人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.106「endless thema - 101」(14年10月)

 

--------十月寒露/虎屋菓寮 part 2

 

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果実酒

 

いただきものの果実酒。
金柑酒とピンクグレープフルーツ酒をミックスしてあるのだそうだ。
ほんのりとした苦みが喉ごしに爽やかである。
ストレートでおいしさを味わう。

 

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生け垣から見えるモチノキ

 

やっと自宅の改修工事も終り、簾を吊るすと案外と町家らしく見えるものである。 長い簾はどうも私の性に合わない。
ということもあり短めのものを使っている。
どこにでもある市販の葦の簾であるがうちにはよく似合う。
ビール片手に、斜向いのお宅のベランダから撮影させて頂いたが、屋根面がよく見え軒の鎌軒瓦の下端の連続した曲線模様が小気味良い。
もう少し間口が長いと軒も美しく見えるのだろうが、いかんせんである。上から見下ろすと、門と生け垣そして下屋の屋根の具合もよく分かる。
意外と松もいい感じに見える。
工事で少し痛んだ松の枝だが容易に切るとヤニが落ちる。
真新しい瓦を汚すことにもなりかねないのでそのままにしてある。
モチノキには実がたくさん付いている。
少しづつだが日増しに色づき始めている。

 

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葛仕立ての水羊羹と抹茶

 

今日は少し暑さも残っているが過ごしやすい日となり、一条通りにある虎屋菓寮(内藤廣設計2009年/バックナンバー2014年1月号)を訪ねた。
訪れた時間帯が良かったのか、外の軒下の席があいておりお願いした。
妻は宇治金時のかき氷。私は葛仕立ての水羊羹と抹茶をいただいた。
水羊羹の上品な味わいは程よく口の中に残る。
極細な点てぐあいの抹茶は滑らかな舌触りでほどがいい。

 

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軒下からの風景

 

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水盤に景色が写り込んでいる

 

深い軒下の席の足先には水盤がつくられ、廻りの景色が映り込んでいる。
西側の建物沿いの植え込みには芙蓉の花が見える。
イメージを重ね合わせているのだろうか。
しとやかな風景である。

 

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天井

 

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柱廻りの詳細

 

深い軒を見上げてみると、化粧垂木の垂木間に組み合うように同じ断面を持つ材が外から内へとつづき、緩やかにカーブを描いている。
材と材の間はスケルトンとなっており天井中央のルーフガラスから穏やかな明かりが障りこむ。
七尺五寸程の間隔で立っている柱は十字形の鉄骨で化粧垂木を貫通している。
内と外を仕切るガラス窓はこの柱から少し外側に独立して設けられ、空間をかろやかにしているだけでなく内と外の隔たりを軽減している。
天井からは虎屋の紋章のモチーフを用いたと思われるコードペンダントが低い位置に吊るされ、柔らかな天井面を隠すことなく設けられている。

 

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路地

 

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路地

 

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路地に設けられたブラケット

 

敷地の廻りに巡らされたどこからでもアプローチできる狭くて楽しい路地は、敷地の外のざわめきを融和しているようだ。
曲がりくねり時たま雁行した外空間から、開放的な庭や菓寮の内空間との繋がりは自然で心和む。
この路地にも紋章を取り入れたと思われるブラケットや植え込み灯が付けられている。 それほど長居はしていないが、穏やかな空気と居心地の良さを引きづりつつ菓寮を後にした。

 

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ギンミズヒキ

 

家の玄関先では鉢植えのギンミズヒキの花が迎えてくれる。
ミズヒキソウの白花である。
花と言うが花に見えるのは顎片である。
朝開いていると思っていると午後を過ぎるころには花は閉じてしまう。
言われなければ分からない程のミズヒキソウの花だが、こちらもしとやかでいい。

夕刻の木陰に入ると肌寒さを覚える程になった。
十月八日は寒露。もう秋の始まりである。
家の中の片付けも少し残ったままだ。
気合いを入れてするのも良いが息切れしないようぼちぼちやりながら調えようと思っている。

 

*****

 

Vol.105「endless thema - 100」(14年09月)

 

--------九月/鎌軒瓦と熨斗止

 

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大府の巨峰

 

今年も半田に住む友人からうれしい便りが届いた。
大府の露地物巨峰は八月中旬から二十五日頃までが最盛期。
ぶどう園は大府市のエコファーム。
知多半島の温暖な気候からか少し早めの収穫のようだ。
季節を想いながら皮ごと頬張る。
甘みとほんのりとした酸味が喉を潤してくれる。

数年程前から、屋根瓦や焼杉板の傷みが際立ってきていた。
越してきて二十年程経ち、焼杉板の修理に加えて気になっていた畳や襖その他諸々の修理もこの夏に行なった。

屋根瓦は越してきた時にはすでに随分と傷んでいたものの、痛みの激しい瓦の差し替えと調整で済ましてきた。
まだしばらくはと思うものの、とりあえずは痛みの激しい下屋の葺き替えと門の屋根の修理と考えていた。
下見に何度も足を運んでもらった瓦屋さんに意見を聞きながら方策を練ったが、「上からするのが筋」と言う瓦屋さんの大将に背中を押され、いつでも造り替えることの出来る門は調整だけにして主家の瓦の葺き替えを優先することにした。

 

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土を降ろした後に敷き詰められた杉皮がみえる

 

既存の屋根は土葺きでトントンと呼ばれる割板の上に杉皮が敷き詰められその上に土葺の瓦がのっていた。
瓦は日本瓦の桟瓦で軒先には万十軒瓦に大棟は五段熨斗に紐丸瓦がのり、下屋の隅棟は三段熨斗に紐丸瓦といったどこにでもある普請である。
腰葺きのある東側の軒先にも万十軒瓦が使われていた。

 

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軒の鎌軒瓦と隅棟の熨斗止

 

せっかく葺き変えることでもあるし、自分なりに少しだけかっこ良くしてみた。
面戸などには黒漆喰を使い、大屋根の鬼瓦にはシンプルで癖のないカエズ型。
大棟五段熨斗にひもなしの素丸瓦をつかい、軒先は鎌軒瓦の文様のない瓦を選んだ。 下屋の軒先にも鎌軒瓦、そして門越しに少しだけ見える隅棟にも三段熨斗に素丸瓦を選び、鬼瓦を使う替わりに熨斗止という納まりを選んだ。
東側の腰葺きの軒先には、言うまでもなく一文字瓦で納めている。
瓦職人の腕の見せ所といった造りとなりうれしい悲鳴であったと思うが、甲斐ありなかなか美しく仕上がっている。

焼杉板張のある妻側はお隣さんと屋根が重なり合っていた時の形状そのままに、建築を業とする者には解るであろう歴史をそのまま残してある。
外玄関の雨避けにつけているトップライトと門のデザイン、そして窓廻りは近い将来の楽しみな宿題とすることにした。

 

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襖の竪縁に付けた極小引手

 

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中と小のオリジナルの引手のサンプル

 

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天袋の襖に荒磯の唐紙

 

玄関の二畳の間の押入の襖の引手には丸や角の引手の替わりに、扉や戸棚の木製建具に使うオリジナルの引手棒を極小タイプにしてつけてみた。
使い心地を知る為にも使ってみたが、襖に使うのも悪くない。
それにシンプルでなかなかいい。
材質はピーラーで手あか防止に蜜蝋WAXを塗ったが、日に焼けるのを見計らって塗り重ねると美しくなる。
二階和室の床の間の天袋の襖紙は手持ちの荒磯文様の唐紙を使い張り替えた。
黒漆の縁と引手は古い時代からのものを残してある。
庭に面した大きく重いガラス戸の建具が指一本で軽く動くようになったのも建具職人の技だろう。
玄関を始めとして建具はストレスなく軽く動くようになった。

 

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空間を繋ぐ吹き抜け

 

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イペは濡れてもすぐに乾いてくる

 

板と板の間にツインカーボという中空のアクリル板を置いただけの吹き抜けは、柔らかな光で1階と2階を繋ぐ。
ツインカーボからの視線の先の空間を感じる。
直接的に見えること自体ではなく意識させることで広さを認識する。
吹き抜けのある真新しいブラインドの架かる窓から見える庭には、ステンレス製のフレームに変えた植木棚がある。
棚板には板厚30mmのイペという木材を載せてある。
白色がかっていた棚板はすこしづつ茶褐色に赤みが差し、いい感じになりつつある。
少し時間を置いて、ある程度木材の焼けるのを待ち鉢を置くことにした。
イペは保護塗料の塗布などの必要もなく、耐腐朽効果のある成分が含まれているため水かかりの部分にはいい。

ともあれ、今回行なったその他の諸々の修理も含めて調整などの工事を残すものの無事終了し、うるさいクライアント(私)と暑い最中の工事ということもあり、引き受けていただいた熊倉工務店さんはもとより瓦屋さんを始め協力業者さんには、ねぎらいの気持と感謝である。

 

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ジュズサンゴの花房

 

庭では木陰に置いた鉢植えのジュズサンゴの花が咲いている。
少し遅咲きのようだが、小さな花の房が涼風にそよいでいる。
季節は白露そして秋分へとつづく。
秋分の九月二十三日には雷乃収声。
「かみなりすなわちこえをおさむ」と読む。
積乱雲の発生も少なくなり雷の声もしなくなるという季節になる。

 

*****

 

Vol.104「endless thema - 99」(14年08月)

 

--------八月/日々のくらし serial thema

 

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サクランボの軸結び;口の中で結んでみました

 

国産もののサクランボは七月下旬には収穫も終えるようだ。
これが今年最後のサクランボかと想いながら軸を口の中で結んでみる。
どこがどうなっているのかイメージしながら結ぶ。
意外と空間的遊戯かなと至福のときを遊び楽しだ。

 

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じーじーじーと鳴くのはアブラゼミ

 

去年の今頃は、庭先でアブラゼミに混じってクマゼミのミンミンミンと鳴く声が聞こえていた。
今朝はアブラゼミばかりかじーじーじーとモチノキでうるさい程の声で鳴いている。 暑さも際立つほどの夏の声だ。
暑いときには木綿ごし豆腐の冷や奴が旨い。
冷や奴などに添える鰹節はその都度削る。
以前に小型の削り器と一緒に鰹節もいただいた。
使う程に小さくなるのはあたりまえで、頂き物の鰹節は削ることが難しくなるほどとなってしまった。
前から出町商店街にあるふじや鰹節店に乾物を買いに寄るときに鰹節のことを店主にいろいろ聞いておいた。
早速、買い物がてら鰹節も一本買いに出た。

商店街と言うのは何かと面白いところで、寺町通りから河原町通りまでの出町商店街をぶらつく。
ふじやさんは寺町筋寄りにあるだろうか。
一応店主の分かり易い説明とうんちくを聞き、適当な大きさのものを買った。
鰹節もいろいろ有り、頭のところの凹みができるのが一本釣りの証らしい。
そして背と腹とある。
腹身に比べ脂も少ない背のほうがしっかりとした味なのだろうが、旨そうにみえた腹身にしてみた。

 

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ふじやさんの店先に並ぶ鰹節

 

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使い始めの鰹節と削れなくなった鰹節

 

削り方は、関東と関西では違う。
実家のある名古屋では関東圏仕様で、子供の頃に手伝いで外に向かって押しながら削っていた記憶がある。
ふじやさんの店主の話では関西圏の京都では手前に向かって削るようだ。
私なりに一応はどちらも試してみた。
理屈は不明だが手前にひくと少しまろやかな感じというか、口当たりがよかったこともあり、今は関西風の手前にひく削り方をしている。
普通は鰹節の表面についたカビを取り省く磨きをして削るものらしいが、そのまま削って食しても問題はない。
味的には多少の違いが有るように聞いたが、細かいことは気にせずそのまま削っている。

鰹節を最初に削る場所と向きは、ふじやさんの店主が袋に書いてくれる。
それに保存用のビニール袋を頂いたり、保存方法など分かり易く教えてもらえてありがたい。
小さくなって削れなくなったものはまとめてふじやさんに持っていくと削ってもらえる。
鰹節は削りたての薫りがいい。
シャカシャカシャカシャカと削りながら鰹節のほのかな薫りを楽しんでいる。

 

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窓ガラスに止まるイラガ

 

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セマダラコガネ

 

朝、ブラインドを開けると窓ガラスに停まっているイラガを見つけた。
黒い裏地のマントを羽織っているかのように見える。
幼虫にでも刺されたらやっかいなことになる。
聞く所によると幼虫の天敵はカマキリらしい。
しばらくご無沙汰のカマキリーノ君。遊びにきてくれるといいのだが。
家の中では、ちいちゃなセマダラコガネだろうか、お散歩にやって来た。
これからどこかへお出かけなのか、暑い最中畳の上を元気に移動中である。

今年も早、立秋を迎えようとしている。
万灯会が営まれ、中旬から下旬にかけ季節は綿柎開(わたのはなしべひらく)そして天地始粛(てんちはじめてさむし)とつづく。
綿の花が咲き実ができ、はじけ白い綿が覗く頃には、ふと涼しい風を感じるころとなる。

 

*****

 

Vol.103「endless thema - 98」(14年07月)

 

--------七月真南風/調う

 

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白いイワタバコ

 

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青紫のイワタバコ

 

妻の実家からイワタバコを頂いてきた。
ひと鉢は白、もうひと鉢は青紫。
谷川の岩場などに生息する山草で、直接日の当らないじめっとした日陰を好む。
庭は剪定したてで生け垣も小さっぱりとなり、風通しもいいし陽当たりもいい。
当然木陰もない。突然の環境の変化か、花は開いたものの少し元気がない。
庭を見渡したがいい場所がなかなか見当たらない。
しばらくは窪んだ場所において様子をみることにした。
鮮やかな青紫のイワタバコの花姿はなかなか綺麗だ。
花景によく似合っている。

 

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クーネル

 

今日は日差しも穏やか、窓から入る風に一息つきながら机の上に置いてあったku:nel 68号の特集「料理上手の台所」をぱらぱらと捲っていた。
掲載されている写真に映っている光景からはシンプルな暮らしが想像できる。
必要なものは置かれているがどこも美しく整っているように見える。
そしてそれらはそれぞれの居場所に大切に納まり、使い込まれたもの達への愛着も感じられる。
磨きあげられ整理され時間とともにオンリーワンへと変わっていくのだろう。

今時のキッチン事情は、家具のような流し台、ものを置かないLivingのような台所といったところだろうか。
しかし建築空間には家具調度品の他に存在する様々な物品が点在する。
それも含めてどれだけ生活感をイメージすることが出来るかということが必要である。
特別に住空間だけを取り上げての話しではない。
物を置いても美しい空間、というよりは空間は物を置きながら完成していく。
そして使い込む程に成果も出る。
美しいというよりは素直に調うという言葉が的確だろうか。
台所には調理道具のたぐいや調味料など必要なものはわんさと有る。
素直に置かれ素直に掛けられ、自然と調う。

ku:nel のページを追いながら、新しい古い広い狭いといったことはさほど重要なことではないということのように思える。
やはり、キッチン廻りでの心使いは吸排気や換気そして温湿度の調整といったことをさりげなくコントロールできる空間かどうかといったことだろうか。
NHK土曜ドラマ「55歳からのハローライフ」という村上龍原作のドラマの中では、映像の美しさと生活感ある自然な住空間の表現には暮らしの上質な感じが表現されていた。
映像とともにバッハのカンタータBWV147が静かに流れ、いろいろなしつらえが調いよどみのない住まいのイメージが創り出されていた。
心のどこかに引き出しがまたひとつ生まれた気がする。

 

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壁際にスリットが見える

 

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エアコンの吹き出し

 

少し前に新幹線のぞみに乗った。
カモノハシと言われる700系には、車両編成にも依るらしいがJR700のロゴが入っている。
700系の乗客席の窓際の上部にはスリットがある。
あまりこういうところをじっと見たことはなかったが、視線の先に目に止まるものが見えた。
手を翳してみると、風がそよいでいるのが分かる。
エアコンの小さな吹き出し口で、なかなか丁寧な作りで巧く出来ている。
このスポット的な小さな吹き出し口からは、さらっとした空気が流れ気持がいい。
空間全体は省エネで、仕事場や居間 ダイニング サニタリーとスポット的に本機からワイヤレスで飛ばせるこんな超小型ルーバーがあれば快適に過ごせることが出来そうだ。
その日は、何気なく面白いものを発見したかのようで少しうれしい気分であった。

 

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久しぶりに聴いたブレッド&バターのアルバム

 

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カノコガ

 

梅雨が明けるころに吹く風は、白南風(しろはえ)と呼ばれる。
沖縄地方ではこの季節風を真南風(まはえ)という。
1975年リリースのブレッド&バターのアルバムに「マハエ」という曲があったのを思い出し廻してみた。
「マハエ」はスキャットの曲でなかなかおもしろい。
原稿を書いていると、連鎖的に古い記憶の断片も繋がってくる。
つい、B&Bの他のアルバムに聴き入ってしまった。
朝、窓ガラスに止まっていたカノコガを見つけた。
ハンコチョウとも呼ばれている。
蛾なのに昼間に動き回るちょっと変わった暮らし振り。
初夏から夏にかけたこの時季に蜜を吸いに飛んでいる。

 

*****

 

Vol.102「endless thema - 97」(14年06月)

 

--------夏至打ち水

 

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イラガの繭

 

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イラガの繭

 

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イラガの繭

 

夏の声が聞こえ始める頃に、やっと植木の剪定も済ませた。
ぼさぼさ頭の庭の樹木たちは真夏に向かってすっきり顔となった。
モチノキは実を残し気味での散髪。
風通しも良くなり、モチノキに何かを発見。
幹に卵形の丸い穴の開いたものが付いている。
よく見ると生け垣の幹にも付いている。
イラガの繭の空き巣のようだ。
繭といっても触らぬことにこしたことはない。
聞くところによるとカマキリやアシナガバチはイラガの幼虫の狩りをするらしい。
自然は巧く出来ている。

 

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クーネルとアイノのタンブラー

 

ku:nelの68号に「アイノ・アアルトとフィンランドの台所」と言う記事が載っていた。
アイノ(~1949)はフィンランドの建築家アルヴァ・アアルト(~1976)の妻であり建築家でもある。
アルヴァ・アアルトのことはこのマンスリーホットラインのバックナンバーの建築家シリーズ1(2006年1月号) 同3(2006年3月号) 2008年6月号 endless thema25(長く使う/建築家の椅子 その2)でその一部を紹介したが、マレイア邸を始めとする住宅や、ヘルシンキ工科大学、フィンランディア・ホール、アアルトミュージアムなどフィンランドに生涯を捧げたモダニズムを代表する世界的建築家である。
そして、アイノの心やさしいデザインはアルテックイッタラから今も製造され続けている。
アイノは内装のデザインや家具、ガラス器などのプロダクツなど建築とともにアルヴァを支え続けた。
ku:nelには「料理上手の台所」という特集に関連しての掲載のようで、アアルト夫妻の自邸とアイノのキッチン空間を中心に紹介されている。
専門誌より一般誌に近いあたりの雑誌には、専門誌にはない興味を惹かれる記事や写真などがよくある。
本屋さんをぶらつきながら見つけるときが楽しい。

 

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ガラス器サボイ

 

アアルト夫妻の自邸はヘルシンンキの北西ムンキニエミの入り江から近い緑豊かな静かな住宅地にある。
自邸は自宅兼アトリエとして建てられたが、後に近くに新しくアトリエを建てそこで生涯に渡ってプロジェクトをこなした。
南に広く開いた明るい空間とロケーションは長閑な心安らぐ景色を与えている。
数あるプロダクツのなかでもレストラン・サボイで使われているアルヴァのデザインのガラス器サボイやアイノのデザインのしずくの落ちたときに出来る波の形をした硝子器はロングセラーである。
アルヴァは「ALVAR AALTO」、アイノは「AINO AALTO IITTALA」と器の底に刻まれている。

今までにリバーサルフィルムで撮影して、溜めに溜め込んだスライドや資料のなかには アアルトの建築などフィンランドを訪れたときのものも随分とある。
少し整理しご紹介出来たらと考えている。

六月も終盤、昼間の一番長い日となる。
夕刻が長くなると、のほほんとしてうららかな気持ちになる。
今年の夏至は六月二十一日。北半球では太陽高度が最も高い、つまり蔭の長さが一年の中でもっとも短い。
北欧ではこの頃白夜を迎え太陽が沈まない日がつづく。

 

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唐撫子とアシナガバチ

 

裏庭では唐撫子(セキチク)の花が咲いている。
アシナガバチが花に止まって盛んに何かをしている。
花が咲く頃アシナガバチも活発に飛び回るのを見る。
母蜂が巣を作り始めるのがこの頃のようだ。
草や木の繊維質を集め巣作りだろうか。
唐撫子の花に埋もれて気持ち良さそうだ。
水やりをしていると盛んによってくる。
ちょっかいさえ出さなければ攻撃してくることはまずない。
今のところ適度な距離感で飛び回っている。
今年も静岡の友人から季節の便りが届いた。
少しだけ冷ましたお湯であたたかい新茶を頂き、湯冷ましで水だしの新茶を頂く。
いつもながら旨い。原稿を書きながら思う。
毎年同じように季節がみえるのは心はずむ。
そろそろ、夕刻の打ち水でもしてひんやりとした風のなか思考の整理もしてみるか。

 

*****

 

Vol.101「endless thema - 96」(14年05月)

 

--------薫風/さくら

 

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モチノキの花

 

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ヒメウツキ

 

今年は植木の剪定を遅らせた。
それが功を生じたのか、モチノキの花が驚くほどついた。
新葉と同じ花色は、実の赤く色づいたときになってどんな花だったろうと記憶を辿るほどだ。
この実全てが赤く熟せばなかなかのものかなどと想いを募らせている。
ヒメウツキの花も咲いている。姫空木または姫卯木と書く。
卯の月、五月の花である。
卵形の花芽もはち切れんばかりに膨らんでいる。
白い小さな花芽が薫風に揺らぎ、咲く程合いを見計らっていたかのように咲き始めている。

 

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容保桜

 

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しだれ桜

 

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芝ざくら

 

少し時季がずれてしまい五月号にも桜の話で恐縮だが、先月号に書いた京都府庁旧本館の中庭にある容保桜(かたもりざくら)は大島桜と山桜の特長を併せ持つといわれる。
葉と花が同時に開き、茶褐色の新葉と白い花びらのコントラストが美しい。
半木の道で撮ったしだれ桜と、比較するとその違いもよく分かる。
半木の道の帰り、北大路橋の近くの花屋さんで白い蕾のある芝ざくらを見つけ二鉢買った。
三週間ほどで満開となった。
さくら違いだが季節感もあり、頃合いをみて石積みの間に植えることにした。

 

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玄武やすらい花の巡行

 

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玄武やすらい花の巡行

 

毎年四月の第二日曜日にやすらい祭りが、玄武神社、川上大神社、今宮神社、上賀茂神社(上賀茂地区は五月十五日)で行われている。
偶然、新町通りを通りかかったときに赤い花傘をみつけた。
玄武やすらい花(鎮花祭)の巡行で氏子地域をまわっているのだそうだ。
赤い法被の背中に玄武の文字がみえる。保存会の玄武会の方たちである。
タイミングもよくその途中に出くわしたようだ。
玄武やすらい花は花の精の力に依って疫病神を沈め健康を願う春の先がけの祭りで、京都で春一番のお祭りだとか。
玄武神社のホームページに依ると、氏子地域が広いこともあり四班構成で行われ、笛の音やかけ声に合わせ、赤い衣装を身にまとった鬼が太鼓や鉦(かね)を鳴らしながら踊り、練り歩く。
囃したり踊ったりするのは、豊かな稲の実りを祈るとともに、疫病神を踊りの中にまき込んで沈めるためと言われている。
また、桜の花の開花遅速が、その年の稲の豊凶を定めることから、稲の花が早く飛び散らないようにという豊作を願う意味合いも加わったと伝えられている。
(玄武神社公式サイトより抜粋抄出)
現在、やすらい祭は国の重要無形民俗文化財に指定されている。

 

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ツルハナナス

 

玄関先に置いたツルハナナスの花が咲いている。
半年ほど前、季節外れに買い植え替えまで木陰に置いていた。
裏庭のツルハナナスはうっすらと紫かかった花をつけ葉の裏はプラムパープルの色をしている。
この子は少し厚みのある感じの真っ白な花。
葉に切れ込みも有る。はっきりしたことは分からないが、実をつければヤマホロシかも知れない。
そのとき一緒に買ったジュズサンゴもそろそろ植え替えの季節。
早くお似合いの鉢を見つけてやらないといけない。

 

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ツタガラクサ

 

裏庭では生息範囲を広げつつあるツタガラクサ(ツタバウンラン)も咲いている。
多年草の野草で寒い時期は葉も枯れて、暖かくなると雲のような葉が出始め初夏の訪れとともに淡い白紫の小さな花が咲く。
赤紫色がかった細く華奢なツタ状の茎を延ばしながらふえていく。
時期がくると葉の裏側も茎と同じ赤紫がかった色となる。
雑草と野草に特別な線引きはなく、勝手なことにその言葉を使う側の都合にある。
必要としない場所に出没し雑草と呼ばれた途端、哀しいことに粗末にされてしまうのは残念なことだ。
ブラインド越しに見える午後の日差しも目にくっきりと写るようになった。
地植えのホウチャクソウや鉢植えのケマンソウたちもあっという間に花をつけた。
シラユキゲシも郡をなし咲いている。
見渡せば、初夏の花に変わりつつあるのに気がつく。
まだ薄ら寒さの残る感覚はあるが、日向を歩くと汗ばむ。
花曇りがつづいていたのはつい此間のこと。
雲の合間からは青い空が広がっている。
そろそろ木陰を探して歩く季節だろうか。

 

*****

 

Vol.100「endless thema - 95」(14年04月)

 

--------仲春/容保桜

 

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香り漂う沈丁花

 

春分の日を境に昼間の時間も長くなり、今日も長閑な日和で春らしい日差しに心和む。
ほんの少し冷たい風に時折だが穏やかな南風が頬をくすぐる。
少し前まで庭の沈丁花もまだ蕾のままだった。
長い間蕾のままでお休み中であった沈丁花は陽気にさそわれたかのように咲き始める。
蕾に見えるのは蕚で花のように見える四つに開いた蕚々が寄り添いながら咲く。
暖かさにひかれて開けた窓からただよう香りは春の日の到来を覚える。
道を隔てたお宅やそのずっとむこうのお宅からも、風にのってさまよう香りは馥郁しい。

 

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会報誌3月号

 

三月十一日「3・11東日本大震災三周年追悼式」の模様が今年もラジオから流れていた。
震災から三年余り、福島原発終結をみないままだ。
「中途な行政指導の結果が放射線による甲状腺の異常を訴える子供たちを増やしているのでは。追跡調査が必要である。」
とニュースで聞いた。
心痛む想いはいつまでもつづく。
今年も日本建築学会の会報誌「建築雑誌」に「東日本大震災から3年」の震災の特集が三月号に組まれていた。
放射能汚染による妨げが再生への道のりを足踏みさせているように見える。
福島のみならず被災地の再生には地域や行政そして個々の多様化した諸々の問題を抱えてはいるが、一歩一歩だが前向きに動いているようだ。
日本建築学会の諸氏の方々の地道な活動は今後も続いていくだろう。
少しづつ実を結んでいってほしい。
三年経った今、また新たな一歩を踏み出していくことに望みは繋がっていくことだろう。

 

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京都府庁旧本館中庭のしだれ桜

 

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しだれ桜

 

京都では三月二十七日に開花宣言が出された。
開花日は各地方気象台の指定した標準木の桜の花が五~六輪咲いた日になる。
桜は開花から一週間から十日で満開となる。
満開とは八割以上の蕾が開いたときをいうのだそうだ。
3.29(土)~4.7(月)まで京都府庁では観桜祭が催されている。
京都府庁旧本館(バックナンバー 2013.7月号2012.4月号 )の中庭の桜の開花時期に合わせたイベントである。
京都府庁旧本館の中庭には六本の桜が植えられている。
三本あるしだれ桜のうち中央のしだれ桜は、桜守として知られる十六代 佐野藤右衛門とその先代により、昭和三十年代に京都円山公園祇園しだれ桜の実生木を植えたもので円山公園の初代しだれ桜の孫にあたるらしい。

 

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まだ蕾のままのかたもりざくら

 

中庭の南西には二本の大島桜とめずらしい容保桜(かたもりざくら)が植えられている。
容保桜は大島桜と山桜の特徴を併せ持つ品種の桜で、この地が京都守護職上屋敷跡地にちなみ、当時の京都守護職 松平容保 公の名を取って、十六代 佐野藤右衛門により命名されたのだそうだ。
京都府広報のパンフレット及び府ホームページより)
容保桜はまだ蕾みのままだったが、物静かな楚々とした面影とその佇まいは静かに何かを見守っているようにも見える。
もう少し経って満開の時期を見計らって眺めにこよう。

我が家の松の剪定は、今年は少し遅めにした。
毎年ならまだ寒さも残る頃に剪定し寒肥を施していたが、矢先から新芽は伸びる伸びる。
ということもあり新芽の出尽くした後に剪定をすることにした。
いつもこの時期ならさっぱり顔の松も今年はぼさぼさ頭である。
五月病を迎える頃には、きりりとした姿が観られることだろう。

 

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クリスマスローズ

 

玄関先に置いたクリスマスローズの花が春風に身をゆだねるように揺れている。
四月の声を聞く頃となり、やっと春らしい日差しになってきた。
窓際のハゼも若葉をのばし始めている。
奈良東大寺のお水取りが過ぎれば次第に穏やかな季節に変わってくると言われているがその通りである。
四月五日から九日を玄鳥至(つばめきたる)そして十日から十四日を鴻雁北(こうがんかえる)と言う。
空には舞うツバメの姿が見られる頃となり、しだいに雁は寒さの厳しい北方の住まいに渡っていく。
今年もやっとそんな季節を迎えた。

 

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