人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.113「endless thema - 108」(15年05月)

 

--------五月/日々そうそう

 

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天神川沿いの桜

 

先月始めのことだが、いつもと違うルートで所用の帰り道、四条通りを天神川沿いに曲がる。
視線に入る川沿いの桜が美事であった。
群生と言った感じだろうか。
先立て来京の際会えなかった知人は以前この辺りに住んでいた。
ふと思い出し懐かしさがよぎった。
今年は雨露霜雪がつづく。空の晴れ間を見計らい妻を連れ出し花見に行った。
花曇りの時節、川面は微かに波打ち穏やかに樹形を映り込んでいた。
美しい日本の風景。いいタイミングで見ることが出来た。

建築物には人と同じく健康診断がいる。
なかでも一定規模以上の特殊建築物には定期検査の報告が法令上義務付けられている。
建築に関しては三年に一度の定期検査、建築基準法上の建築設備は毎年点検の定期検査の報告書を特定行政庁に提出しなければならない。
私も報告義務のある建物を受け持っている。
本来は昨年中に行なうべき建物でその予定ではあったのだが、つい…。
管轄の行政庁から督促状が届いたとクライアントから連絡を受け、急いで行なった。
建築土木を問わず昨今のトンネル事故や巨大な天井の落下事故に電飾看板の落下事故など、専門の知識のある諸氏の所見や検査の必要性のあることも事実だろう。
法令基準は新しく更新されていく。
基準が新しくなるということは、既設は新基準に適合しない部分ができ既存不適格ということにもなる。
新しくなっていく基準にどの段階でどこまで改修していくのかは軽微なものを省き難しい判断になる。
重要なのは経年変化に伴う劣化にどう向き合うかである。
街中を見渡せば、手入れの行き届いたところもあれば、数年で劣化が始まるような放置状態に近い建物もみられる。
報告義務の有無にかかわらず不特定多数の人の関わる建物では、構造安全上の整備は日常的に必要とされる。
特に防火や避難に関わる設備が十分に機能するかどうかということは重要なことだ。
勿論、生活の基盤である住居などにおいても日頃からのメンテナンスは欠かせないことだ。
近年巨大地震の可能性が高いと言われている。
より耐震性を高めるための方策も迫られる。

 

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シラユキゲシ

 

暖かくなるにつれて、少しづつだが太陽の高度が高くなるのがわかる。
裏庭の板塀近くにはシラユキゲシが咲いている。
ねじれていた新芽は開きハート形の葉になり、太陽の光を一杯浴びネギ坊主のような花芽がつく。
その蕾は次第に大きくなり白い花になる。
ブラインドに映る日差しも徐々に大きくなり、羽に反射させた光は部屋の奥まで届く。
埃が目立ってくれば羽の掃除。
羽に付いた埃は適度に取ればそれほど気になることはないが、怠ると途端に目立ってくる。
何事もそうそう、そして適度が大事だ。
換気扇のパネルなども適度な掃除が必要だ。
この頃では小さな換気扇も簡単に羽まで取り外しできる機種が随分とある。
特に小さなパイプファンやダクトファンなどの羽が外せるのはうれしい。
しばらく掃除していなかった100φのダクトファン。
思い立ったが吉日、羽を水洗いしてみた。
外して埃を掃除機で吸って水洗いするだけだからそんなに手間もかからない。
換気扇本体の内側も掃除機で吸って濡らしたぼろ切れで拭いておく。
クリーンになったという爽やか気分からだろうかファンの廻る音まで違って聞こえる。

 

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ダクトファン

 

先月は久しぶりに小学時代の同窓会にも参加した。
考えてみれば成人式以来となる。
音信不通の野々部が来ると言うことで盛り上がっていたとか。
思えば小学六年間共にした友である。
忘れかけ途切れ途切れとなった記憶にある微かな面影を追って昔を懐かしむ。
女子に「野々部くん。」と呼ばれ途端に小学時代に引き戻されていく不思議な感覚が残る。
短い時間であったが、滔々とした安堵感のある時を過ごした。

 

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ホウチャクソウ

 

裏庭のあちこちではグリーンアスパラの様な芽が出始め、あっという間に大きくなったホウチャクソウが風鈴のような白い花をつけている。
お寺の仏堂や塔などの軒先や塔の相輪などに吊るされた風鐸のような形からそう呼ばれる。
今日は五月晴れ。すこしうきうき感。そんな季節になった。

 

*****

 

Vol.112「endless thema - 107」(15年04月)

 

--------四月/日々蒼々

 

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沈丁花

 

時日、穏やかな日差しは気持も軽くなるぶん集中力は弱まる。
まあこの季節それでいいのだろう。
時々物々、風の吹くまま休息を過ごすといったところだろうか。
窓を開けると少し暖かさの残る春風とともに沈丁花が香って来る。
部屋の切り花からも快い春の兆しに心動く。

三回同じ題材がつづくが心響く言葉が有る。
NHKEテレで放映された「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組中、巨大化し複合化している現代建築について建築家隈研吾氏はこう述べていた。
「大きな派手な空間を造らないと、まず資本が集まらない。そういう何か一種の怪獣化している訳です。一見すると派手だけど資本の為であって人間の為ではないんじゃないか。そのエサは、そういう世に中の仕組みがそういう建築物をどんどん再変遷している。で、そう言うものと違う建築の作り方を見せてやらないと、このジャンルに生きている人間としてすごく恥ずかしいなと思うんですね。」
隈研吾氏らしい口調からでる言葉は熱くしてくれる。
建築家のなすべきことそして建築家としての資質を問う言葉でもある。

 

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年代物の街灯が残る

 

町内のうちの組の年代物の街灯が壊れ新設されることになった。
傘のついた白熱灯の柔らかな光だったが、今度は新しく電柱付きの輝きのあるLED球の器具になる。
球切れなどのメンテナンスを考えると寿命の長さはかなりのメリットになるだろう。
照明の球の演色性を評価するのにRaと言う指標を使う。
自然光のもとで物が見えたときと元の色にどれくらい近いかを示す指標でRaは100を基準としている。
一般蛍光灯はRa60~70程。
白熱電球やハロゲン球はRa100である。
LEDは普通Ra80程、高演色タイプでRa90ほどある。
LED球は蛍光灯に比べると演色性もよく高効率ということになる。
Raは100に近い数字程自然光で見るのと同じ色に近いと言うことになるのだが、球切れのデメリットや省エネ効果を考えなければ、発光のおだやかな白熱電球は優れていると言える。
近頃多くなった車のLEDのヘッドライトは対向車からのまぶしさに刺激が有り、眩惑が気になる。
LEDのきらっとした感じは私的にはどうも苦手なところがある。
目に入ってくる眩しさはより強くなり、居心地のよさは少しづつ失われていくのではないかと懸念するところもある。
技術的に白熱電球の改善の余地はないものだろうか。
フィラメントに使うタングステンの変わりとなり、よりやさしく光を放つ高効率で長寿命の新素材の発見を期待したいものだ。

 

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銀杏

 

よくいただく銀杏。自家用だそうだが、ふっくらと大粒で旨い。
煎って殻を割り薄皮を剥ぐ。まだ湯気が出そうなころに頬張る。
やわらかでふっくらと、そしてかじった真ん中はジューシーで、ロックで飲む焼酎によく合う。
銀杏は種の部分を頂くが、種を覆った果肉はご存知鼻をつまむほどだ。
収穫した実の果肉の部分は水で洗い流し乾かす。
その作業を思うと感謝である。
今年もそろそろ出回るのが終わる時季となる。

 

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裏庭に咲くクリスマスローズ

 

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玄関先のクリスマスローズ

 

裏庭のクリスマスローズは長く咲いている。
玄関先の鉢植えには紫、うす緑、うす赤い斑点のある白それに真っ白。
今年はうす緑が咲いていないが春咲きのクリスマスローズは紫から咲く。
裏庭で咲くクリスマスローズは花びらの先が丸みをおびているが、玄関先で咲くクリスマスローズは少しとんがり気味。
時折、道を抜けていく風に挨拶するかのように花葉をゆらしている。
草木の新芽は次々と芽吹き、春風駘蕩といった季節になった。

 

*****

 

Vol.111「endless thema - 106」(15年03月)

 

--------三月/祈念

 

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クリスマスローズ

 

窓際に置いた鉢植えのクリスマスローズの蕾が白く色づいてきた。
この鉢の種は原種ニゲル系との交配のオリエンタリス(レンテンローズ)、いわゆる春咲きのハイブリッドである。
花びらの先が丸みのある白い花が咲く。
庭先のスノードロップの新芽も随分と大きくなったが伸び過ぎのきらいがある。
今年は花芽がつくかなというところだろうか。
春を思うスノードロップはガランサス・エルウィジーという。
和名はマツユキソウ。漢字で待雪草と書く。
本来、動植物などの名はカタカナで書くのが一般的だが、和名の漢字もらしくてよく使う。
学名や通俗名、和名の漢字名もカタカナ名も、その時々の思いで使い分けている。

 

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クリスマスローズ

 

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広島平和公園

 

戦後70年。今年も広島では慰霊祭が行なわれることだろう。
そして、建築家丹下健三生誕100年を迎える。
今回、先月号に掲載した丹下健三の想いの部分をもう一度掲載することにした。
写真は広島平和公園の掲載された鹿島出版SD8704 「特集 丹下健三 都市・建築設計研究所」の1頁である。

NHKEテレで放映された 「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組に編入されたなかで、丹下健三は広島の平和公園について
「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、人々が実践的に創りだして行くものである。この広場の平和を祈念するための施設も、与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく平和を創り出すための工場でありたいと願う。」
と述べている。

また番組中の「報道特集 鎮魂への条件~1969~」(1969年NHK放送)のなかで
「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと 大分とイメージが変わってきている。原爆の体験や経験が薄らいできているのではないかという心配がある気がする。平和と祈念する公園にし、さらに推進する為の起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、この記憶をどういう風に正確にふさわしく鮮烈に伝えていくかということであった。」
とも述べている。

公園中央に設置された慰霊碑を望みながら、門をイメージするセンターのピロティをくぐり、慰霊碑のアーチから川を隔てた軸線上には原爆ドームが視線にはいる。
建築家丹下健三の想いが果てることのない将来にわたり届きつづけて欲しい。

 

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風切軒巴と平袖瓦

 

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大阪駅プラットフォーム

 

先月、所用で大阪の東天下茶屋まで行った。
今も残る上町線路面電車に乗る。
駅近くに切妻の甍(いらか)の連なる古き町並みを見つけた。
古き時代の切妻屋根は桟瓦で妻側の二筋の風切は軒巴で納まり平袖瓦で葺いてある。
奈良町あたりでもよく見られる葺き方だが、重厚な感じに加え単調になりがちな切妻屋根にアクセントを添え、凛とした表情はなかなかいい。
上町線のこの辺りは馬車鉄道だったとか。
古き時代の風景を思い浮かべると、そこはかとない気持が漂ってくる。
帰り途中乗り継いだJR大阪駅のプラットホームには、湾曲した巨大なトップライトが架けられている。
各線のホーム上屋にも透明な屋根が架けられ、古い鉄骨を利用してあるのがわかる。
新設の鉄骨にはH.T.B.(ハイテンションボルト)が使われる。
古い鉄骨には、今は使われなくなったリベットという 熱いうちに叩いて打ち込む鋲が使われ、新旧のクロスオーバーされた工法が並立している空間である。
霧雨が入るということで各線のホーム上屋にも透明な屋根が架けられたと聞くが、二重に架けられた透明な屋根は大屋根のトップライトとの距離感を造り出し空間の大きさを感じる。
そして同時にヒューマン的なスケール感も創り出しているように思う。

 

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ヒヨドリ

 

裏庭にヒヨドリがつがいでやって来る。
今日は窓越しに見える隣の樹木にとまっている。
私の気配に気づいている様子だが警戒心はほどほどのようだ。
撮影してみたが意外とナイスショットかもしれない。
九州や山口では二月二十二日に春一番が吹いたらしい。
四月中旬並の暖かさだったとか。
花曇りと呼ぶにはまだ早いが、少しづつ長閑な日々が近づいている。

 

*****

 

Vol.110「endless thema - 105」(15年02月)

 

--------二月/記憶

 

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山葵の葉と菜の花

 

朝日新聞の「弱さの強さ」というコラムの うえはら・よしひさ さんの自己紹介に
「集中力のなさが弱み。会社では原稿が進まず、ファミレスへ。 隣席の会話に気が散り、自宅へ。資料を忘れたことに気付き、会社へ。(冒頭に戻る)」
とあった。
含み笑いとともに何か重なる思いをもった。
菜の花が蕾をつけていたのでひと茎机の上に置いた。
緑色をしていた花芽は次第に黄色く色づいてきた。
そんな季節かと想いながらながめている。
山葵も芽吹いている。
正月の残りものだが新芽も出てきているので水栽培にしてみた。

年明けに「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組がNHKEテレで放映された。
戦後の復興から高度成長そしてバブル期から現在に至までの建築を通して見た日本の風景。
私もそれらのいくらかの時とともに建築を学んできた。
番組はその時代の建築物から時代を検証し日本の記憶の戦後史を辿る。
番組から東京タワーの鉄骨は物資の不足した時代、アメリカ軍の戦車をスクラップにした戦争という大過からできていると知った。
まさに時は空間の中に記憶される。

番組中に登場する東京都庁の設計でも知られる丹下健三は、1949年に広島ピースセンター(1955年)の設計をコンペで獲得する。
門をイメージするセンターのピロティをくぐり、慰霊碑のアーチからまっすぐに伸びた軸線の向こうには原爆ドームが視線にはいる。
氏は「平和は自然からも神からも与えられたものでもなく、人々が実践的に創りだして行くものである。
この広場の平和を祈念するための施設も、与えられた平和を観念的に祈念するためのものではなく平和を創り出すための工場でありたいと願う。」と述べている。

また「報道特集 鎮魂への条件 ~1969~」(1969年NHK放映)の氏のスピーチも編入され、「緑が育ち美しい祈念公園になってきたと思う。
しかし一方悲惨でなまぐささの状況のなかで考えたことと大分とイメージが変わってきている。
原爆の体験や経験が薄らいできているのではないかという心配がある気がする。
平和を祈念する公園にし、さらに推進する為の起点にしようとする考えを持った時に大事だったことは、この記憶をどうゆう風に正確にふさわしく鮮烈に伝えていくかということであった。」とも述べている。

 

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東京計画-1960

 

「東京計画ー1960」の映像も映し出された。
丹下健三が1961年新建築で発表した「東京計画ー1960 その構造改革の提案」は晴海から木更津へと向かう軸上に計画された東京湾上の海上都市である。
学生の頃読んだ「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」にまとめられている。
「東京計画ー1960」という広大なスケールの計画は、サイクル・トランスポーティション(鎖状交通体系)と呼ばれる軸を中心に、直交した都市機能を持つ有機的な空間へと繋がっていく。
ライフラインなどを埋設した人口地盤や水平なピロティと垂直な塔状のコアー・システムによる都市・交通・建築とを有機的統一へと向かわせる空間都市が計画されている。

写真の左下の書籍は「日本列島の将来像/二十一世紀への建設」(丹下健三著 講談社現代新書)。もうひとつの大きな見開きは1980年鹿島出版会の月刊誌SDの丹下健三の特集号8001に掲載された一面である。
サイクル・トランスポーティションの模型や空間都市へのアクセスなど詳細に計画されている。
私の書棚に記憶とともに積まれたままであったが、この番組に映し出された映像と共に再び手にとる機会を得た。
何度読もうと読むときが本の旬であると思い読み返した。
読みながら思考はナウシカが使うメーヴェのようにサイクル・トランスポーティションの中を記憶とともに縦横無尽に駆け抜ける思いがした。

 

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沈丁花

 

今日は冬型配置の前線の合間の蒼穹
まぶしく差し込む日差しに沈丁花の蕾が呼応している。
もう一~二か月で香りと共に咲くことだろう。

 

*****

 

Vol.109「endless thema - 104」(15年01月)

 

--------初月/エッセンス

 

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生垣のサザンカ

 

生垣のサザンカは暮れから咲きつづけている。
道端に散らかったサザンカの花びらは、かたずけた矢先からまたすぐに散らかる。
近所のかたが掃除ついでに、うちの道端もよくはき掃除をしてくれる。
おかげで綺麗になりありがたい。
申し訳ないと思いつつも甘んじているこの頃である。

先月号に京都宇治にある平等院鳳凰堂のことを少し書いた。
平等院には国宝の鳳凰堂の近くに宝物館ミュージアム鳳翔館という建物が併設している。
鳳翔館は栗生明の設計で2001年の開館である。
生い茂る樹々で緑の多い境内であろうが、異種の用途で異なるざわめきもあることだろう。
大半が地下にある建築で地階からのアプローチになり、出口がグランドラインとなる。
まだ鳳翔館に訪れていないが古建築と洗練されたモダンな鳳翔館との狭間にはどんな空気が流れているのか。
そして鳳翔館に導かれたエントランスに立ったとき、そこから見える風景からは何が見えのだろうか。

 

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京都国立博物館の02年頃の入館口の風景

 

新館の建替えをしていた京都国立博物館も昨年開館した。
12年程前から七条通りの南門にある入館口とカフェそしてミュージアムショップと順次整備が行なわれていた。
設計は谷口吉生
丸亀の猪熊源一郎美術館豊田市美術館東京国立博物館法隆寺宝物館、ニューヨークのMOMA、東京倶楽部などを始めとし数々の美しい建築を創り出している。
極められたディテールからは見るものの意識も高まる。
平成知新館と名づけられた新館はオープンなエントランスから見渡せる石とガラスのスタティックな箱が、ニュートラルな水面や芝生と戯れる建築に見える。
建替え前と同じゾーンに設けられたこの新館の右手には本館が見え、今は使われていない大和大路通りの正門の正面に噴水のある前庭を配置した本館への空間とクロスするように設けられた新館のアプローチがある。
吹き抜ける風は何を伝えようとしているのか。
写真はミュージアムショップの出来る前だが、長期に渡り少しづつ移りゆく風景は自然に受け止められてきたのだろうか。
近いうちに見ておきたいと思っている。

私の視点
建築の評価や批評は論ずる側によりさまざまである。
当然論ずる視点の位地だけでなく見る角度方向が異なる。
私も建築のみならず、すべからくなるべく良いところを論じようと思ってきた。
といいつつも如何にやんちゃな爺さんとなりまたうっとおしい爺さんとなるかということも必要である。
でなければ、良いところは論ぜ得ないとも考える。
本来の難しい批評は専門とする評論家に任せ、私はと言うと良いところをやんちゃ爺的視点から見つめていくのがいいのではないかと考える。

風景は風の景色でもある。
そよ風、舞い風、薫風、清風、緑風、葉風、花風、真南風、白南風、晨風、凱風。
その限りない空気や匂いを感じ取れる体感を研ぎ澄まし風を感じる。
思ってもみない空間に導かれることもある。
日頃から肌で感じる想いの彼方を見つめ心がけながら過ごすことは必要なことだ。

そんなことを思いながら、自身の事物はさておきいろいろと覗き込みそして批評し戯れてみようと思う。
少なからずとも建築を学んできたことが視点を面白くしてくれていると思っている。
些細な楽しみでもある。

 

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ウォーターハンマー防止器

 

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ホトトギスの種子

 

家の修理が一段落してからもう随分と経つ。
洗濯機の給水口につけたウォーターハンマー防止器は、少し様子を見るつもりでつけてみたが、甲斐も有り衝撃音はましになった。
止水栓型の防止器は、よく有る三角の星形の握りから形もシンプルで見た目も良くなりなかなかよろしいと言った感じとなった。
庭の草木たちも平常に戻ってきた。
ホトトギスも種子が出来ている。
カニシャボのまんまるの蕾は少しづつ細長くふっくらとしてきた。
クリスマスローズの蕾も育ってきた。
寒さはこれから峠を迎えるが、草々たちは伸びやかに育っている。

 

*****

 

Vol.108「endless thema - 103」(14年12月)

 

--------十二月/日々のくらし あれこれ

 

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食べごろになった干し柿

 

渋柿を枝ごといただいた。
観賞用もいいのだが、干し柿にすれば食べられると聞き早々に作ることにした。
皮を剥き、風通しの良い場所に吊るしてみた。
幸い、そこそこの天気がつづき、食べごろを見計らって頂いた。
それでも十日程干しただろうか。
お天道様のありがたみか、まだ冬浅し日々だが旨味もあり甘くおいしい干し柿ができた。

 

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CGによる光背と天涯

 

山装う季節もそろそろ終わる。
先月号に書いたTVで放映されているビールのCFも、富貴寺大堂から平等院鳳凰堂のバージョンに衣替えのようだ。
国宝の平等院鳳凰堂は裳屋根のある中堂を中心に左右の翼廊と尾廊で構成されている。
中堂の軒は二軒で飛檐垂木は角だが地垂木は円形で古い時代を継承している。
隅木と木負の取り合いから最初の地垂木までが少し詰まっているが、垂木の丸みがそれを軽減しているように見え違和感はない。
軒の支割は垂木巾と間隔の同じ繁垂木で、丸桁も反りが付けられているようだ。
軒先側の支割の間隔を変え反りあがっていく軒は平安の緩やかな屋根と伸びやかなつくりである。
立体的な屋根の構成は幾つもの形が多用使され、型に嵌らず興味深い。
平等院鳳凰堂 よみがえる平安の色彩美/2002年5月25日 神居文彰著」には極彩色に彩色された空間に金色の阿弥陀如来像と天蓋や壁面の雲中供養菩薩がコンピューターグラフィックで描かれ再現されている。
極彩色の修復も一段落したと聞く。
きらびやかな空間は長く後世に引き継がれて行くことと思う。

 

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chocolat」のケーキとシュー

 

夕方、用を済ませた帰りに妻と円町の「chocolat」に寄ってみた。
バックナンバーの2010年09月号でご紹介した写真家の辰巳さんのお店である。
おいしそうなチョコレートタルトやムースがあり、ちょっとおしゃべりしてテイクアウトした。
どれもこれもおいしいが、特にタルトは少し苦みのあるチョコでコーティングされ大人の味がいい。
カカオの香りとカカオポリフェノールでリフレッシュ。

NHK Eテレの2355は細野晴臣のオープニングソングから始まる。
日付けが変わる前の五分程の番組だが、なかなかおもしろい。
金曜日にある夜更かしワークショップというコーナーで、
「使いかけのセロハンテープと半径が1センチ大きいセロハンテープの円周の差は実測して約6.2センチ。では地球の円周とその1センチ外側にある円周との差はどのくらいだろう。」
というのをやっていた。
実際には円周率の二倍で、約6.28センチ。
直感的に想像すると何キロぐらいだろうとふと思ってしまったりもするが、小さい円の大きさがどんなに巨大になろうと1センチ外側の円周との差は約6.28センチと常に一定である。

コーナーは「日めくりアニメ」「わたし犬いぬ/わたしねこ」「海外では通じない和製英語」「1minute gallery」「おやすみソング」「今日のトピー」などなど。
いろいろなところで“なるほど”と思わせてくれる。
おやすみソングのひとつ「重箱の隅つつくの助」などまさしくそれで、心痛くもあり楽しくもある。
やさしいメロディラインと歌声の「おやすみソング」は、一日の終のほっと一息といったところだろうか。
早朝にも、同じく0655という番組があり少し趣向をかえてある。
どちらも五分という短い番組にもかかわらずなかなかの情報量と気持もゆるむ楽しさがある。

 

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ジュズサンゴ

 

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ワビスケ

 

夏ころから花が咲き始めたジュズサンゴ。
熟した実は艶のある赤橙色になった。
今は実だけとなったが、花が咲きながら実も熟していく不思議な生態。
寒さも増し葉もうっすらと赤くなっている。
庭の白ワビスケは薄紙をはぐように咲き始めた。
足元には落ち葉にまじりヒヨドリがついばみ散らかったモチノキの実も見える。
空気が澄み朝夕の寒さが身にしむ頃に咲く白ワビスケ
もうじき2015年が始まる。

 

*****

 

Vol.107「endless thema - 102」(14年11月)

 

--------十一月立冬/風景

 

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ヒヨドリがモチノキの実をついばみにきている

 

澄んだ空を着飾る雲が秋らしく思える。
野草を覆う冷たい朝露を見るようになってまだ間もない。
夜半の冷え込みを思うと不思議な日々がつづいていたように思う。
窓から見えるモチノキの実が思いのほかたくさん熟してきた。
赤い実をついばみにやってきたヒヨドリが甲高い声で鳴いている。
完熟の実は丸呑みするようだが、熟しきれていない実はくちばしで摘んで食べずに口から放し、その実は地面に転がっていく。
モチノキの樹形は越してきたときから相変わらずだが、和の風情で我が家にはよく似合っている。
しかし、その巧みな樹形は気になる。
伸びた新芽を適当に切りそろえてみたが、思いなしか作られた感じが強い。
微かな風を見られるような風景になるといいのだが。

 

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国宝の富貴大堂/大正六年の写真

 

TVのビールのCFで国宝の富貴寺大堂が映し出されていた。
富貴寺大堂は平安末期の国宝で穏やかで伸びのある軒が美しいお堂である。
少し専門的な語彙用語が多くなり恐縮ではあるが、柱間は正面三間側面四間、屋根は宝形造に露盤宝珠が載る小さなお堂である。
屋根の丸瓦の重なり合う行基葺は古い時代を想わせる。
側面と背面の壁面には、柱と柱の間に厚板が差し込まれている。
柱上部に設けられた舟肘木や長押との構成はシンプルだが頑強な造りをしている。
小さなお堂で少し骨太ではあるが、部材に設けられた大きめの面取りや木割の工夫がなされ、桁には反りもありしっかりした造りのなかにもさりげなさを感じる。
話ついでに、丸瓦の行基葺は元興寺極楽坊本堂・禅室を思い浮かべる。
極楽坊禅室はゆったりとした大きな切妻の屋根面をみせる。
その妻側には箕甲の変わりに、螻羽瓦(けらばかわら)に平瓦を裏返して二枚重ねる平式破風瓦型式※が使われている。
このケラバの葺き方が極楽坊禅室をすっきりと美しく見せているように思える。

現在の富貴寺大堂の行基葺や軒瓦は、発掘により出土した瓦から復元されている。
化粧軒裏の木負と隅木の納まり部分には論治垂木が設けられ、文献には垂木割から柱間などが決定されているように書かれている。
正面三間の柱間の中央と隅の柱間の支割の割りを変えるなど、支割の割付けの工夫やしっかりした木割が美しい軒を創っているのだろう。
論治垂木がないと木負の隅木から最初の地垂木までが詰まり気味となる。
とはいうものの醍醐寺五重塔中尊寺金色堂などは論治芯ではなく少しずれた位置に地垂木が割り付けられているが、事に縛られず伸びやかに創られている。

【参考文献】
日本建築史圖録 /星野書店 昭和八年 天沼俊一 著
日本建築史基礎資料集成 五 仏堂Ⅱ/平成十八年 中央公論美術出版
重要文化財 東福寺六波羅門並びに東司修理工事報告書/京都府教委員会‥‥※


古建築は垂木の大きさと形状や支割、茅負や木負、軒反り、軒の出、二軒の地垂木と飛檐垂木の比率、その高さ、瓦の納まり、屋根勾配、屋根の形状や勾配、建物間口や奥行き、柱間や柱径、組み物とその形状、・・・・・、これら建物を構成する全ての要因が複雑に影響し合うことによって「美しい」は成し遂げられる。
屋根から見え始める景観は、軒線が見え近づくにつれ部分を把握認識する。
景観をどう読むか、そしてそれはどんな風景なのか。
その為に美しい屋根や軒は重要なテーマとなる。

 

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ホトトギス

 

うすら明るい夕刻にアールグレーでも煎れようかと思い、近くのさざなみベーカリーまでアップルシナモンを買いに行った。
今月七日は立冬。暖かいものがうれしい。
裏庭ではホトトギスが咲いている。葉の食い散らかしの痕跡もない。
今年は家の修理のざわめきからかルリタテハもやってこなかったようだ。
その分ホトトギスはよく咲いた。毎年立冬の頃には木枯らし一号の声を聞く。
今年は昨年に比べ八日も早く吹いた。なんだか短い秋となった。
もうじき冬支度、枯れ葉が舞う風景となる。

 

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