人と自然と建築と

nonobe's diaryーArchitect Message

Vol.89「endless thema - 84」(13年05月)

 

--------立夏/極相の想い

 

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タイツリソウ

 

汗ばむ頃となり今年もタイツリソウが元気に育っている。
ケマンソウ(華鬘草)の別名である。
赤みのあるショッキングピンクのような色の花で知られているが、うちにあるのは白色。
始めはちいさな瓢_のような緑色の花芽が竿のような茎に幾つも連なる。
大きくなるにつれ白味を帯び始め、瓢_形から華鬘のようなハートの形となり、尾びれのような花びらが開く。
澄んだ白い花は早朝の清々しさのようだ。

 

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スノーフレーク

 

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ヒュウガナツ

 

玄関先では石垣の隙間に人知れずスノーフレークが咲く。
鈴蘭水仙ともいう。誰に媚びることなくひっそりと静かに咲き、うっすらと匂ひを放ち春を終える。
少し前に、らでいっしゅぼーやからヒュウガナツが届いた。
日向夏と書く。露地物は四月頃までが旬である。
ナツがつくが夏にはまだまだ早い。
黄色い皮の部分を薄く剥き、ざっくりと切り、ふわふわした白い部分も一緒にいただく。
瑞々しさに柔らかなうす皮と白い部分の甘さに不思議な食感はなかなか面白い。

今年四月、東京銀座にある歌舞伎座が新しくなった。設計は隈研吾氏である。
先代の歌舞伎座は昭和二十五年の末、吉田五十八(1894~1974)の手によって生まれ変わった。
先先代の歌舞伎座の面影を継承した設計であった。
吉田五十八は数寄屋建築や伝統的建造物などの和風建築を近代和風として成し遂げた建築家で、後にその功績を讃え吉田五十八賞が設けられた。
多くの住宅作品は勿論のこと日本芸術院会館(1958)や秩父宮邸(1972)などを始めとした数々の近代和風建築は、今も尚和洋を問わず建築界に影響を与えつづけている。
京都には大広間のアイデアで名高い岡崎にある料亭「岡崎つる家」(1965)、そしてもうひとつは出町にある北村邸(1965)。
四君子苑の住居部分である北村邸の美しいディテールとアイデアは、このマンスリーホットラインのバックナンバー 2007年1月第13回でその詳細を紹介してあります。

隈研吾氏は今や世界で活躍する建築家であり、一昨年「方丈記 八百年記念」の企画で京都下鴨神社の境内にて「現代の方丈の庵」(バックナンバー 2013年1月号)の設置と養老孟司氏との対談などでご存知のかたもおられることだろう。
隈研吾氏は象徴や視覚そして私欲にも依存しない受動的な「負ける建築」をあえて唱える。
新しくなった歌舞伎座は、長く親しまれてきた先代の歌舞伎座を保存しつつ、馴染み客の思いと居心地の良さを重きに置き生まれ変わったとか。
機会があれば覗いてみたい。

建築にはつきものの残すという行為。
新旧の隔たり感を見つめ、残すべきものへの礼儀と配慮。
そして幾多の近未来的アイデンティティという自負。
それを支える幾多のアイデアやスケッチをまとめあげる。
遥か先にある微かな光を求め模索しつづけ、その光に託していく。
今を残し、いくらかの未知の部分を持たせつつも計算された未来を創る建築という行為はたのしいが、反面受けるプレッシャーは最たるものである。
私など、自身に負けてばかりである。
少し前に極相化という言葉を耳にした。
簡単に言ってしまえば、一定の年月が経つとその樹形や植物の生態系はほとんど変化が見られなくなるという状態のことをいい、その安定的な状態を維持していく為のエネルギーが消費され続ける。
里山などの森林は人の手によって間引きや手入れをしていかなければ、これもまた荒れ果てていってしまう。
我慢の限界を客観的に見極めるかのような植物連鎖の妙であろうか、自然が与えた試練のようだ。建築も同じ。
そして、人や社会もまた同じに思えて来る。

 

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シラユキゲシ

 

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ホウチャクソウ

 

裏庭のシラユキゲシの花芽も大きくなり、先の尖った玉ねぎのような蕾をつけている。
ハートの形の葉から茎が伸びその幾つかが白い花を咲かせている。
窓際から板塀に沿って、知らぬうちに仲間を増やし育っている。
ふと気が付いたときには小さな白い花があちらこちらと咲きにぎやかさを増している。ホウチャクソウもところ狭しと伸びている。
名前は花の形が釣り鐘の風鐸に似ていることからきている。
肌寒さもなくなる頃には釣り鐘の花形は白みを増し、裏庭にも玄関先にも春の穏やかな風がその白い小さな風鐸を揺らしている。
今が一年で一番気持のいい季節。立夏を迎え漂う空気は次第に夏めいて来る。

 

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