人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.118「endless thema - 113」(15年10月)

 

--------十月/日々のくらし・・・仲秋色々

 

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ルリタテハの幼虫

 

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ルリタテハの蛹

 

夏も終わりに近づくころに裏庭でルリタテハの飛んでいるのを何度か見かけた。
卵を産みにやってきていたようだ。
ふ化した幼虫は日増しに大きくなり、ホトトギスの葉を食い尽くす勢いで育っている。
一見、毛虫のようで蛾の幼虫にも見えるが、れっきとしたチョウの幼虫である。
刺されそうで、えっと思う風体だが、毒はない。
板塀近くで蛹になっているのも見つけた。
巣立って行くのが楽しみではあるが、ホトトギスの花のほうも心配である。
少しでも咲いてくれるといい。

先月上旬の台風18号の通過後、アウターバウンドと呼ばれる積乱雲が縦に連なる線状降水帯が被害を拡大した。
特に関東を中心とし、驚異的な雨量により鬼怒川は越水による堤防決壊となった。
渋井川や吉田川も同じく決壊に至った。
アウターバウンドの原因は、冷気を含んだ空気が低気圧になった台風18号に加え17号の廻りの湿った空気も引き寄せられ、上昇した空気によって次々と列をなすように雨雲を発生させたのだという。
自然の相乗効果は凄まじい。
津ノ宮の友人に安否メールをしてみた。
「無事。利根川の水位が高く恐怖。」と返信が届いた。
広大な利根川でさえ水位があがり水流も増していることだろう。
想像を絶する水のエネルギーは容赦がない。
本流の許容以上の勢いや水量でせき止められた支流の流れが行き場を失い戻され溢れる。
これをバックウォーター現象といい、越水に繋がる一要因とも言われている。
こういった状況においては、人命保護の方策は当然ながら、重要なのは被災した後であろう。
ライフライン等の復旧に至る救援支援の方策や手法といったことや情報の系統だったシステムの確立は急務を要する。

 

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相違沿いにみえる巨大なフライタワーは圧迫感を感じる

 

京都、川端通りから冷泉通を道なりに岡崎のほうに向かうと疎水沿いに旧京都会舘が視線に入る。
バックナンバー2012年7月号で書いたことだが、旧京都会館には景観論争や高さ制限もあり当初は保存を望む見識者の方々や市民の声でざわめいていたにも関わらず京都市は特例を掲げ施行に至っていた。
先立て所用の帰り疎水沿いを通り、しばらく車を止めて眺めていた。
舞台上部の巨大なフライタワーと呼ばれる部分や搬入口の庇などいろいろな付け足しにより際立ったデザインに化けていた。
保存改修のみで中小ホールとし大ホールは近接の他施設の増改築と言う手もあったと思うのだが、残念な気持で帰途した。
美しく老いていた旧京都会舘の風景を違和感もなく溶け込ませていた疎水沿いの風景は記録に残るだけとなった。

 

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チャイとさざなみさんのパン

 

今日は朝から秋の空。日差しのせいかほっとする肌心地。
いつものさざなみベーカリーさんに食パンを買いに行き、ついクリームチーズレーズンも買ってしまった。
冷蔵庫には昨日妻が作ったチャイティも冷えている。
しばし休憩タイムにするか。
いつだったかTVの番組で、おけらを見たことのある人は日本人の三割だと言っていたのを思い出した。
おけらの鳴き声までは記憶にないが、昔はどこにでもいたように思う。
子供の頃見つけてはそのツメの強いことに驚いたものだが、私はその三割に入るのかなどと思いを巡らす。

 

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ギンミズヒキ

 

陽が沈むと虫の音も聞こえてくる。
玄関先ではかよわい声でとぎれとぎれに鳴くのはマツムシだろうか。
やっと秋らしくなってきた。
鉢からこぼれたギンミズヒキが石積みの間で咲いている。
花のように見える顎は、朝開き午後には閉じる。
秋も深まるにつれ少しづつ少しづつ姿を消していく。
季節は寒露。日の暮れるのは早くなり、夜が長く感じ始める。
空気は澄み、空は高く見え、過ごし易い季節になった。

 

*****

 

Vol.117「endless thema - 112」(15年09月)

 

--------九月/ゆきあい

 

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ジュズサンゴ

 

ゆきあいの空もすこしずつ少なくなり、見上げればうろこ雲が見られるようになってきた。
すじ雲よりすこし低いところに現れる。
ゆくりなく秋の気配に出くわす。
庭に置いた鉢植えのジュズサンゴの実も赤く染まりつつある。
咲いてる花と、まだ蒼い実と、赤く染まった実が、ゆきあう。

朝のNHKのラジオから「夏休み子供相談」が流れていた。
子供の疑問は興味深い。
今では忘れかけてしまった視点での幼い子たちの疑問はいきいきとしている。
そして忘れることのない記憶にもなる。
「笑っていけないときに、なぜ笑えてくるのですか?」
なるほど、事物が変わってもしばしばある。
しいて疑問にも思わぬこともある大人の目線が邪魔をするのはよく有ることだ。
やってはいけないと思えば思う程してしまいたくなるといった衝動にかられることはよくある。
抑えきれないような感性も紙一重で持ち合わせている。
多くの場合、大人は経験と知性や理性そして冷静さと気概をもって乗り越えられる。
回答者の先生方の説明も、なかなかすばらしい。
人に説明するときのお手本のようだ。
言葉足りずに相手が解ったと思い込み話を進めてしまうことなどはよく有ることだ。
相手の目線にたって、根をあげず根気よくゆっくりと丁寧に話をしていくことは大切なことだ。

 

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十手巻き

 

子供の頃に、祖父だったか父だったかははっきりしないが紐の巻き方を教わった。
十手巻きと記憶しているのだが、名前やその由来は確かではない。
木の部分が裂けてしまった火鉢の火箸とひびの入りかけた七味唐辛子の竹の筒に巻いて使っている。
昔の人の知恵なのだろうが、巻いたたこ紐が切れない限りはまず弛むことはない優れものの巻き方である。
幼い頃の記憶だが未だに諜報している。

ニュースで公共の階段の踏面の先端にLEDを埋め込み人が階段を上がり降りするときに電気が起き点灯するシステムが紹介されていた。
これは環境発電といい、エナジーハーベスト、エネルギーハーベスティングなどと呼ばれている。
環境発電の研究は随分と進んでいると聴く。
水や空気が流れる、橋が振動する、人や動物など生き物がからだを動かすなどの、物が動くことで生じるエネルギーを電気に変換する。
小さなエネルギーから生まれた小さな電気は沢山集められ大きな電力となる。
この環境発電という少しづつだが沢山集め物を動かす研究は、いろいろな分野で注目されつつある。
多種多様な展開が可能で、光、熱、振動、電磁波などのエネルギーから発電するが、電磁波によるエネルギーはIT関連の技術を進化させ、暮らしはもとより医療の分野までを変えると期待されている。
センサーを付けた対象からワイヤレスでモニタリングすることにより事前回避や遠隔集中管理による高度な把握、そして人件費などの削減にも繋がっていくことだろう。

以前にソーラーマスターのことを少し書いた。
ソーラーマスターは太陽光を反射率99.7%のチューブで15メートルほど先にまで送り込むシステムで、地下などの太陽光の届かないところに自然光にほぼ近い状態で光量を送ることが出来る。
自然を取り入れる開発も欠かすことの出来ないテクノロジーであり、幅広いシステムの併用は既成の概念を変え予想を超える暮らしを創りあげていく。

 

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クマゼミ

 

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サツマラン

 

生け垣の葉にぶら下がった空蝉は過ぎようとしている夏のなごりだが、午後の日差しはまだまだきびしい。
喉を潤す水だしの緑茶は、ここしばらくはうれしい。
雷の鳴ることもなくなった。
モチノキの幹ではクマゼミがからだを震わせすこし澄んだ声でハモっている。
間もない夏を愛しむかのようだ。
裏庭では薩摩蘭の花が咲き始めた。
花や蕾のあたりを小さな蟻が行ったり来たり、時折とまって挨拶しながらゆきあう。
秋分を境に日の暮れるのは早くなる。
秋を思う微風はランの香りとともに清々しく漂っている。

 

*****

 

Vol.116「endless thema - 111」(15年08月)

 

--------八月/おもしろいEテレ

 

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ホウチャクソウの紫黒の実

 

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ヒメイズイ

 

ホウチャクソウの黒い実が深みを増している。
碧緑のうっすら枯れ始めた葉に墨染めのような紫黒の実のコントラストは季節の風景をつくる。
先ごろ、妻の実家からヒメイズイという山野草をいただいてきた。
イズイの小さい種で、半木陰の日があたる場所がいいらしい。
ヒメイズイはホウチャクソウナルコユリの仲間で風鈴のような花が対で咲く。
木陰ですっかり伸びてしまったが、すこし涼しくなってきたら植え替えをするつもりでいる。

木曜日の朝日新聞夕刊には三谷幸喜さんの「ありふれた生活」が連載されている。
「ありふれた生活」にはイラストレーターの和田誠さんのイラストもついた週1の連載。
和田誠さんのイラストを見るのも楽しみである。
少し前だったと思うのだが、Eテレの「0655」は三谷さんのお気に入りだとか。
このマンスリーホットラインのバックナンバーでも書いたが「0655」とそれに「2355」は私もよく見ている。
金曜ワークショップは「あぁ…、そうそう。なるほど、なるほど。」といった感じ。
アニメのROG JAMも再登場した。
擬人化した森のくまやおおかみやうさぎの音楽仲間のアンサンブルと気のない猟犬を連れたとぼけた狩人との絡みは面白い。
Eテレの番組には、制作者の心がよく折れないものだと思う「ピタゴラスイッチ ミニ」や、蒼井優さんの考える練習のコーナーもある「考えるカラス」も面白い。
考えるカラス」は「観察」「仮設」「実験」そして「考察」と、化学の考え方を学ぶ。
ぴったりキャラの蒼井優さんの考える練習では自分で考察をする。
考える過程をつくるのに、あることから抜け出せなくなる思考のるつぼから脱却する回路を作る方法が習得できれば、別回路からアクセスするためのセーフティラインになりそうだ。
勿論、知識だけでなく豊富な経験は予測の巾をも広げる。

少し前の「ありふれた生活」には、白やぎさんと黒やぎさんの歌のはなしが載っていた。
これも面白かった。情報を求めないままの堂々巡りを三谷さんが考察をするといった話だった。
建築を考えるときフィードバックするか否かは初期の情報の量でほぼ決まる。
情報量が少なかったり後に新たに追加された条件等は、補充し必要に応じたフィードバックはせざるを得ない。
学生の時に高宮先生から学んだ消去法がある。
出来るだけ多くの情報を得る思考と収集した情報から不必要な条件をひとつづつ削っていくという論理が的確だろうか今も継続して自分なりに行なっている。

 

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風を誘う風鈴

 

八月は山滴る秋風月、木染月という。立秋を迎え、涼風至そして寒蝉鳴とつづく。
涼しい風が立ち始め、ヒグラシの声が聞こえる季節になる。
夕刻に打ち水をした。最中から風が動きひんやりとしてくる。
窓際に吊るした風鈴が、時折風に煽られ涼しさを呼んでいる。

日本の山岳の1003の山のうち87の山岳の標高の表示変更(48の山で1m高くなり、39の山で1m低くなる)をすると国土地理院が発表していた。
正確な計測をもとに表示変更がされたらしい。
近ごろ日本列島各地の火山の噴火があいつぐ。
九世紀の日本列島に通ずるところがあるらしい。
とはいうものの、表面的に見えないだけで地球の変動は常につづいている。
直接的なことに気を取られがちだが、地球規模の変動は休むことはない。
見えないところでの変化に比べ、地球の活動自体が見えるのは視覚的な判断もつき易いが、地核のプレートは常に動き変化が続いている。
そのためか海岸線の変化も進み、プレートの動きに引き寄せられ日本列島の陸地は太平洋側に沈み込み、少しづつ東側に動いているそうだ。
浜辺の砂浜の広さが昔に比べ随分と変化していると聞く。
広く遠浅の砂浜もすこしづつ小さくなり、思いがけず違った風景に見えるところも有るようだ。

 

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ジュズサンゴ

 

庭先のジュズサンゴの花芽が咲き始めている。
ジュズサンゴは花が咲きながら実をつける不思議な生態である。
実は夏から秋にかけ朱色がかった赤い色になる。
ゆく季節と訪れる季節の空には夏の雲の遥か上空に筋雲が見られ、夏から秋に移りゆく暑気と冷気が交差するゆきあいの空になる。

 

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Vol.115「endless thema - 110」(15年07月)

 

--------七月/夏の風

 

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オオクロアリ

 

木陰ではまだうすら蒼いセンリョウの実が育ち始めている。
ギンミズヒキも花芽がつき始めている。
裏庭のツルハナナスも蕾をつけ長い蔓が夏の風に揺れている。
差し込む日差しのなかざわめく夏が庭のあちこちで迎えてくれる。
どこから来たのか家のなかには珍客がやってきた。
二センチはあろうかというオオクロアリのようだ。
滅多に見ることもないので少し観察してから庭に放してやった。

ことしの日本列島は強い寒気が流れ込み大気が不安定となり局所的な大雨、突風、雷、降ひょうなどの注意警報が頻繁にでた。
先立てもうちの近くで落雷があったばかり。
よくいくさざなみさんのご主人が、近所で停電があったり、TVやパソコンのルーターなどの破損したお宅があると話していた。
避雷針に放電した雷は地面に流れ異常電流となり、過電流は地面を伝搬し各家庭にあるアース線から逆に進入して来る。
この過電流を誘導雷サージという。
サージとは瞬間的な異常過電圧のことで、一般家庭での誘導雷サージをブロックするには分電盤の空きスペースにSPD(サージ防護デバイス)という避雷器を取り付ければ大旨は安心だろう。

避雷針に雷が落ちる仕組みは、雷雲の地上側にマイナスの電気が集まっているため、避雷針は雷雲からの放電を誘導させ易いように先端はプラスの電気の帯電体となっている。
近頃では雷を誘導させにくいような先端がマイナスの電極を持つ避雷針も開発され、マイナスの電極どうしで雷雲の放電を避けるように出来ているものも開発されている。

 

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加茂街道の夏の風景

 

日本の夏は樹々が育ち美しい風景を造り出す。
賀茂川に並列して走る加茂街道沿いの樹々は、緑のトンネルのように街道を覆い生い茂っている。
雨上がりは賀茂川の流水の水かさも増し勢いよく流れている。
樹々の合間から見える空やひんやりとした空気、川の流れる音や水のしぶきは夏の匂いがする。

夏の風物詩は急変した天候に伴う夕立の雷だけではない。
太陽高度の高い直射熱は容赦がない。
室内には外気の影響を受けやすい熱負荷の大きなところは結構ある。
屋内に塗るだけで三度ほど下がると言う断熱塗料というものがある。
室内をサーモグラフで測定でもすれば熱負荷の大きい部分は視覚的にも解りやすい。
温度上昇の大きな箇所に塗るだけで熱効率は改善され、温度差のある部分が減少し室内環境のバランスがよくなる。

こういった断熱塗料や高反射遮熱塗料という分野の開発研究も日進月歩で進んでいるようだ。
コンクリートジャングルの都心では日が落ちてもコンクリートアスファルトの路面の熱がなかなか冷めないヒートアイランド現象が起き、輻射熱による気温はなかなか下がらない。
断熱遮熱塗料のなかでも路面に塗る熱反射性の断熱塗料は、より良い性能が確保されるような製品の研究も進められていると聞く。
屋上緑化と併用し屋根や壁面の温度そして路面温度の低減がエネルギーロスを減らし都市の快適な暮らしに結びついていくことだろう。

 

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白く色づいてきたフウラン

 

裏庭のまだ蒼い小さなフウランの花が大きくなってきた。
玄関先のフウランは少しづつだが白く色づいてきた。
半木陰の風通しの良い場所を好むようだ。
和名で風蘭、富貴蘭ともいう。
名前の通りの富貴な香りは、顔を近づけるとほのかに匂う。
尻尾のついたような小さな白花の間を夏の風がそよいでいる。

 

*****

 

Vol.114「endless thema - 109」(15年06月)

 

--------六月/日々爽々

 

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山椒の実

 

新ものの山椒。出廻り始めがやわらかでいい。
手間はかかるが、細かい軸を取り省き実だけにする。
庭のサンショの木にも食べる程はないがほんの少しだけ実もできる。
越してきたときからあるトゲのある雌株である。
軟らかそうな新芽もちらほら出てきている。
つまんでひと叩きした葉はすっきりとした香りがいい。
サンショの木はミカン科の落葉低木。
アゲハチョウの幼虫が好んで葉を食べる。

 

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京都国立博物館知新館

 

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ホワイエ前の水面

 

ゴールデンウィークの爽やかな日に京都国立博物館に行った。
一月号に書いた谷口吉生設計の平成知新館を見学してきた。
大和大路通りの正門から噴水ごしに視線は本館へとつづく。
その軸線を遮るかのように交差したアプローチにはやはり多少違和感は感じるものの、知新館の池から芝生そして本館へとターンする風景は穏やかな空気が流れていた。
屋外に置かれた椅子とテーブル。
気持がよさそうだ。本館南西あたりから本館を視線に入れながらの風景は美しい。
知新館西側から水面を通してみる本館も美しく見える。
そして知新館のホワイエや二階ホールの窓越しの本館も美しく見せている。
展示棟と本館をつなぐ部分には線で描かれたように細く見えるルーバーが設けられ、存在感が和らいでいる。

 

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エントランス東側の風景

 

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知新館東から見た本館

 

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ルーバーの詳細

 

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展示室内の階段廻り

 

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ホワイエ/連続したFR鋼

 

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三階からホワイエを見る

 

低いエントランスを入っていくと開放的な吹き抜けになっている。
トップライトから降り注ぐあかりや窓の扱いそして視線の抜けはさすがと言わざるを得ない。
E.V.で三階まで行く。
E.V.内の天井照明はつなぎのないパネル全体の均一な照度と、映り込む電球の影もない。
E.V.廻りのサイン計画も程が良い。
展示室に入ると二階と三階をつなぐ吹き抜けにある階段廻りの空間が目に入る。
照度を抑えた圧迫感のない空間は展示を妨げることなく連続性がある。
ホワイエ廻りの空間には谷口吉生の建築でよく見られるFR鋼(耐火鋼/Fire Resisutant Steel)でまとめられていることもあり、均一性や連続性から生まれる建築空間は澄んだ空気のようだ。
内部に用いられている石張りの目地には少し複雑な加工がしてあり、写真を撮るつもりが他に興味をひかれ残念ながら撮り忘れてしまった。
写真に気を取られていると見るのを忘れ、見てばかりいると撮影を忘れる。
直らないいつものパターンである。
ディテールには、建築を知らなければそれほど思うこともないであろう熟慮されたデザインとそれを可能にするために費やす多大な時間の記憶が残る。
そして展示施設には欠かせない中休みのためのテラスが上手く設けられ、ゆったりした時を過ごせるようなこころづかいも感じる。
質の高さを意識させる谷口建築だが建物全体に配置されているサイン計画も谷口建築を観る楽しみのひとつである。
空間を共有する表示板やピクトグラムは丁寧に表示されている。
知新館内のレストランのテラス席は、大和大路通りとの高低差と隆起した芝生が視線を妨げることなくうまく景観が整理され居心地がいい。
そして、幾度観てもすばらしい収蔵品の数々は、建築を見に来たことがメインということを忘れる程の質の高さである。
東の庭には内露地のついた大徳寺真珠庵「庭玉軒」の写しと言われている小間「堪庵 tan-an」のある茶室もある。
閉館間際までうろついていたが見残しも随分とあり、また足を運ぶつもりでいる。

 

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レモンの花

 

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八重のオダマキ

 

五月も終わる日には、久しぶりとなる京都丸太町教会のチャペルコンサートに出かける。
バッハのゴールドベルク変奏曲 BWV988 をバイオリン、ビオラ、チェロのトリオで聴く。
眠りの音楽と表された「二段鍵盤つきのチェンバロのためのアリアと変奏曲」というチェンバロ曲だ。
私はよく朝聴いている。
ディテールを考えるときや思考の整理には至極の旋律に思える。
トリオで聴くゴールドベルク変奏曲は爽々なここちよさだろうと楽しみにしている。
庭の剪定も終え差し込む日差しが眩しさを増す。
数日前には、珍しい山野草も並んでいる近くのお店でレモンの木を見つけた。
匂やかな白い花は爽やかな香りがする。
五月十九日には奄美地方が少し遅めの梅雨入りをした。
鉢植えの八重のオダマキも咲き終えるころとなり、梅雨のあけるころには燦々とした日々を迎える。

 

*****

 

Vol.113「endless thema - 108」(15年05月)

 

--------五月/日々そうそう

 

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天神川沿いの桜

 

先月始めのことだが、いつもと違うルートで所用の帰り道、四条通りを天神川沿いに曲がる。
視線に入る川沿いの桜が美事であった。
群生と言った感じだろうか。
先立て来京の際会えなかった知人は以前この辺りに住んでいた。
ふと思い出し懐かしさがよぎった。
今年は雨露霜雪がつづく。空の晴れ間を見計らい妻を連れ出し花見に行った。
花曇りの時節、川面は微かに波打ち穏やかに樹形を映り込んでいた。
美しい日本の風景。いいタイミングで見ることが出来た。

建築物には人と同じく健康診断がいる。
なかでも一定規模以上の特殊建築物には定期検査の報告が法令上義務付けられている。
建築に関しては三年に一度の定期検査、建築基準法上の建築設備は毎年点検の定期検査の報告書を特定行政庁に提出しなければならない。
私も報告義務のある建物を受け持っている。
本来は昨年中に行なうべき建物でその予定ではあったのだが、つい…。
管轄の行政庁から督促状が届いたとクライアントから連絡を受け、急いで行なった。
建築土木を問わず昨今のトンネル事故や巨大な天井の落下事故に電飾看板の落下事故など、専門の知識のある諸氏の所見や検査の必要性のあることも事実だろう。
法令基準は新しく更新されていく。
基準が新しくなるということは、既設は新基準に適合しない部分ができ既存不適格ということにもなる。
新しくなっていく基準にどの段階でどこまで改修していくのかは軽微なものを省き難しい判断になる。
重要なのは経年変化に伴う劣化にどう向き合うかである。
街中を見渡せば、手入れの行き届いたところもあれば、数年で劣化が始まるような放置状態に近い建物もみられる。
報告義務の有無にかかわらず不特定多数の人の関わる建物では、構造安全上の整備は日常的に必要とされる。
特に防火や避難に関わる設備が十分に機能するかどうかということは重要なことだ。
勿論、生活の基盤である住居などにおいても日頃からのメンテナンスは欠かせないことだ。
近年巨大地震の可能性が高いと言われている。
より耐震性を高めるための方策も迫られる。

 

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シラユキゲシ

 

暖かくなるにつれて、少しづつだが太陽の高度が高くなるのがわかる。
裏庭の板塀近くにはシラユキゲシが咲いている。
ねじれていた新芽は開きハート形の葉になり、太陽の光を一杯浴びネギ坊主のような花芽がつく。
その蕾は次第に大きくなり白い花になる。
ブラインドに映る日差しも徐々に大きくなり、羽に反射させた光は部屋の奥まで届く。
埃が目立ってくれば羽の掃除。
羽に付いた埃は適度に取ればそれほど気になることはないが、怠ると途端に目立ってくる。
何事もそうそう、そして適度が大事だ。
換気扇のパネルなども適度な掃除が必要だ。
この頃では小さな換気扇も簡単に羽まで取り外しできる機種が随分とある。
特に小さなパイプファンやダクトファンなどの羽が外せるのはうれしい。
しばらく掃除していなかった100φのダクトファン。
思い立ったが吉日、羽を水洗いしてみた。
外して埃を掃除機で吸って水洗いするだけだからそんなに手間もかからない。
換気扇本体の内側も掃除機で吸って濡らしたぼろ切れで拭いておく。
クリーンになったという爽やか気分からだろうかファンの廻る音まで違って聞こえる。

 

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ダクトファン

 

先月は久しぶりに小学時代の同窓会にも参加した。
考えてみれば成人式以来となる。
音信不通の野々部が来ると言うことで盛り上がっていたとか。
思えば小学六年間共にした友である。
忘れかけ途切れ途切れとなった記憶にある微かな面影を追って昔を懐かしむ。
女子に「野々部くん。」と呼ばれ途端に小学時代に引き戻されていく不思議な感覚が残る。
短い時間であったが、滔々とした安堵感のある時を過ごした。

 

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ホウチャクソウ

 

裏庭のあちこちではグリーンアスパラの様な芽が出始め、あっという間に大きくなったホウチャクソウが風鈴のような白い花をつけている。
お寺の仏堂や塔などの軒先や塔の相輪などに吊るされた風鐸のような形からそう呼ばれる。
今日は五月晴れ。すこしうきうき感。そんな季節になった。

 

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Vol.112「endless thema - 107」(15年04月)

 

--------四月/日々蒼々

 

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沈丁花

 

時日、穏やかな日差しは気持も軽くなるぶん集中力は弱まる。
まあこの季節それでいいのだろう。
時々物々、風の吹くまま休息を過ごすといったところだろうか。
窓を開けると少し暖かさの残る春風とともに沈丁花が香って来る。
部屋の切り花からも快い春の兆しに心動く。

三回同じ題材がつづくが心響く言葉が有る。
NHKEテレで放映された「建築は知っている/ランドマークから見た戦後70年」という番組中、巨大化し複合化している現代建築について建築家隈研吾氏はこう述べていた。
「大きな派手な空間を造らないと、まず資本が集まらない。そういう何か一種の怪獣化している訳です。一見すると派手だけど資本の為であって人間の為ではないんじゃないか。そのエサは、そういう世に中の仕組みがそういう建築物をどんどん再変遷している。で、そう言うものと違う建築の作り方を見せてやらないと、このジャンルに生きている人間としてすごく恥ずかしいなと思うんですね。」
隈研吾氏らしい口調からでる言葉は熱くしてくれる。
建築家のなすべきことそして建築家としての資質を問う言葉でもある。

 

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年代物の街灯が残る

 

町内のうちの組の年代物の街灯が壊れ新設されることになった。
傘のついた白熱灯の柔らかな光だったが、今度は新しく電柱付きの輝きのあるLED球の器具になる。
球切れなどのメンテナンスを考えると寿命の長さはかなりのメリットになるだろう。
照明の球の演色性を評価するのにRaと言う指標を使う。
自然光のもとで物が見えたときと元の色にどれくらい近いかを示す指標でRaは100を基準としている。
一般蛍光灯はRa60~70程。
白熱電球やハロゲン球はRa100である。
LEDは普通Ra80程、高演色タイプでRa90ほどある。
LED球は蛍光灯に比べると演色性もよく高効率ということになる。
Raは100に近い数字程自然光で見るのと同じ色に近いと言うことになるのだが、球切れのデメリットや省エネ効果を考えなければ、発光のおだやかな白熱電球は優れていると言える。
近頃多くなった車のLEDのヘッドライトは対向車からのまぶしさに刺激が有り、眩惑が気になる。
LEDのきらっとした感じは私的にはどうも苦手なところがある。
目に入ってくる眩しさはより強くなり、居心地のよさは少しづつ失われていくのではないかと懸念するところもある。
技術的に白熱電球の改善の余地はないものだろうか。
フィラメントに使うタングステンの変わりとなり、よりやさしく光を放つ高効率で長寿命の新素材の発見を期待したいものだ。

 

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銀杏

 

よくいただく銀杏。自家用だそうだが、ふっくらと大粒で旨い。
煎って殻を割り薄皮を剥ぐ。まだ湯気が出そうなころに頬張る。
やわらかでふっくらと、そしてかじった真ん中はジューシーで、ロックで飲む焼酎によく合う。
銀杏は種の部分を頂くが、種を覆った果肉はご存知鼻をつまむほどだ。
収穫した実の果肉の部分は水で洗い流し乾かす。
その作業を思うと感謝である。
今年もそろそろ出回るのが終わる時季となる。

 

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裏庭に咲くクリスマスローズ

 

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玄関先のクリスマスローズ

 

裏庭のクリスマスローズは長く咲いている。
玄関先の鉢植えには紫、うす緑、うす赤い斑点のある白それに真っ白。
今年はうす緑が咲いていないが春咲きのクリスマスローズは紫から咲く。
裏庭で咲くクリスマスローズは花びらの先が丸みをおびているが、玄関先で咲くクリスマスローズは少しとんがり気味。
時折、道を抜けていく風に挨拶するかのように花葉をゆらしている。
草木の新芽は次々と芽吹き、春風駘蕩といった季節になった。

 

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