)

endless thema -168------ 2023年7月 / 風景

玄関の格子戸を開けるとフウランの香りが漂ってくる。動植物等の名は一般的にはカタカナ表記だが、漢字では富貴蘭/ふうきらん と書く。今は玄関先と裏庭に置いている。

 

前回、橋の話を書いたついでと言っては何だが、バックナンバー 2008.11 endless thema - 30 を一部修正し再投稿することにした。2023年現在の姿とは多少の変貌はあるだろうが、鴨川の土手沿いを散歩しながら、鴨川に架かる橋を考察したしたときのものである。

 

-------ウォッチング

久しぶりに賀茂川を歩いた。賀茂街道を横切り河原に出る。ざわめきが残る夕刻の川面はこころ安らぐ風景をつくりだす

幾つもの通りを横切って河原を行くので、両岸の橋の下を行きと帰り、くぐった橋の数だけ二度くぐる。ついつい橋の裏側の橋桁や橋脚にも目がいく。

 

橋は川幅にも依るが、川中に数カ所のコンクリート製の橋脚があり両端が岸のある道路側で支えられている。構造体が隠れてしまっている場合が多い建築とは違い、土木系は構造体がそのまま露出している場合が多く、ストレートに表現されダイナミックである。その分、美しくデザインされているか否かも目に映る。

橋梁の下端がゆるい曲線を描いているのは視覚補正されているためで、中央を少し上側に持ち上げることにより垂れ下がり感をなくしているのである。

 

 

ご存知の通り橋は鉄骨で造られることが多い。伸びもすれば揺れもする。大スパンの橋梁などはピン支点と呼ばれる接合方法が用いられている。写真の橋の架構は、中側の一ケ所の支持が回転端(PinあるいはHinge)でコンクリートの橋脚の柱頭に載せられている。

 

その他と両側の支点は移動端(Roller)となっており、地震時のみならず車やトラックが通ることによる震動や変形と、通常の自然気候の寒暖による変形や収縮膨張に追随できるように、すべるように取り付けられている。

 

橋によって支点の形状にもいろいろある。地震等による支点の破損で橋桁がずれて落ちないようにか後で取り付けられたのか取って付けたような補強の金物がついている箇所もある。

 

勿論、他にも架構の工法はある。別の橋ではピン支点は全て回転端を用い側桁にExp.j.のようなものが設けてある。

 

土手の向こうは賀茂街道。交通量も多いし成のあるバスやトラックも通る。河原からのビューも重要である。歩いていて車が見えるのはいただけないが、確かに車で走っていても広い河原や水際の近くは見えるが、土手側の道は意外と見えずらい。土手の傾斜と緩衝緑地は効果的な役目を果たしている。(2008.10)