人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.123「endless thema - 118」(16年03月)

 

--------三月/早春淡々淡

 

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バイモユリ

 

立春から一ヶ月余が過ぎた。
時折早春らしい日差しも感じられるようになったが、裏庭はまだ冬の名残がつづいている。
エビネは一月末の氷点下で鉢に残った雪が凍りつき葉の痛みが目立つ。
植木棚に置いた一粒だけ残ったヤブコウジは冬色の葉々のまま暖かくなるのを待っている。
少し前に新町通りの花屋さんでみつけたバイモユリは部屋のあたたかさからか、まだ少し早いのに蕾は育ち次々と咲いている。
バイモユリはユリ科の植物で、和名を貝母 baimoまたは編笠百合 amigasayuri と呼ばれ、寒さには平気だが高温多湿が苦手な夏休みタイプ。
細い葉の先がカールしてチャーミングだ。

先月三日の節分の日、朝日新聞の連載300回目となった鷲田清一氏のコラム「折々のことば」に、梅原猛氏の「福は内 鬼も内」が紹介されていた。
創るということは内から突き上げてくるものに身を開いておくことで、一種の鬼を自分の中に持っていなければ優れた仕事はできない…というようなことが書かれていた。
内にある鬼は自らのエネルギーを造り出す源なのかもしれない。
そして自らの内面を映し出した分身だろう。

 

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先賢の佇まいは興味深い

 

時折ぺらぺらと捲っている「京が残す/先賢の住まい」前久夫著/京都新聞社という書籍がある。
明治以降から昭和五十年前後の京の先賢の住まいが紹介されている。
創作活動の基盤となる佇まいが造り出さす風景は興味深い。
なかに大正十三年に建てられた本野精吾(1882ー1994)の自宅も紹介されている。
著名な先賢の立派な住まいが多い中、コンパクトで機能的な住まいである。
本野精吾はドイツに留学した際、ペーター・ベーレンスの影響を受けた建築家である。
中村式鉄筋コンクリートブロック造を用いた京都北区の等持院に位置する住まいは、当時中村鎮の考案したばかりの新しい構造をいち早く取り入れている。
素地そのままのシンプルで端正な外観と外部空間は時を重ねるごとに美しい風景をも創り出しているようだが、建物周囲の空間はもう少しオープンで日が差し込み、芝生に反射した光が眩しい、そんなイメージにも思える。
当時はまだモダニズムと評される時代ではなく、模索のなかで様式化していく近代建築が息吹いている。
築90年余の歳月とともに佇んできた空間は錆びることはない。

建築家でもある中村鎮 ( nakamura mamoru/1890ー1933 ) が開発した中村式鉄筋コンクリートブロック造はL字型やF字型の定型ブロックを用い、型枠を兼ね、柱となる部分に鉄筋を配しコンクリートを打設する。
空洞部には設備関係の配管が可能で断熱効果を高めるための諸材を詰めたと聞く。
また、中村式コンクリートブロックは、スラブにも箱形に組合わせたブロックを打ち込み軽量化をも提案している。

本野精吾の手がけた建物は、京都市考古資料館 ( 旧 西陣織物舘 1915 )、自邸 ( 1924 )、栗原邸 ( 旧 鶴巻邸 1929 )、京都工芸繊維大学3号館 ( 旧 京都高等工芸学校本館 1930 ) が現存し、うち住宅二棟に中村式鉄筋コンクリートブロック造が用いられている。
本野精吾についてはINAXレポートのNO.171でも紹介されている。
本野精吾は建築とその教育の枠を超え、舞台や船舶のデザイン、インテリアや家具、グラフィックや装飾に至まで幅広いデザインにも関わりつづけた。

 

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白花のクリスマスローズ

 

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紫色から咲くクリスマスローズ

 

今年も早、啓蟄そして春分を迎える。
冬眠していた虫が地面から顔を出し始める時季は暦の上だが、うきうきと待遠しくなるような心持ちを表している。
白花のクリスマスローズの蕾が首をもたげている。
四色植えのクリスマスローズの鉢はもう紫の花が開き他の色の蕾も大きくなってきた。
その鉢の近くには種がこぼれ地面からもクリスマスローズの葉が出ている。
こぼれた花は何色になるのだろうか楽しみである。
少しづつ光や空気は変わり、春の匂いがしてくる。

 

*****

 

Vol.122「endless thema - 117」(16年02月)

 

--------二月/日々の暮らし健やかに

 

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ツルハナナス

 

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ジンチョウゲの蕾

 

昨年来の天候変動が影響しているのか庭のモチノキやセンリョウは実がかなり少ないようだ。
さほど気に留めることもなく見過ごしていたが、裏庭のヤブコウジも花も少なかったが実も今は一粒だけとなった。
それに比べ、ツルハナナスは相変わらず咲きつづけ、ジンチョウゲは満開になりそうな気配である。
ジンチョウゲの蕾はまだ青いが、少しづつだが白みを帯び始めている。
世話人に似てか、自己中心的よく言えばマイペースのご様子。
そう言えばこのマンスリーホットラインの先月号のBickie様のコラムに自己の欠点とあり、興味深く読ませて頂いた。
気質はなかなか変わるものではないが、心して過ごすことが大事だと肝に命じることにした。

 

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ルリタテハの抜け殻

 

昨年は裏庭で沢山のルリタテハが巣立っていった。
窓際に置いたカンノンチクの葉に空蝉ならぬ空ルリタテハを見つけた。
寒さの苦手なカンノンチクの冬支度で室内に移動してあったのだが、こんなところにも。
あれから数ヶ月ほど経つが、気がつくにも程がある程うまくぶら下がっている。
ルリタテハホトトギスの葉を好んで食べる。
ルリタテハが食べて葉のなくなったその茎には新しく葉も育ち、先には蕾ができ花も咲いた。
タイワンホトトギスという種で十一月も末近くまで咲いていたが、短い間に自然はエネルギッシュである。

人があまり手をかけることなく自然のまま過ぎていくことも大事だ。
天変地異の平常さのない自然はいつもではない時が流れているように思う。
数ヶ月前に虚心坦懐となる世になることを願い護摩木に書いた。
地球に住む人々や生き物だけでなく、自然も落ち着きを取り戻す日が来ることを願いたい。

 

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新聞の切り抜き

 

朝日新聞に連載されている夏目漱石の「門」には、第1と第2の月曜の朝刊に解説とあらすじが掲載される。
何気なく切り抜いて机の上に置いてあった宗助と御米の住んだ家の間取りを眺めながら。
東向きの座敷は方向性があり茶の間や台所と微かに隔たりを持つ落ち着いた空間にみえる。
南側の縁に面している一間巾を押入にしてあるのがわかる。
ここを障子にすれば南からの光で明るい空間も出来るが、日差しを抑えることで茶の間から入る午後の日差しだけでざわめきを感じない落ち着きを作り出しているようにみえる。

話では借家の設定だが、小さいながらも平屋の住居は、通常の暮らしに影響の少ない多少の導線の交差より、部屋で過ごす居心地を大事にしているように思える。
窓先の空間には余裕もありそれぞれが外部空間と繋がりながらプライバシーがある。
良き時代の質素だが穏やかなたたずまいからは、四角い家が連なる街並みとはまた別の一風違ったゆっくりと時間の流れていく風景を思い描く。

 

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セリ

 

先月下旬には突然の大寒波が日本列島に押し寄せ京都でも氷点下となったが、エルニーニョの影響から暖かさは足早にやって来るという。
仕事場の窓から見える松の木に、久しぶりに少し小ぶりのヒヨドリがやってきた。
しばらくの間見なかったが、首を小刻みに動かし休む暇もなく慌ただしく飛んで行った。
キッチンに置いたセリは部屋の暖かさも加わり、食べた後から新芽はどんどんと育つ。
近頃、店頭には時季を問わず並ぶことも多い野菜や果物。
まだまだ遠い春を思いながらセリの芽を眺めながらのティータイムといったところである。

 

*****

 

Vol.121「endless thema - 116」(16年01月)

 

--------初月/冬花彩彩

 

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詩仙堂サザンカ

 

京都一乗寺白川通を東に坂をいくと詩仙堂がある。
門を覆うような白花のサザンカの見事さに驚かされる。
澄んだようにみえる冬色の白は季節を装う。
門越しに石段が見え、その先にある無比な出来事を思い浮かべながらのアプローチは静かに心いそぐ風景である。
我が家の生け垣のサザンカは初冬のころから咲いている。
毎年うす桃色の花も咲くのだが今冬は白花ばかりが咲いている。
このあたりの伝統的な建物は昭和の初期ぐらいだろうか、低い石積みに生け垣という小さな前庭のある造りが多い。
茶花にも使われるサザンカだが、庭園や生け垣に使われる。
近所を歩けば時代を生き抜いてきたそんな趣きのある風景にしばしば出会うことができたのだが、気がつけば真新しい姿に変わっていることも多い。
時と共に面影は薄れ、そんなそこはかとない町並みになっていく気もする。

 

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ワビスケ

 

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八重の椿の蕾

 

我が家の前庭のシロワビスケは冬支度を始める頃から咲きつづけている。
空気が澄み息が白くなる朝を迎える頃に咲き始めるワビスケであるが、山茶始開とはうらはらにマイペースである。
顔を近づけないと分からないほどに微かに香る。
裏庭の遅咲きの八重のツバキの蕾ははち切れんばかりにふっくらしている。
二月頃には淡桃色の重なり合う花びらが開く。
温度湿度や周囲の環境に左右される草木花であるが、昨年暮れにかけてのスーパーエルニーニョをはるかに超える現象は気温が高く晴れが少なく雨が多く、春夏秋冬入り乱れた変化に惑わさているようだ。
季節外れもあり、早咲きもあれば遅咲きもある。
あっという間もあれば長く咲いていることもしばしば。
人それぞれと同じで草木花もそれぞれ。

 

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(1)河文/水かがみの間

 

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(2)京都とらや菓寮

 

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(3)化粧棰

 

毎年の賀状には、その年の干支名がつく建築語彙を紹介することが多い。
今年は「さる」で猿頬面(さるぼうめん)。
大きめの斜めにカットされた面のことを言う。
(1)は河文/水かがみの間(谷口吉郎設計 1972年/バックナンバー 2007年9月号参照)の縁部分に用いられた天井の棹縁。
細い材をより細く見せた猿頬面の棹縁と同じ方向に流れる杉柾目の天井板との繊細なデザインである。
(2)はバックナンバー 2014年1月号2014年10月号でご紹介した京都とらや菓寮(内藤廣設計 2009年)の化粧棰。
繁棰の少し扁平ぎみに見える形状だが力強い印象を受ける。
(3)は住宅(TEAM87 設計)の化粧棰。
大きめの棰を用いていることもあり猿頬面にしてある。
面を設ける場合に私の手がけた建物では1:1より縦長の比率で設ける場合が多いが、それは見上げの化粧材になることが多く、縦長の矩形に大きめの斜めの面からはやわらかで和らいだ印象を受ける。

 

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丸桁と舟肘木

 

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破風廻り/組物や花肘木も見える

 

写真は以前に御堂を手がけたときの柱上舟肘木の納まりの丸桁 gan-gyo と舟肘木 funa-hijiki の断面である。
入母屋妻入に切妻が重なるように連なる御堂である。
六支掛 rokushi-gake の少し広めの支割 shiwari を受ける舟肘木の下部は緩やかで長めの反りにしてあり、面はどちらもヨコタテ約1:1.166 の比率で、舟肘木中央成のほぼ15.5%になる。
少し余談になるがエレベーション的に、入母屋にはシンプルな柱上舟肘木でゆったりした舟肘木にし、切妻の組み物の載る肘木は穏やかななかにも動的な形状にしてあり、花肘木もついた組物のある特殊な形態である。
破風板の納まりは茅負 kayaoi が妻側に回り込み裏甲 uragou に添って登って行く造りで破風板の木口は力強く感じる。
その分、屋根の箕甲 minokou には平式破風瓦を使い伸びやかな造りにしてある。

 

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ザクロの実

 

自宅から今宮通までの途中にザクロが実るお宅がある。
ザクロは、梅雨から初夏にかけ実と同じ深紅の花が咲く。
暮れに妻と買物帰りの通りすがり、年配のご婦人がザクロの枝を綺麗にされていたので声をかけてみた。
時季も終わるころで小さかったり割れたりとしているが、観賞用に真っ赤に熟している実を頂いてきた。
「早めに声かけて。」と、きっと完熟のおいしい食べごろがあると言う意味だろう。
日も短くなったが、薄暮までの間のような、なごむひとときも頂いてきた。

 

*****

 

Vol.120「endless thema - 115」(15年12月)

 

--------継ぐ月/未来へのアプローチ

 

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ラ・フランス

 

環境に優しい近所の八百屋さんで買った西洋梨ラ・フランス
熟しその香りに引き寄せられるまでもうしばらくのがまん。
かたちは少し歪だがとろけるような舌触りで美味いはず。
五月頃に白い小さな可憐な花が咲く。
まだ見たこともないようないろいろな果樹の花には魅力が有る。
果物の花だけでなく野菜の花も、実とうつくしく対比している。
毎回この「人と自然と建築と」の始まりと終りは、季節感のある事物や自然のことを書くことにしている。
玄関先に置いてある鉢植えのレモンの木もすくすく育っている。
「果実のはな、やさいのはな」などのテーマ化も面白そうだと考えている。

先月号に「未来塾/空間を作るチカラ」という四回シリーズでの番組がEテレで放映されていたことは書いたが、シリーズ最後に少し興味深いことも収録されていたので書き留めてみた。

隈研吾氏が二年前に東大に作った研究所 T-ADS(Advanced Design Studies)で、未来の建築の為に新素材の開発やデザインを研究している。
言語は英語で現在は各国の研究者や学生が40名余り参加しているらしい。
番組の中で隈研吾氏は
「二十世紀の建築は保守的で工業化により大量の建築を早く作ろうとし、世界中でコンクリートと鉄に集中してしまっている。面白いネタは世界中にある。伝統的な材料や自然材料だけでなく、新しい材料も出てきているんだけれども建築の中にはあまり入ってこない訳で、洋服なんかには入ってきても建築には入ってこないから、そういうものと(新しい素材と)建築を組み合わせると世界の建築は全く二十世紀と違う、大化けする可能性があると思って、そう言う時代に立ち会って、そう言う時代を生きていく訳だからもっといろいろなものに好奇心を持ってチャレンジしてほしい。」
と語っていた。

なかでも、T-ADSで開発中のウォーターブランチという材料が紹介されていた。
50センチ程でキューブがずれた凸凹状のかたちをしたポリタンク状のものである。
分かり易くするために載せた写真はKOKUYOカドケシという消しゴムなのだが、そんな形状をしていた。
組み合わせ連結すことによりいろいろなかたちが出来、そのまま空間を形成し内部に水を通すと冷房になりお湯を通すと暖房にもなると紹介していた。

 

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カドケシ

 

時代とともにクライアント自体の意識やミニマリストなどライフスタイルの変化も確実に変わりつつ有る今、現に建築は構法や表現の手法も変化しつつある。
普遍的な伝統的な型式が進化を辿っていく一方で、画一的な型式が根本から覆るようなまったく別の概念の型式が生まれ育っていく時代がやって来るのだろう。
この別の分野からのアプローチが建築を支えることにもなり、建築を学ぶのは必ずしも建築科が選択筋でなくなり、より多様化したアプローチが考えられることだろう。
クロスオーバーしていく分野や技術が未来を作って行くことは事実であろう。
勿論、建築教育自体も変化を遂げる必要に迫られる。
かいつまんだ話になってしまったが、巾の広い研究と成果の楽しみな時代にさしかかっているのは大変興味深いことである。

 

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桜の黄紅葉

 

十一月初めの朝には、青空にうろこ雲が連なっていた。
秋日和の長閑さのなか眺めていたのだが、天気の崩れるまえぶれに現れるのだとか。
今では、見上げれば少しづつだが冬空になってきた。
朝のサンルームのトップライトの結露も日増しに際立って来ている。
今月初めは橘始黄(たちばなはじめてきばむ)。橘の葉が黄葉し始める。
春先にバックナンバーで書いた天神川沿いの桜も黄紅葉していた。
色づいた葉色がこころなしか川面にも移り込んでいるように見える。
桜の黄紅葉も季節を感じ良いものである。
川沿いの東側の公園や道端には黄紅葉した桜の枯れ葉がところ狭しと重なっている。
春は花びらが舞い、初冬には黄紅葉した葉が舞う。
冬の桜もなかなかのもの、日本の美しい風景がある。

 

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Vol.119「endless thema - 114」(15年11月)

 

--------十一月/晩秋淡々

 

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羽化したばかりのルリタテハ

 

朝のひいやりした空気の中、時間の経過とともに気温は上がってくる。
裏庭では羽化したばかりのルリタテハが抜殻にしがみつき羽根を乾かしている。
広げた羽根の瑠璃色が美しい。
空気にさらされ時間をかけ羽根を拡げていく。
蛹は食い散らかしたホトトギスの茎だけでなく庭のいたるところにぶら下がっている。
スローな時がよどみなく過ぎて行き、間をおきながら巣立つ。
少しばかり葉の残ったホトトギスの茎の先に蕾をみつけた。

 

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紫明会館

 

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紫明会館2

 

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紫明会館3

 

新町通りを南に下がり紫明通りを東に行くと紫明会舘がある。
1932年に京都府師範学校同窓会により社会に貢献する目的で建てられた。
当時紫明通を流れていた琵琶湖疎水沿いの敷地に建設された京都の近代建築のひとつである。
設計・施工は清水組と京都府営繕技師であった十河安雄が現場監督を委託された(京都の近代遺産/監修 川上貢 淡交社)。
十河安雄は京都の近代建築である京都府鴨沂高校(旧京都府新英学校女紅場 昭和8年)や京都教育大学付属京都小学校(昭和13年)も手がけている。

 

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紫明せせらぎ

 

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紫明せせらぎ

 

紫明通には、疎水は現存していないがイチョウケヤキなどの高木も育つ小川の流れる紫明せせらぎ公園が中央に連なる。
並木が美しいこともありここを通ることは多い。
丸窓とスペイン瓦が各所に使われている紫明会舘は午後の日差しに映し出され並木に似合っている。
喜ばしいことに取り壊しの危機を脱し保存されることになった。
当時の面影を残した会舘は今年登録文化財の指定をうけたところである。
色づいていく樹々や西日のあたる秋の深まる物静かな風景はいい。
紫明会舘の正面入り口脇には古木の桜もある。
小さなポケットパークのような前庭はきっとおだやかな春の訪れも造り出してくれることだろう。

先月、「東北発☆未来塾/隈研吾の建築空間作り講座 空間を作るチカラ」という四回シリーズでの番組がEテレで放映されていた。
番組をとおして建築家隈研吾らしい切り口でわかりやすく優しく空間の面白さを語る。
日本人としての資質、建築家としてそしてプロとしての資質。
「母なる環境を慈しめ。そしてプロらしく表現せよ。」と。
少なからずとも自然を大切にしてきた日本人として本来もちあわせもつ感性を育み、環境とともに暮らすことをどうとらえどう考えるかだろう。
隈研吾氏は宮城県南三陸町にある仮設のさんさん商店街の評価を適切な言葉と理論で讃美している。
高価なものでもなく、適度に自然と調うことの良さは誰でも理解している。
過剰でないものの量と適切なバランスはいつも持ち合わせていなければいけない尺度でもある。
現在、南三陸町の沿岸部商業地区の十メートルかさ上げされる土地に海を感じる商店街を計画中だとか。
南三陸町は四年前の津波で跡形もなくなった場所である。
「十メートルという高いけれども海との隔たりをいかに取り戻せるか。」
という隈研吾氏らしいアイデアが見られることだろう。
そして、さんさん商店街のイメージを残し地元の手と材料による将来的に町の誇りとなっていくものを計画していると語っていた。

先月は町内会で申し込む上賀茂さんの護摩木が届いた。
しばらくして北山にある氏神さんの石井神社からの護摩木も届いた。
日本だけではなく世界中で混沌とした眈々たるざわめきがつづく。
やすらぎを求める人々は後を絶たない。
虚心坦懐となる世になることを願った。

 

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前庭で咲くホトトギス

 

十月中日には日本海で気嵐が見られたと報道された。
冷え込みのきつい朝に海面の水蒸気が大気に急激に冷やされ立ち上がる蒸気霧は幻想的な風景をつくる。
今月11月7日には立冬
そして、ツバキの花が咲き始める頃をいう山茶始開を迎える。
すこしづつ日向がうれしい季節になってきた。
もうしばらくで冬支度。
前庭の窓先のホトトギスは元気に花を咲かせた。
裏庭では沢山のルリタテハが巣立って行ったが、ホトトギスの葉は食い散らかされてしまった。
そのうち前庭も羽化の場となる日も間直かもしれないと、コーヒーカップから伝わるぬくもりを感じながら、ぼんやりと眺める午後のひとときである。

 

*****

 

Vol.118「endless thema - 113」(15年10月)

 

--------十月/日々のくらし・・・仲秋色々

 

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ルリタテハの幼虫

 

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ルリタテハの蛹

 

夏も終わりに近づくころに裏庭でルリタテハの飛んでいるのを何度か見かけた。
卵を産みにやってきていたようだ。
ふ化した幼虫は日増しに大きくなり、ホトトギスの葉を食い尽くす勢いで育っている。
一見、毛虫のようで蛾の幼虫にも見えるが、れっきとしたチョウの幼虫である。
刺されそうで、えっと思う風体だが、毒はない。
板塀近くで蛹になっているのも見つけた。
巣立って行くのが楽しみではあるが、ホトトギスの花のほうも心配である。
少しでも咲いてくれるといい。

先月上旬の台風18号の通過後、アウターバウンドと呼ばれる積乱雲が縦に連なる線状降水帯が被害を拡大した。
特に関東を中心とし、驚異的な雨量により鬼怒川は越水による堤防決壊となった。
渋井川や吉田川も同じく決壊に至った。
アウターバウンドの原因は、冷気を含んだ空気が低気圧になった台風18号に加え17号の廻りの湿った空気も引き寄せられ、上昇した空気によって次々と列をなすように雨雲を発生させたのだという。
自然の相乗効果は凄まじい。
津ノ宮の友人に安否メールをしてみた。
「無事。利根川の水位が高く恐怖。」と返信が届いた。
広大な利根川でさえ水位があがり水流も増していることだろう。
想像を絶する水のエネルギーは容赦がない。
本流の許容以上の勢いや水量でせき止められた支流の流れが行き場を失い戻され溢れる。
これをバックウォーター現象といい、越水に繋がる一要因とも言われている。
こういった状況においては、人命保護の方策は当然ながら、重要なのは被災した後であろう。
ライフライン等の復旧に至る救援支援の方策や手法といったことや情報の系統だったシステムの確立は急務を要する。

 

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相違沿いにみえる巨大なフライタワーは圧迫感を感じる

 

京都、川端通りから冷泉通を道なりに岡崎のほうに向かうと疎水沿いに旧京都会舘が視線に入る。
バックナンバー2012年7月号で書いたことだが、旧京都会館には景観論争や高さ制限もあり当初は保存を望む見識者の方々や市民の声でざわめいていたにも関わらず京都市は特例を掲げ施行に至っていた。
先立て所用の帰り疎水沿いを通り、しばらく車を止めて眺めていた。
舞台上部の巨大なフライタワーと呼ばれる部分や搬入口の庇などいろいろな付け足しにより際立ったデザインに化けていた。
保存改修のみで中小ホールとし大ホールは近接の他施設の増改築と言う手もあったと思うのだが、残念な気持で帰途した。
美しく老いていた旧京都会舘の風景を違和感もなく溶け込ませていた疎水沿いの風景は記録に残るだけとなった。

 

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チャイとさざなみさんのパン

 

今日は朝から秋の空。日差しのせいかほっとする肌心地。
いつものさざなみベーカリーさんに食パンを買いに行き、ついクリームチーズレーズンも買ってしまった。
冷蔵庫には昨日妻が作ったチャイティも冷えている。
しばし休憩タイムにするか。
いつだったかTVの番組で、おけらを見たことのある人は日本人の三割だと言っていたのを思い出した。
おけらの鳴き声までは記憶にないが、昔はどこにでもいたように思う。
子供の頃見つけてはそのツメの強いことに驚いたものだが、私はその三割に入るのかなどと思いを巡らす。

 

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ギンミズヒキ

 

陽が沈むと虫の音も聞こえてくる。
玄関先ではかよわい声でとぎれとぎれに鳴くのはマツムシだろうか。
やっと秋らしくなってきた。
鉢からこぼれたギンミズヒキが石積みの間で咲いている。
花のように見える顎は、朝開き午後には閉じる。
秋も深まるにつれ少しづつ少しづつ姿を消していく。
季節は寒露。日の暮れるのは早くなり、夜が長く感じ始める。
空気は澄み、空は高く見え、過ごし易い季節になった。

 

*****

 

Vol.117「endless thema - 112」(15年09月)

 

--------九月/ゆきあい

 

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ジュズサンゴ

 

ゆきあいの空もすこしずつ少なくなり、見上げればうろこ雲が見られるようになってきた。
すじ雲よりすこし低いところに現れる。
ゆくりなく秋の気配に出くわす。
庭に置いた鉢植えのジュズサンゴの実も赤く染まりつつある。
咲いてる花と、まだ蒼い実と、赤く染まった実が、ゆきあう。

朝のNHKのラジオから「夏休み子供相談」が流れていた。
子供の疑問は興味深い。
今では忘れかけてしまった視点での幼い子たちの疑問はいきいきとしている。
そして忘れることのない記憶にもなる。
「笑っていけないときに、なぜ笑えてくるのですか?」
なるほど、事物が変わってもしばしばある。
しいて疑問にも思わぬこともある大人の目線が邪魔をするのはよく有ることだ。
やってはいけないと思えば思う程してしまいたくなるといった衝動にかられることはよくある。
抑えきれないような感性も紙一重で持ち合わせている。
多くの場合、大人は経験と知性や理性そして冷静さと気概をもって乗り越えられる。
回答者の先生方の説明も、なかなかすばらしい。
人に説明するときのお手本のようだ。
言葉足りずに相手が解ったと思い込み話を進めてしまうことなどはよく有ることだ。
相手の目線にたって、根をあげず根気よくゆっくりと丁寧に話をしていくことは大切なことだ。

 

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十手巻き

 

子供の頃に、祖父だったか父だったかははっきりしないが紐の巻き方を教わった。
十手巻きと記憶しているのだが、名前やその由来は確かではない。
木の部分が裂けてしまった火鉢の火箸とひびの入りかけた七味唐辛子の竹の筒に巻いて使っている。
昔の人の知恵なのだろうが、巻いたたこ紐が切れない限りはまず弛むことはない優れものの巻き方である。
幼い頃の記憶だが未だに諜報している。

ニュースで公共の階段の踏面の先端にLEDを埋め込み人が階段を上がり降りするときに電気が起き点灯するシステムが紹介されていた。
これは環境発電といい、エナジーハーベスト、エネルギーハーベスティングなどと呼ばれている。
環境発電の研究は随分と進んでいると聴く。
水や空気が流れる、橋が振動する、人や動物など生き物がからだを動かすなどの、物が動くことで生じるエネルギーを電気に変換する。
小さなエネルギーから生まれた小さな電気は沢山集められ大きな電力となる。
この環境発電という少しづつだが沢山集め物を動かす研究は、いろいろな分野で注目されつつある。
多種多様な展開が可能で、光、熱、振動、電磁波などのエネルギーから発電するが、電磁波によるエネルギーはIT関連の技術を進化させ、暮らしはもとより医療の分野までを変えると期待されている。
センサーを付けた対象からワイヤレスでモニタリングすることにより事前回避や遠隔集中管理による高度な把握、そして人件費などの削減にも繋がっていくことだろう。

以前にソーラーマスターのことを少し書いた。
ソーラーマスターは太陽光を反射率99.7%のチューブで15メートルほど先にまで送り込むシステムで、地下などの太陽光の届かないところに自然光にほぼ近い状態で光量を送ることが出来る。
自然を取り入れる開発も欠かすことの出来ないテクノロジーであり、幅広いシステムの併用は既成の概念を変え予想を超える暮らしを創りあげていく。

 

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クマゼミ

 

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サツマラン

 

生け垣の葉にぶら下がった空蝉は過ぎようとしている夏のなごりだが、午後の日差しはまだまだきびしい。
喉を潤す水だしの緑茶は、ここしばらくはうれしい。
雷の鳴ることもなくなった。
モチノキの幹ではクマゼミがからだを震わせすこし澄んだ声でハモっている。
間もない夏を愛しむかのようだ。
裏庭では薩摩蘭の花が咲き始めた。
花や蕾のあたりを小さな蟻が行ったり来たり、時折とまって挨拶しながらゆきあう。
秋分を境に日の暮れるのは早くなる。
秋を思う微風はランの香りとともに清々しく漂っている。

 

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