人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.120「endless thema - 115」(15年12月)

 

--------継ぐ月/未来へのアプローチ

 

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ラ・フランス

 

環境に優しい近所の八百屋さんで買った西洋梨ラ・フランス
熟しその香りに引き寄せられるまでもうしばらくのがまん。
かたちは少し歪だがとろけるような舌触りで美味いはず。
五月頃に白い小さな可憐な花が咲く。
まだ見たこともないようないろいろな果樹の花には魅力が有る。
果物の花だけでなく野菜の花も、実とうつくしく対比している。
毎回この「人と自然と建築と」の始まりと終りは、季節感のある事物や自然のことを書くことにしている。
玄関先に置いてある鉢植えのレモンの木もすくすく育っている。
「果実のはな、やさいのはな」などのテーマ化も面白そうだと考えている。

先月号に「未来塾/空間を作るチカラ」という四回シリーズでの番組がEテレで放映されていたことは書いたが、シリーズ最後に少し興味深いことも収録されていたので書き留めてみた。

隈研吾氏が二年前に東大に作った研究所 T-ADS(Advanced Design Studies)で、未来の建築の為に新素材の開発やデザインを研究している。
言語は英語で現在は各国の研究者や学生が40名余り参加しているらしい。
番組の中で隈研吾氏は
「二十世紀の建築は保守的で工業化により大量の建築を早く作ろうとし、世界中でコンクリートと鉄に集中してしまっている。面白いネタは世界中にある。伝統的な材料や自然材料だけでなく、新しい材料も出てきているんだけれども建築の中にはあまり入ってこない訳で、洋服なんかには入ってきても建築には入ってこないから、そういうものと(新しい素材と)建築を組み合わせると世界の建築は全く二十世紀と違う、大化けする可能性があると思って、そう言う時代に立ち会って、そう言う時代を生きていく訳だからもっといろいろなものに好奇心を持ってチャレンジしてほしい。」
と語っていた。

なかでも、T-ADSで開発中のウォーターブランチという材料が紹介されていた。
50センチ程でキューブがずれた凸凹状のかたちをしたポリタンク状のものである。
分かり易くするために載せた写真はKOKUYOカドケシという消しゴムなのだが、そんな形状をしていた。
組み合わせ連結すことによりいろいろなかたちが出来、そのまま空間を形成し内部に水を通すと冷房になりお湯を通すと暖房にもなると紹介していた。

 

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カドケシ

 

時代とともにクライアント自体の意識やミニマリストなどライフスタイルの変化も確実に変わりつつ有る今、現に建築は構法や表現の手法も変化しつつある。
普遍的な伝統的な型式が進化を辿っていく一方で、画一的な型式が根本から覆るようなまったく別の概念の型式が生まれ育っていく時代がやって来るのだろう。
この別の分野からのアプローチが建築を支えることにもなり、建築を学ぶのは必ずしも建築科が選択筋でなくなり、より多様化したアプローチが考えられることだろう。
クロスオーバーしていく分野や技術が未来を作って行くことは事実であろう。
勿論、建築教育自体も変化を遂げる必要に迫られる。
かいつまんだ話になってしまったが、巾の広い研究と成果の楽しみな時代にさしかかっているのは大変興味深いことである。

 

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桜の黄紅葉

 

十一月初めの朝には、青空にうろこ雲が連なっていた。
秋日和の長閑さのなか眺めていたのだが、天気の崩れるまえぶれに現れるのだとか。
今では、見上げれば少しづつだが冬空になってきた。
朝のサンルームのトップライトの結露も日増しに際立って来ている。
今月初めは橘始黄(たちばなはじめてきばむ)。橘の葉が黄葉し始める。
春先にバックナンバーで書いた天神川沿いの桜も黄紅葉していた。
色づいた葉色がこころなしか川面にも移り込んでいるように見える。
桜の黄紅葉も季節を感じ良いものである。
川沿いの東側の公園や道端には黄紅葉した桜の枯れ葉がところ狭しと重なっている。
春は花びらが舞い、初冬には黄紅葉した葉が舞う。
冬の桜もなかなかのもの、日本の美しい風景がある。

 

*****

 

Vol.119「endless thema - 114」(15年11月)

 

--------十一月/晩秋淡々

 

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羽化したばかりのルリタテハ

 

朝のひいやりした空気の中、時間の経過とともに気温は上がってくる。
裏庭では羽化したばかりのルリタテハが抜殻にしがみつき羽根を乾かしている。
広げた羽根の瑠璃色が美しい。
空気にさらされ時間をかけ羽根を拡げていく。
蛹は食い散らかしたホトトギスの茎だけでなく庭のいたるところにぶら下がっている。
スローな時がよどみなく過ぎて行き、間をおきながら巣立つ。
少しばかり葉の残ったホトトギスの茎の先に蕾をみつけた。

 

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紫明会館

 

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紫明会館2

 

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紫明会館3

 

新町通りを南に下がり紫明通りを東に行くと紫明会舘がある。
1932年に京都府師範学校同窓会により社会に貢献する目的で建てられた。
当時紫明通を流れていた琵琶湖疎水沿いの敷地に建設された京都の近代建築のひとつである。
設計・施工は清水組と京都府営繕技師であった十河安雄が現場監督を委託された(京都の近代遺産/監修 川上貢 淡交社)。
十河安雄は京都の近代建築である京都府鴨沂高校(旧京都府新英学校女紅場 昭和8年)や京都教育大学付属京都小学校(昭和13年)も手がけている。

 

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紫明せせらぎ

 

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紫明せせらぎ

 

紫明通には、疎水は現存していないがイチョウケヤキなどの高木も育つ小川の流れる紫明せせらぎ公園が中央に連なる。
並木が美しいこともありここを通ることは多い。
丸窓とスペイン瓦が各所に使われている紫明会舘は午後の日差しに映し出され並木に似合っている。
喜ばしいことに取り壊しの危機を脱し保存されることになった。
当時の面影を残した会舘は今年登録文化財の指定をうけたところである。
色づいていく樹々や西日のあたる秋の深まる物静かな風景はいい。
紫明会舘の正面入り口脇には古木の桜もある。
小さなポケットパークのような前庭はきっとおだやかな春の訪れも造り出してくれることだろう。

先月、「東北発☆未来塾/隈研吾の建築空間作り講座 空間を作るチカラ」という四回シリーズでの番組がEテレで放映されていた。
番組をとおして建築家隈研吾らしい切り口でわかりやすく優しく空間の面白さを語る。
日本人としての資質、建築家としてそしてプロとしての資質。
「母なる環境を慈しめ。そしてプロらしく表現せよ。」と。
少なからずとも自然を大切にしてきた日本人として本来もちあわせもつ感性を育み、環境とともに暮らすことをどうとらえどう考えるかだろう。
隈研吾氏は宮城県南三陸町にある仮設のさんさん商店街の評価を適切な言葉と理論で讃美している。
高価なものでもなく、適度に自然と調うことの良さは誰でも理解している。
過剰でないものの量と適切なバランスはいつも持ち合わせていなければいけない尺度でもある。
現在、南三陸町の沿岸部商業地区の十メートルかさ上げされる土地に海を感じる商店街を計画中だとか。
南三陸町は四年前の津波で跡形もなくなった場所である。
「十メートルという高いけれども海との隔たりをいかに取り戻せるか。」
という隈研吾氏らしいアイデアが見られることだろう。
そして、さんさん商店街のイメージを残し地元の手と材料による将来的に町の誇りとなっていくものを計画していると語っていた。

先月は町内会で申し込む上賀茂さんの護摩木が届いた。
しばらくして北山にある氏神さんの石井神社からの護摩木も届いた。
日本だけではなく世界中で混沌とした眈々たるざわめきがつづく。
やすらぎを求める人々は後を絶たない。
虚心坦懐となる世になることを願った。

 

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前庭で咲くホトトギス

 

十月中日には日本海で気嵐が見られたと報道された。
冷え込みのきつい朝に海面の水蒸気が大気に急激に冷やされ立ち上がる蒸気霧は幻想的な風景をつくる。
今月11月7日には立冬
そして、ツバキの花が咲き始める頃をいう山茶始開を迎える。
すこしづつ日向がうれしい季節になってきた。
もうしばらくで冬支度。
前庭の窓先のホトトギスは元気に花を咲かせた。
裏庭では沢山のルリタテハが巣立って行ったが、ホトトギスの葉は食い散らかされてしまった。
そのうち前庭も羽化の場となる日も間直かもしれないと、コーヒーカップから伝わるぬくもりを感じながら、ぼんやりと眺める午後のひとときである。

 

*****

 

Vol.118「endless thema - 113」(15年10月)

 

--------十月/日々のくらし・・・仲秋色々

 

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ルリタテハの幼虫

 

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ルリタテハの蛹

 

夏も終わりに近づくころに裏庭でルリタテハの飛んでいるのを何度か見かけた。
卵を産みにやってきていたようだ。
ふ化した幼虫は日増しに大きくなり、ホトトギスの葉を食い尽くす勢いで育っている。
一見、毛虫のようで蛾の幼虫にも見えるが、れっきとしたチョウの幼虫である。
刺されそうで、えっと思う風体だが、毒はない。
板塀近くで蛹になっているのも見つけた。
巣立って行くのが楽しみではあるが、ホトトギスの花のほうも心配である。
少しでも咲いてくれるといい。

先月上旬の台風18号の通過後、アウターバウンドと呼ばれる積乱雲が縦に連なる線状降水帯が被害を拡大した。
特に関東を中心とし、驚異的な雨量により鬼怒川は越水による堤防決壊となった。
渋井川や吉田川も同じく決壊に至った。
アウターバウンドの原因は、冷気を含んだ空気が低気圧になった台風18号に加え17号の廻りの湿った空気も引き寄せられ、上昇した空気によって次々と列をなすように雨雲を発生させたのだという。
自然の相乗効果は凄まじい。
津ノ宮の友人に安否メールをしてみた。
「無事。利根川の水位が高く恐怖。」と返信が届いた。
広大な利根川でさえ水位があがり水流も増していることだろう。
想像を絶する水のエネルギーは容赦がない。
本流の許容以上の勢いや水量でせき止められた支流の流れが行き場を失い戻され溢れる。
これをバックウォーター現象といい、越水に繋がる一要因とも言われている。
こういった状況においては、人命保護の方策は当然ながら、重要なのは被災した後であろう。
ライフライン等の復旧に至る救援支援の方策や手法といったことや情報の系統だったシステムの確立は急務を要する。

 

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相違沿いにみえる巨大なフライタワーは圧迫感を感じる

 

京都、川端通りから冷泉通を道なりに岡崎のほうに向かうと疎水沿いに旧京都会舘が視線に入る。
バックナンバー2012年7月号で書いたことだが、旧京都会館には景観論争や高さ制限もあり当初は保存を望む見識者の方々や市民の声でざわめいていたにも関わらず京都市は特例を掲げ施行に至っていた。
先立て所用の帰り疎水沿いを通り、しばらく車を止めて眺めていた。
舞台上部の巨大なフライタワーと呼ばれる部分や搬入口の庇などいろいろな付け足しにより際立ったデザインに化けていた。
保存改修のみで中小ホールとし大ホールは近接の他施設の増改築と言う手もあったと思うのだが、残念な気持で帰途した。
美しく老いていた旧京都会舘の風景を違和感もなく溶け込ませていた疎水沿いの風景は記録に残るだけとなった。

 

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チャイとさざなみさんのパン

 

今日は朝から秋の空。日差しのせいかほっとする肌心地。
いつものさざなみベーカリーさんに食パンを買いに行き、ついクリームチーズレーズンも買ってしまった。
冷蔵庫には昨日妻が作ったチャイティも冷えている。
しばし休憩タイムにするか。
いつだったかTVの番組で、おけらを見たことのある人は日本人の三割だと言っていたのを思い出した。
おけらの鳴き声までは記憶にないが、昔はどこにでもいたように思う。
子供の頃見つけてはそのツメの強いことに驚いたものだが、私はその三割に入るのかなどと思いを巡らす。

 

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ギンミズヒキ

 

陽が沈むと虫の音も聞こえてくる。
玄関先ではかよわい声でとぎれとぎれに鳴くのはマツムシだろうか。
やっと秋らしくなってきた。
鉢からこぼれたギンミズヒキが石積みの間で咲いている。
花のように見える顎は、朝開き午後には閉じる。
秋も深まるにつれ少しづつ少しづつ姿を消していく。
季節は寒露。日の暮れるのは早くなり、夜が長く感じ始める。
空気は澄み、空は高く見え、過ごし易い季節になった。

 

*****

 

Vol.117「endless thema - 112」(15年09月)

 

--------九月/ゆきあい

 

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ジュズサンゴ

 

ゆきあいの空もすこしずつ少なくなり、見上げればうろこ雲が見られるようになってきた。
すじ雲よりすこし低いところに現れる。
ゆくりなく秋の気配に出くわす。
庭に置いた鉢植えのジュズサンゴの実も赤く染まりつつある。
咲いてる花と、まだ蒼い実と、赤く染まった実が、ゆきあう。

朝のNHKのラジオから「夏休み子供相談」が流れていた。
子供の疑問は興味深い。
今では忘れかけてしまった視点での幼い子たちの疑問はいきいきとしている。
そして忘れることのない記憶にもなる。
「笑っていけないときに、なぜ笑えてくるのですか?」
なるほど、事物が変わってもしばしばある。
しいて疑問にも思わぬこともある大人の目線が邪魔をするのはよく有ることだ。
やってはいけないと思えば思う程してしまいたくなるといった衝動にかられることはよくある。
抑えきれないような感性も紙一重で持ち合わせている。
多くの場合、大人は経験と知性や理性そして冷静さと気概をもって乗り越えられる。
回答者の先生方の説明も、なかなかすばらしい。
人に説明するときのお手本のようだ。
言葉足りずに相手が解ったと思い込み話を進めてしまうことなどはよく有ることだ。
相手の目線にたって、根をあげず根気よくゆっくりと丁寧に話をしていくことは大切なことだ。

 

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十手巻き

 

子供の頃に、祖父だったか父だったかははっきりしないが紐の巻き方を教わった。
十手巻きと記憶しているのだが、名前やその由来は確かではない。
木の部分が裂けてしまった火鉢の火箸とひびの入りかけた七味唐辛子の竹の筒に巻いて使っている。
昔の人の知恵なのだろうが、巻いたたこ紐が切れない限りはまず弛むことはない優れものの巻き方である。
幼い頃の記憶だが未だに諜報している。

ニュースで公共の階段の踏面の先端にLEDを埋め込み人が階段を上がり降りするときに電気が起き点灯するシステムが紹介されていた。
これは環境発電といい、エナジーハーベスト、エネルギーハーベスティングなどと呼ばれている。
環境発電の研究は随分と進んでいると聴く。
水や空気が流れる、橋が振動する、人や動物など生き物がからだを動かすなどの、物が動くことで生じるエネルギーを電気に変換する。
小さなエネルギーから生まれた小さな電気は沢山集められ大きな電力となる。
この環境発電という少しづつだが沢山集め物を動かす研究は、いろいろな分野で注目されつつある。
多種多様な展開が可能で、光、熱、振動、電磁波などのエネルギーから発電するが、電磁波によるエネルギーはIT関連の技術を進化させ、暮らしはもとより医療の分野までを変えると期待されている。
センサーを付けた対象からワイヤレスでモニタリングすることにより事前回避や遠隔集中管理による高度な把握、そして人件費などの削減にも繋がっていくことだろう。

以前にソーラーマスターのことを少し書いた。
ソーラーマスターは太陽光を反射率99.7%のチューブで15メートルほど先にまで送り込むシステムで、地下などの太陽光の届かないところに自然光にほぼ近い状態で光量を送ることが出来る。
自然を取り入れる開発も欠かすことの出来ないテクノロジーであり、幅広いシステムの併用は既成の概念を変え予想を超える暮らしを創りあげていく。

 

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クマゼミ

 

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サツマラン

 

生け垣の葉にぶら下がった空蝉は過ぎようとしている夏のなごりだが、午後の日差しはまだまだきびしい。
喉を潤す水だしの緑茶は、ここしばらくはうれしい。
雷の鳴ることもなくなった。
モチノキの幹ではクマゼミがからだを震わせすこし澄んだ声でハモっている。
間もない夏を愛しむかのようだ。
裏庭では薩摩蘭の花が咲き始めた。
花や蕾のあたりを小さな蟻が行ったり来たり、時折とまって挨拶しながらゆきあう。
秋分を境に日の暮れるのは早くなる。
秋を思う微風はランの香りとともに清々しく漂っている。

 

*****

 

Vol.116「endless thema - 111」(15年08月)

 

--------八月/おもしろいEテレ

 

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ホウチャクソウの紫黒の実

 

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ヒメイズイ

 

ホウチャクソウの黒い実が深みを増している。
碧緑のうっすら枯れ始めた葉に墨染めのような紫黒の実のコントラストは季節の風景をつくる。
先ごろ、妻の実家からヒメイズイという山野草をいただいてきた。
イズイの小さい種で、半木陰の日があたる場所がいいらしい。
ヒメイズイはホウチャクソウナルコユリの仲間で風鈴のような花が対で咲く。
木陰ですっかり伸びてしまったが、すこし涼しくなってきたら植え替えをするつもりでいる。

木曜日の朝日新聞夕刊には三谷幸喜さんの「ありふれた生活」が連載されている。
「ありふれた生活」にはイラストレーターの和田誠さんのイラストもついた週1の連載。
和田誠さんのイラストを見るのも楽しみである。
少し前だったと思うのだが、Eテレの「0655」は三谷さんのお気に入りだとか。
このマンスリーホットラインのバックナンバーでも書いたが「0655」とそれに「2355」は私もよく見ている。
金曜ワークショップは「あぁ…、そうそう。なるほど、なるほど。」といった感じ。
アニメのROG JAMも再登場した。
擬人化した森のくまやおおかみやうさぎの音楽仲間のアンサンブルと気のない猟犬を連れたとぼけた狩人との絡みは面白い。
Eテレの番組には、制作者の心がよく折れないものだと思う「ピタゴラスイッチ ミニ」や、蒼井優さんの考える練習のコーナーもある「考えるカラス」も面白い。
考えるカラス」は「観察」「仮設」「実験」そして「考察」と、化学の考え方を学ぶ。
ぴったりキャラの蒼井優さんの考える練習では自分で考察をする。
考える過程をつくるのに、あることから抜け出せなくなる思考のるつぼから脱却する回路を作る方法が習得できれば、別回路からアクセスするためのセーフティラインになりそうだ。
勿論、知識だけでなく豊富な経験は予測の巾をも広げる。

少し前の「ありふれた生活」には、白やぎさんと黒やぎさんの歌のはなしが載っていた。
これも面白かった。情報を求めないままの堂々巡りを三谷さんが考察をするといった話だった。
建築を考えるときフィードバックするか否かは初期の情報の量でほぼ決まる。
情報量が少なかったり後に新たに追加された条件等は、補充し必要に応じたフィードバックはせざるを得ない。
学生の時に高宮先生から学んだ消去法がある。
出来るだけ多くの情報を得る思考と収集した情報から不必要な条件をひとつづつ削っていくという論理が的確だろうか今も継続して自分なりに行なっている。

 

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風を誘う風鈴

 

八月は山滴る秋風月、木染月という。立秋を迎え、涼風至そして寒蝉鳴とつづく。
涼しい風が立ち始め、ヒグラシの声が聞こえる季節になる。
夕刻に打ち水をした。最中から風が動きひんやりとしてくる。
窓際に吊るした風鈴が、時折風に煽られ涼しさを呼んでいる。

日本の山岳の1003の山のうち87の山岳の標高の表示変更(48の山で1m高くなり、39の山で1m低くなる)をすると国土地理院が発表していた。
正確な計測をもとに表示変更がされたらしい。
近ごろ日本列島各地の火山の噴火があいつぐ。
九世紀の日本列島に通ずるところがあるらしい。
とはいうものの、表面的に見えないだけで地球の変動は常につづいている。
直接的なことに気を取られがちだが、地球規模の変動は休むことはない。
見えないところでの変化に比べ、地球の活動自体が見えるのは視覚的な判断もつき易いが、地核のプレートは常に動き変化が続いている。
そのためか海岸線の変化も進み、プレートの動きに引き寄せられ日本列島の陸地は太平洋側に沈み込み、少しづつ東側に動いているそうだ。
浜辺の砂浜の広さが昔に比べ随分と変化していると聞く。
広く遠浅の砂浜もすこしづつ小さくなり、思いがけず違った風景に見えるところも有るようだ。

 

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ジュズサンゴ

 

庭先のジュズサンゴの花芽が咲き始めている。
ジュズサンゴは花が咲きながら実をつける不思議な生態である。
実は夏から秋にかけ朱色がかった赤い色になる。
ゆく季節と訪れる季節の空には夏の雲の遥か上空に筋雲が見られ、夏から秋に移りゆく暑気と冷気が交差するゆきあいの空になる。

 

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Vol.115「endless thema - 110」(15年07月)

 

--------七月/夏の風

 

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オオクロアリ

 

木陰ではまだうすら蒼いセンリョウの実が育ち始めている。
ギンミズヒキも花芽がつき始めている。
裏庭のツルハナナスも蕾をつけ長い蔓が夏の風に揺れている。
差し込む日差しのなかざわめく夏が庭のあちこちで迎えてくれる。
どこから来たのか家のなかには珍客がやってきた。
二センチはあろうかというオオクロアリのようだ。
滅多に見ることもないので少し観察してから庭に放してやった。

ことしの日本列島は強い寒気が流れ込み大気が不安定となり局所的な大雨、突風、雷、降ひょうなどの注意警報が頻繁にでた。
先立てもうちの近くで落雷があったばかり。
よくいくさざなみさんのご主人が、近所で停電があったり、TVやパソコンのルーターなどの破損したお宅があると話していた。
避雷針に放電した雷は地面に流れ異常電流となり、過電流は地面を伝搬し各家庭にあるアース線から逆に進入して来る。
この過電流を誘導雷サージという。
サージとは瞬間的な異常過電圧のことで、一般家庭での誘導雷サージをブロックするには分電盤の空きスペースにSPD(サージ防護デバイス)という避雷器を取り付ければ大旨は安心だろう。

避雷針に雷が落ちる仕組みは、雷雲の地上側にマイナスの電気が集まっているため、避雷針は雷雲からの放電を誘導させ易いように先端はプラスの電気の帯電体となっている。
近頃では雷を誘導させにくいような先端がマイナスの電極を持つ避雷針も開発され、マイナスの電極どうしで雷雲の放電を避けるように出来ているものも開発されている。

 

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加茂街道の夏の風景

 

日本の夏は樹々が育ち美しい風景を造り出す。
賀茂川に並列して走る加茂街道沿いの樹々は、緑のトンネルのように街道を覆い生い茂っている。
雨上がりは賀茂川の流水の水かさも増し勢いよく流れている。
樹々の合間から見える空やひんやりとした空気、川の流れる音や水のしぶきは夏の匂いがする。

夏の風物詩は急変した天候に伴う夕立の雷だけではない。
太陽高度の高い直射熱は容赦がない。
室内には外気の影響を受けやすい熱負荷の大きなところは結構ある。
屋内に塗るだけで三度ほど下がると言う断熱塗料というものがある。
室内をサーモグラフで測定でもすれば熱負荷の大きい部分は視覚的にも解りやすい。
温度上昇の大きな箇所に塗るだけで熱効率は改善され、温度差のある部分が減少し室内環境のバランスがよくなる。

こういった断熱塗料や高反射遮熱塗料という分野の開発研究も日進月歩で進んでいるようだ。
コンクリートジャングルの都心では日が落ちてもコンクリートアスファルトの路面の熱がなかなか冷めないヒートアイランド現象が起き、輻射熱による気温はなかなか下がらない。
断熱遮熱塗料のなかでも路面に塗る熱反射性の断熱塗料は、より良い性能が確保されるような製品の研究も進められていると聞く。
屋上緑化と併用し屋根や壁面の温度そして路面温度の低減がエネルギーロスを減らし都市の快適な暮らしに結びついていくことだろう。

 

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白く色づいてきたフウラン

 

裏庭のまだ蒼い小さなフウランの花が大きくなってきた。
玄関先のフウランは少しづつだが白く色づいてきた。
半木陰の風通しの良い場所を好むようだ。
和名で風蘭、富貴蘭ともいう。
名前の通りの富貴な香りは、顔を近づけるとほのかに匂う。
尻尾のついたような小さな白花の間を夏の風がそよいでいる。

 

*****

 

Vol.114「endless thema - 109」(15年06月)

 

--------六月/日々爽々

 

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山椒の実

 

新ものの山椒。出廻り始めがやわらかでいい。
手間はかかるが、細かい軸を取り省き実だけにする。
庭のサンショの木にも食べる程はないがほんの少しだけ実もできる。
越してきたときからあるトゲのある雌株である。
軟らかそうな新芽もちらほら出てきている。
つまんでひと叩きした葉はすっきりとした香りがいい。
サンショの木はミカン科の落葉低木。
アゲハチョウの幼虫が好んで葉を食べる。

 

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京都国立博物館知新館

 

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ホワイエ前の水面

 

ゴールデンウィークの爽やかな日に京都国立博物館に行った。
一月号に書いた谷口吉生設計の平成知新館を見学してきた。
大和大路通りの正門から噴水ごしに視線は本館へとつづく。
その軸線を遮るかのように交差したアプローチにはやはり多少違和感は感じるものの、知新館の池から芝生そして本館へとターンする風景は穏やかな空気が流れていた。
屋外に置かれた椅子とテーブル。
気持がよさそうだ。本館南西あたりから本館を視線に入れながらの風景は美しい。
知新館西側から水面を通してみる本館も美しく見える。
そして知新館のホワイエや二階ホールの窓越しの本館も美しく見せている。
展示棟と本館をつなぐ部分には線で描かれたように細く見えるルーバーが設けられ、存在感が和らいでいる。

 

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エントランス東側の風景

 

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知新館東から見た本館

 

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ルーバーの詳細

 

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展示室内の階段廻り

 

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ホワイエ/連続したFR鋼

 

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三階からホワイエを見る

 

低いエントランスを入っていくと開放的な吹き抜けになっている。
トップライトから降り注ぐあかりや窓の扱いそして視線の抜けはさすがと言わざるを得ない。
E.V.で三階まで行く。
E.V.内の天井照明はつなぎのないパネル全体の均一な照度と、映り込む電球の影もない。
E.V.廻りのサイン計画も程が良い。
展示室に入ると二階と三階をつなぐ吹き抜けにある階段廻りの空間が目に入る。
照度を抑えた圧迫感のない空間は展示を妨げることなく連続性がある。
ホワイエ廻りの空間には谷口吉生の建築でよく見られるFR鋼(耐火鋼/Fire Resisutant Steel)でまとめられていることもあり、均一性や連続性から生まれる建築空間は澄んだ空気のようだ。
内部に用いられている石張りの目地には少し複雑な加工がしてあり、写真を撮るつもりが他に興味をひかれ残念ながら撮り忘れてしまった。
写真に気を取られていると見るのを忘れ、見てばかりいると撮影を忘れる。
直らないいつものパターンである。
ディテールには、建築を知らなければそれほど思うこともないであろう熟慮されたデザインとそれを可能にするために費やす多大な時間の記憶が残る。
そして展示施設には欠かせない中休みのためのテラスが上手く設けられ、ゆったりした時を過ごせるようなこころづかいも感じる。
質の高さを意識させる谷口建築だが建物全体に配置されているサイン計画も谷口建築を観る楽しみのひとつである。
空間を共有する表示板やピクトグラムは丁寧に表示されている。
知新館内のレストランのテラス席は、大和大路通りとの高低差と隆起した芝生が視線を妨げることなくうまく景観が整理され居心地がいい。
そして、幾度観てもすばらしい収蔵品の数々は、建築を見に来たことがメインということを忘れる程の質の高さである。
東の庭には内露地のついた大徳寺真珠庵「庭玉軒」の写しと言われている小間「堪庵 tan-an」のある茶室もある。
閉館間際までうろついていたが見残しも随分とあり、また足を運ぶつもりでいる。

 

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レモンの花

 

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八重のオダマキ

 

五月も終わる日には、久しぶりとなる京都丸太町教会のチャペルコンサートに出かける。
バッハのゴールドベルク変奏曲 BWV988 をバイオリン、ビオラ、チェロのトリオで聴く。
眠りの音楽と表された「二段鍵盤つきのチェンバロのためのアリアと変奏曲」というチェンバロ曲だ。
私はよく朝聴いている。
ディテールを考えるときや思考の整理には至極の旋律に思える。
トリオで聴くゴールドベルク変奏曲は爽々なここちよさだろうと楽しみにしている。
庭の剪定も終え差し込む日差しが眩しさを増す。
数日前には、珍しい山野草も並んでいる近くのお店でレモンの木を見つけた。
匂やかな白い花は爽やかな香りがする。
五月十九日には奄美地方が少し遅めの梅雨入りをした。
鉢植えの八重のオダマキも咲き終えるころとなり、梅雨のあけるころには燦々とした日々を迎える。

 

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