Vol.39「endless thema - 34」(09年03月)
-------アナログ
先月の朝日新聞の天声人語に
『嵐山光三郎の「同窓会奇談」のあとがきのなかに
「人々が同窓会へ出かけて、
交錯した時間の糸をたぐり寄せ合うのは
昔の自分に出会おうという無為の作業である」とある。』
と載っていた。
「人と自然と建築と」でも、このところ昔のことをよく書くが
それに近い心境かもしれない。
普段の我が家はダイニングにあるコンパクトなCDプレーヤーが鳴っている。
今日はめずらしく大きすぎて2階に上げてあるシステムで、
何やらぼゃ~っと思考回路を刺激したりスケッチなどしながら、
渡辺加津美やリー・リトナーのカセットテープを聞いていた。
聞きながらラックの中にある球管式アンプを何気なく覗いていた。
何年も埃を拭った記憶がない。
それに、もう随分と鳴らしていないこともあり
球管のガラス面は膜をはったように曇っている。
よく見ると全体にチリや埃で薄汚れている。
少し綺麗にするつもりで、球管式アンプをラックから出してみた。
が、今度はラックの中の埃がすごいのに気ずき、
ついでにラックだけでなくプレイヤーやデッキやアンプを磨くことにした。
磨きながらLPのアルバム、バッハの無伴奏リュート組曲や
モーツアルトのオーボエ協奏曲が目に止まった。
「ん~、鳴らしてみようか。」
球管式メインアンプはオリジナルで、
主にStaxのヘッドアンプを使って鳴らしていた。
そう言えば、何年か前にプレイヤーの針が折れ、新しくしたのはいいが、
そのままお蔵入りとなっていたカートリッジのことを思い出した。
学生時分に使用していたShureのM-24H。
お気に入りであったが、時代は移り廃版と化し、
同じような音質の針は今ではかなりの高額となっていた。
予算的なこともあり、仕方なく音質的に特性のよく似た
オーディオテクニカの針を購入してあった。
ターンテーブルの回転を調整してみる。大丈夫。微調整もできる。
多少の不安定さはあるがまだまだ快調に廻っている。
学生時分は糸ドライブを主に使っていた。
糸ドライブとは、ターンテーブルからモーターを
1メートル程離したところにセットし、
木綿の糸をモータの軸からターンテーブルに架け渡し廻す。
モーターの微妙な回転ムラはこの長い糸が吸収する。
そして自らの微振動も拾う事はない。
今考えると、マニアでない限りしないような事をやっていた。
ターンテーブルのアームのレベル、オーバーハングや芯圧、
そしてインサイドフォースを調節する。
レコードをのせ、シェルを下ろすレバーを静かに下げる。
ノイズは仕方のない事。
透明感のある臨場感。深い響き。
余程のシステムでない限りデジタルよりはアナログが好み。
いや視覚的にそう信じているだけのような気もする。
レーベルはアルフィーフやグラモフォン、指揮ならカール・ベームか。
まあそんな音が案外と好きなこともあるのかもしれない。
音の定義はむつかしい。人それぞれ。
昔の事ではあるが、純粋に音だけを採り上げて評価するならば
ゴトウユニット製のスピーカーが群を抜いていたように記憶している。
ベーム指揮のモーツアルトのレクイエムや
交響詩のようなベートーベンのミサ・ソレムニス。
知らず知らずのうちに聞き入っていた。
白い世界を思い出すレクイエム。
久しぶりに聞くミサ・ソレムニス。
キーンと響き渡る美しいソプラノは心の芯にまで届く。
そして、ふと何かを思い出し心の扉が開いたような気がした。
今の若い人たちがあまり見た事も無いような代物ですが、昔はみんなこんな感じで聞いていました。
*****
Vol.38「endless thema - 33」(09年02月)
-------風景/今を想う
花芽が出来始めている春咲きのクリスマスローズ。
寒さが和らぐにつれ少しずつ大きくなり
花が咲くまでにはもう少し時間がかかりそう。
正月あけはなかなかペースが上がらない。
あちこち行き疲れ果ててぐうたら過ごす。
正月には決まって箱根駅伝のTVを観ている。
蒲田の交差点の踏切ではランナーが通り過ぎるのをまって
京浜電車が時間調整をする。
そのずううううっと前には電車が通り過ぎるのを
ランナーが待つといった光景があった。
蒲田の踏切は箱根駅伝の風物詩のひとつでもある。
道路事情もあり、駅伝の為と言う訳ではないのだろうが、
京浜急行は路線から立体交差へと計画中だとか。
昨年だったと思うが、この踏切を横切ったあたりで足を傷めたランナーがいた。
記憶は、蒲田の路線電車から正月の箱根駅伝を思い浮かべることとなる。
風景が変われば次第に記憶も薄れ忘れさられる。
記憶の媒体となり得るか否かは、
美しい風景になり得るか否かという事にもつながる。
建築家のみならず創作するものにとって、
記憶のつながりでもある風景をどう創るかがテーマとなる所以。
多少の違いは有ったにせよ主役さえ見つけ出せれば計画性に迷いはない。
果たして建築物自体は風景にとってどれだけ重要か、自我自問する。
穏やかさや安心感は記憶のどこかにある断片と一致するのだろうか。
歳とともに古い記憶は断片化する。
そして、ひょんな事からアメーバーのようにまた繋がり始める。
若き日にすごした街の記憶や歩いた街並み。
今をすごす場所が長くなればなるほど過去の遠い記憶は断片化していく。
何かは分るがどこだったか。しかし、そこに行けば断片はまた繋がり始める。
当たり前と言ってしまえばそれまでだが不思議でもある。
記憶とはアメーバーなり。
事務所から見える景色
街は変わって行く。視線の先は河原町通りに立ち並ぶ高層建物。
十年程前はまだ稜線も美しかった。
私の事務所のあるビルも老朽化や資金上の問題やらで、
取り壊しが決まった。1981~1987の間、
それと1996から現在まで延べにして二十年近くお世話になったビルだ。
松蔭町の駐車場から事務所までの道のり、近所散策での街の匂いや居場所。
事務所の窓から見える移ろい変わる景色。
当たり前のように過ぎて来た。
時間とともに姿は変わる。
近頃はこのビルも慌ただしさが際立ってか当初のよさも薄れていた。
まあ、私としては良い機会だと考えている。
昨年の雪景色
家の一部で職住を共にする職住型がいいか。職優先で探すのがいいか。
街中散策。一歩通りを出れば骨董品の店、家具の店、和紙の店、
金物の店やその手仕事、ギャラリーやお店のディスプレイ。
いつも買う刈り番茶のお茶屋さん。
ぶらっと街中での楽しみ。そういう楽しみを得るために街中に居座るか。
歳とともに今後そうそうに引っ越しがある訳もなかろう。
多少不便でも環境を考慮しつつ住居との関わりを重視するか。
長期的な展望からすれば、今が考えどころである。
よく考えたら安普請のちっちゃい我が家も古い。
十五年ほど前に、ここに越して来たときに近所のおばあちゃんが、
「昭和八年に私が嫁いで来たときにはもう建ってたよ。」
と、言っていた。たしかに、登記上も築不詳だ。
このへんでは一番古いおばあちゃんだったので、その前の事は分らない。
それでもかれこれ七十年以上は経つ。たいしたものだ。
しかるに、耐震性は危うい。今の基準からすると不適合である。
表土的には地盤は安定しているが揺れれば荒れる。
昔の建物は基礎はなく柱の下にひとつ石がある程度。
その下は突き固めてあるぐらい。
下手に不同沈下でもしたら・・・・。
考えればきりが無い。
思い切って自宅ごと引っ越すか。
煩悩ばかりの日々である。
*****
Vol.37「endless thema - 32」(09年01月)
-------教会のコンサート
友人の田中さんは現在京都丸太町教会の教会員です。
年に2回、この教会の礼拝堂でコンサートがあり時折聞きにいく。
礼拝堂は二百二十人程の席でこじんまりとして
肩のこらないコンサートで楽しめる。この教会にはマルク・ガルニエ製の
パイプオルガンがありオルガンコンサートもある。
暮れのクリスマスの讃美夕礼拝でもその美しい音色を聞く事が出来る。
コンサートは、童謡やポップスからクラシックまでをジャズ風にアレンジした
竹中真のピアノコンサートや、バッハや賛美歌をマリンバの
アンサンブルで演奏するアンサンブル・フィリアなど、
普段あまり聞けないようなコンサートがあり面白い。
なにせ演奏を間近で聞けたり視たりと納得のできるコンサートである。
随分と前、有賀のゆりさんのチェンバロ演奏のときには演奏もさることながら
演奏後にチェンバロを間近で見ることができた。
そのときに調弦師のかたが言っていたのだが、
薄緑色のチェンバロでかなりの名器らしい。
規律正しく弦の張られた内部を覗き込むと、
木質やその造りの良さが伝わって来る。
こういったところは適度な広さがゆえに出会えるしあわせだろう。
田中さんはコンサートのチケットやらポスターも自作する。
そして、本来彫刻家なのだが絵も描く。
以前この教会で、” 田中貞一「聖書のことばによる板絵」展 ”が催され、
ちょっとのぞいたことがあったが、なかなかすてきな絵である。
文字通り聖書の言葉を絵にしたもので全部で12点ほど飾られていた。
それぞれに聖書の言葉が書かれたパネルがあり
一読二読いやそれ以上したがむつかしい。
私も中学高校とミッションスクールで過ごしチャペルでの礼拝や授業もあったが、
聖書のことばを理解するのはなかなか大変だったように覚えている。
絵は厚板にアクリル絵具で書かれているそうだ。
彫刻もそうだが、何となく造った人描いた人の雰囲気が
随所にでていて興味深い。
モノの創作は皆そうだ。建築もまた然りである。
不思議なもので、全体の空気はさることながら構成や輪郭、
顔や点景の形、床や壁それに岩や空などの表現や手法。
作者を知ることでなるほどと思うことを考えるとしばしば当てはまる。
絵や彫刻などの技法的なものの知識は私には無いに等しい。
視たときの自身の感性を刺激する何かと、
そのとき感じ得たものだけが頼りである。
教会では暮れのクリスマスに人形劇があり、
子供のためのものなのだが大人でも楽しめる。
今回は「ヘンゼルとグレーテル」であった。
人形だけでなく点景や背景は、みな手作りである。
お菓子の家は本物のチョコやキャンデーが貼り付けられていて
劇終了後には子供たちのおやつとなる。
勿論、手づくり劇であるからナレーションやらBGMもつくる。
そのBGMのなかでも使われている
パンチングペーパーで鳴るオルゴールをみせてもらった。
ハンドルでロールの楽譜を廻すだけの素朴なもので、音までやさしい。
他にも、教会の楽しい催し物はいろいろあります。
興味のある方はホームページ
https://logtown.jimdofree.com でどーぞ。
人形劇の後はお楽しみのお昼があります。
*****
Vol.36「endless thema - 31」(08年12月)
-------ランプ
我家の休日の朝は、庭の窓近くにテーブルを移動することから始まる。
近接する隣家に囲まれた東の庭に面した窓は2階まで抜けている。
全面を窓にしてあるのだが、天気が悪いと室内が少し暗いこともあり
何かよい明かりはないかと探していたのだが、
結局、現在食卓用に使っているアルミシェードのPH5と同じ
ポール・ヘニングセンがデザインした
Louis Poulsen社のPH2/1を吊ることにした。
コペンハーゲンに生まれたポール・ヘニングセン(1894~1967)は
建築家としてスタートしたのだが、次第に照明に興味を持つようになり、
Louis Poulsen社とのコラボレーションでその意気を発していくようになる。
ヘニングセンが1920~30ごろに試作した数々のランプ。
PHランプは光の美しさから現在も復刻されつづけている。
PH2/1
使い始めウレタンフォームであるから冬は気にならないものの、
夏は暑いんじゃないかなどと勘ぐっていたのだが、夏でも冬でも程よく快適である。
私は頭を置く部分が窪んだタイプのものを使っているのだが、
横を向いたときに高い部分に頭がくるので、首が下がらず具合がいい。
以前は首の筋が違ったようになりしんどいときがよくあった。
まあ、ほとんどそんな状態にならなくなったことはありがたい。
寝方が悪いと言うだけではなく、歳と共に体は固くなり
急な動きに対応できず筋が違ったりもする。
それに運動やストレッチ不足もひびいている。
食卓用に使っているアルミシェードのPH5
ミース・ファン・デル・ローエはブルーノの
テューゲンハット邸(1930/世界遺産)に三枚シェードのPHランプを使用している。
当時はより美しい光をつくり出すためにガラスシェード三枚の仕上げを
それぞれ微妙に変えたテクスチャーを用い製作されていたらしい。
手元にあるLouis Poulsen社のカタログには、
PHランプの古典的ランプの再現として、トップシェードはオパールガラス製、
トップシェードの外側は光沢のあるホワイト、内側はマットホワイト、
他のシェードはオパールの吹きガラス製、内部は砂吹きガラス製、
酸化つや消しガラスの下面カバー付き、と記載されている。
オリジナルのブラケット。
このくらいのものなら、費用もそんなにかからない。
Louis Poulsen社のパッケージの写真です。
箱も美しくデザインされている。
TEAM87にもオリジナルの器具がある。
ダブルツイン蛍光灯のブラケット部分を金属で包んだ器具で、
プロダクツという大げさなものではなくコスト的にも
大してかからないのでその都度必要に応じ製作している。
光源である電球は白熱灯から蛍光灯
そしてLEDなどに移行し初めている。
何年前だったろう某電気メーカーも白熱灯の分野を撤退した。
理由はエコロジーの問題か。
消費電力と発熱などからくるCO2への考慮
そして切れにくい電球へと。
でも地球にやさしいものづくりは、人にとっても
やさしいのだろうか。その評価のバランスはむつかしい。
人類は電球が発明されて以来ガラス球の内にあるフィラメントの
発熱するさまを見て来た。そして生活用品はエネルギーを
浪費しにくく、便利でより効率の高い商品へと展開している。
真空管からIC、そしてデジタルへと。
はたして、人にやさしいのは。
*****
Vol.35「endless thema - 30」(08年11月)
-------ウォッチング
世の中エコや健康志向で、私もそのたぐいのテーマが時折でてくる。
五年ほど前からテンピュールという素材を使った枕を使うようになった。
いわゆる低反発素材というやつである。
使い始めはなんとなく違和感があったが使うにつれ馴染んでくる。
使い始めウレタンフォームであるから冬は気にならないものの、
夏は暑いんじゃないかなどと勘ぐっていたのだが、夏でも冬でも程よく快適である。
私は頭を置く部分が窪んだタイプのものを使っているのだが、
横を向いたときに高い部分に頭がくるので、首が下がらず具合がいい。
以前は首の筋が違ったようになりしんどいときがよくあった。
まあ、ほとんどそんな状態にならなくなったことはありがたい。
寝方が悪いと言うだけではなく、歳と共に体は固くなり
急な動きに対応できず筋が違ったりもする。
それに運動やストレッチ不足もひびいている。
・・・と言う訳ではないのだが、久しぶりに賀茂川を歩いた。
賀茂街道を横切り河原に出る。
ざわめきが残る夕刻の川面はこころ安らぐ風景をつくりだす
幾つもの通りを横切って河原を行くので、両岸の橋の下を行きと帰り、
くぐった橋の数だけ二度くぐる。ついつい橋の裏側の橋桁や橋脚にも目がいく。
橋は川幅にも依るが、川中に数カ所のコンクリート製の橋脚があり
両端が岸のある道路側で支えられている。
構造体が隠れてしまっている場合が多い建築とは違い、
土木系は構造体がそのまま露出している場合が多く、
ストレートに表現されダイナミックである。
その分、美しくデザインされているか否かも目に映る。
橋梁の下端がゆるい曲線を描いているのは視覚補正されているためで、
中央を少し上側に持ち上げることにより垂れ下がり感をなくしているのである。
外れ防止か耐震補強か?
後から取り付けられたと思われるのだが、いったい何時設けられたのだろうか。
支点から跳ね出された橋梁に稼働部と思われる別の橋梁が接続されている。
上部のコンクリート床から手すりにまでエキスパンションらしきラインが見える。
ご存知の通り橋は鉄骨で造られることが多い。伸びもすれば揺れもする。
大スパンの橋梁などはピン支点と呼ばれる接合方法が用いられている。
写真の橋の架構は、中側の一カ所の支持が回転端(PinあるいはHinge)で
コンクリートの橋脚の柱頭に載せられている。
その他と両側の支点は移動端(Roller)となっており、
地震時のみならず車やトラックが通ることによる震動や変形と、
通常の自然気候の寒暖による変形や収縮膨張に追随できるように、
すべるように取り付けられている。
橋によって支点の形状にもいろいろある。
地震等による支点の破損で橋桁がずれて落ちないようにか後で取り付けられたのか
取って付けたような補強の金物がついている箇所もある。
勿論、他にも架構の工法はある。
別の橋ではピン支点は全て回転端を用い側桁にExp.j.のようなものが設けてある。
近頃、建築その先にあるランドスケープが案外気になる。
すべてのものが風景と化し、その”内”の建築であろうか。
橋もその”内”のひとつ。
一方、視線の先を見つつもどうしても支点のディテールに
視線が留まりアイストップ状態となる。
ミスマッチならいざ知らず形状に不自然さが残る。
少し鉛筆を動かせば風景にとけ込むデザインが出来るのでは、と思えてならない。
土手の向こうは賀茂街道。
交通量も多いし成のあるバスやトラックも通る。
河原からのビューも重要である。
散歩していて車が見えるのはいただけないが、意外と見えずらい。
確かに車で走っていても広い河原や水際の近くは見えるが、
土手側の道は意外と見えずらい。
土手の傾斜と緩衝緑地が効果的な役目を果たしている。
防犯上やら見通しの問題か緩衝帯となる樹木や緑地帯を撤去し、
どこの街にでも在るようなベンチや散策路など、
度がすぎる程に人工的な整備がされて行くのは何故だろうかと思う。
賀茂川と高野川そして鴨川。自然を保護しつつそれぞれの特徴を生かし、
京都らしく美しいランドスケープを維持していくことへ
エネルギーを注いでほしい気もする。
*****
Vol.34「endless thema - 29」(08年10月)
-------好文庵
萌黄色の実のまま数ヶ月、季節が替わり
やっとこの頃赤みがかって来た我が家のモチノキの実。
毎年、知らず知らずに花が咲き、知らず知らずに実になり、
知らず知らずに実が落ちる。
今年は例年にない程沢山実のり、真っ赤に色ずいていくのが楽しみである。
京都、堀川紫明に谷口吉郎(1904~1979)が設計した淡交ビル(1968)がある。
機会を得、ビル内にある茶席「好文庵」をのぞかせてもらえた。
今月はその美しいディテールをご紹介しようと思う。
2007.9月号でご紹介した河文「みずかがみの間」も合わせてご覧頂ければ幸いである。
当日淡交社のかたに案内されながら、
「今は使う機会も少なくなりほとんど使ってないんです。
手狭で使わないのもどうかと、展示用に使ってます。
戸棚を設けていますが、撤去は可能で本来の姿には戻せるようにしてあるんですよ。」
と、説明を受けた。
居ずまいを正す気持で踏み込みを入ったのだが、
なるほど右に新しく戸棚が設置され茶器の展示がされている。
視線の先には飾り棚が彫り込まれ目隠しスクリーンを左に見ながらそのまま進む。
左手に立礼席がみえる。
方向を変えると正面に障子そして腰掛けが見えてくるはず・・・が、
その腰掛けを隠すようにここにも展示用の戸棚が設置されている。
立礼席の前には開放的に造られた畳席があり、
そこにも資料のたぐいやら茶道具の展示がされたりと、
谷口の茶室空間として見ることが出来ないのがちょっと残念。
戸棚の内に腰掛けがそのまま残してあるのが見える。
河文にも使われていたが、この腰掛けは谷口がよく使うデザインである。
化粧棚内部の取り合いも美しい。
さっそく実測しても良いかお訪ねしてみた。
「どうぞかまいませんので好きなだけ測って行って下さい。」
と返事が返って来たので一応全部と言っていいぐらい測って来た。
踏み込みから正面に見える飾り棚は枠なしで塗込まれ、
壁と棚板や天井板の取り合いにはあて木や見切りがなく納められている。
腰掛けの取り付け方法は、鉄骨で跳ね出された上に木の角材で仕上げられている。
かがんでみると跳ね出された鉄部の小口側が少し見えるのが気になる。
目隠しスクリーンの丸柱の足元にはやはり幅木として藤巻きが施されている。
この目隠しスクリーンのあるロビーの
天井高より高くしてある立礼席の天井高は2,590mmである。
天井仕上げは谷口好みの目透かしの板張りが用いられ、
立礼席と畳席の区切りの下がり壁の無目は成21mmで仕上げられている。
立礼席の障子は少し縦長でかなり大きく割り付けられ、
プロポーションを優先してか直交する右手壁面に棚を設け
その奥行きで障子の寸法をコントロールしたものと思われる。
そしてこの障子の竪子とヨコ子は共に見付け6mmである。
その障子と外の窓との間には照明器具も取り付けられ
外が暗くともぼんやりと障子を照らすように配慮されている。
天井の半埋め込みされたオリジナルな照明器具のカバーは
アクリルに薄くそがれた木が張られ、明かりで木の模様が浮き上がってみえる。
谷口吉郎の作品集はそのほとんどがモノクロ写真で、
壁の色は赤みがかった聚落のイメージをしていたのだが意外と自然な感じで、
時間とともに色褪せたのか落ち着いた色合いであった。
畳席の床はシンプルで一枚板の床板が敷かれている。
間口二間一杯に下がり壁が設けられ、
手前座の炉の奥に立つ絞り丸太に沿うように一重の釣棚が設けられている。
天井は竹の竿縁天井で杉中杢が目透かしで張られ、
竿と平行な廻り縁のみ竿と同寸同材の竹が用いられ、
直交する側の廻縁は見切りと言って良い程の細物が使われている。
茶道口は通い口で、素銅(すあか)と思われる引手が付けられた襖紙の色は
黒かそれに近い紺のようだ。コントラストが美しい。
風炉先屏風やらで全体が見れなくて残念です。
絞り丸太の床柱の左あたりが手前座になってます。
できることなら谷口の茶室空間としての保存を期待したいところだ。
せっかくの機会、事はついでで一般に入室できない上階や
その他の屋内空間も合わせて見せてもらえばよかった。
このビルの一階はショップとなっており茶器や茶道具は勿論のこと、
淡交社の出版物や雑貨が購入できる。
堀川通り沿いに面したファサードは決して威嚇することなく
端正ですきのない面影をうかべ、静かに淡々と歳月を重ねて行くようにみえる。
*****
Vol.33「endless thema - 28」(08年09月)
-------京の夏
京の朝は、お~い、お~い、と唱えながら「お~さん」が通る。
托鉢のお坊さんである。
季節もあるのだろうが、この夏お盆あけに久しぶりに聞こえた。
遠くからでも聞こえる。
大きなとおる声で今日はふたつ違った声がしている。
修行なのだろう、寒い季節のほうが聞こえる機会が多い。
今朝は出来なかったが、お布施は懐紙に包み
声が近づいてくるのを見計らって戸口まででる。
手を合わせると少し小走りに近くまでこられ、頭が地につくかのように礼をされる。
そして座り込むように頭陀袋を衣で前掛けのように広げられ、
そこにお布施を置くとスーと袋の中に入っていく。
街中でも意外とよく見かける光景である。
私には小さいころのこういった記憶はないのだが、
何処かなつかしくも思うのは何故なのか。
不思議なここちである。
毎年夏の暑い最中、下鴨神社の糺の森で「下鴨納涼古本まつり」が
八月の十一日から十六日の大文字の送り火までのあいだ催される。
懲りずに毎年ぶらぶらとのぞきにいく。
知人の安田氏は家が近いといっては、必ずと言っていい程、
毎日のようにうろついているらしい。
それもなにやら片手に気分上々で楽しんでいるのである。私は車で行く。
車で行くのは重い本を見つけたときのためでもある。
案の定、今年も重い本を見つけてしまった。それも五百円で。
世の中ネット時代で、たいがいのことはネットで入手できる。
とは言っても古本まつりはいつも大盛況である。
なんだかんだと言っても本大好きって人は多い。
買う人。ただ見るだけの人。涼にくる人。
子供も若者も中年もお年寄りも、恋人同士も家族連れも。
本の入ったポリ袋を片手に、本の棚に見入っている。
京都。八月の中。暑さもすごければ湿気もすごい。
まして糺の森、蚊もいっぱい。
今年は例年に比べ暑さは随分とましだが、それでも汗を拭いながらの
本の背の活字を追うのは意味なく嬉し楽しのひととき。
毎年夏の暑い最中、下鴨神社の糺の森で「下鴨納涼古本まつり」が
八月の十一日から十六日の大文字の送り火までのあいだ催される。
懲りずに毎年ぶらぶらとのぞきにいく。
知人の安田氏は家が近いといっては、必ずと言っていい程、
毎日のようにうろついているらしい。
それもなにやら片手に気分上々で楽しんでいるのである。私は車で行く。
車で行くのは重い本を見つけたときのためでもある。
案の定、今年も重い本を見つけてしまった。それも五百円で。
世の中ネット時代で、たいがいのことはネットで入手できる。
とは言っても古本まつりはいつも大盛況である。
なんだかんだと言っても本大好きって人は多い。
買う人。ただ見るだけの人。涼にくる人。
子供も若者も中年もお年寄りも、恋人同士も家族連れも。
本の入ったポリ袋を片手に、本の棚に見入っている。
京都。八月の中。暑さもすごければ湿気もすごい。
まして糺の森、蚊もいっぱい。
今年は例年に比べ暑さは随分とましだが、それでも汗を拭いながらの
本の背の活字を追うのは意味なく嬉し楽しのひととき。。
あっ、いたいた。
事前にメールで知らせてあったのだが、
今年も安田氏は例のごとく例の場所で過ごしている。
「こんにちは。」
「いや、どーもどーも。あっ、これ少しどう。」と勧めてくれる。
「いや、僕は車で来ましたから、帰ってからゆっくり頂くことにします。」
「そーですね。」
今年もなんだかとても居心地良さそうにキトラ文庫のご主人と涼を楽しんでいる。
糺の森のなかは蝉の合唱で暑さも忘れそう。
今月は町内の地蔵盆もあり、京の夏はいろいろな行事と共に過ぎていく。
今夜は五山の送り火。少しづつ夏も終わりに近ずいていく。
*****